2011年12月31日土曜日

『真打ちは』

第5回SSコンペ(お題:『クリスマス』)


 大晦日の夜。コンビニで年越しに備えた買い物を済ませた私は、その帰路、道の端に見慣れないものを見つけた。
 “サンタは要りませんか”―――手書きでそう記されたダンボールの中に、虚ろな目をした老人が座っていたのだ。
 上下揃った赤い服に、たくわえられた豊かな髭。なるほど、外見的特徴だけ見れば確かにサンタだ。サンタが道端に捨てられていた。非日常的な、そして時期を逸してもいる光景に、私は暫し硬直することを余儀なくされる。
 そんな風に足を止めて見入ってしまったせいだろうか、気付けば老人は顔を上げ、私と視線を合わせていた。あ、まずい、と思った時にはもう遅い。

「サンタは要らんかね?」

 老人は身を乗り出すと、皺だらけの顔に微笑みを浮かべ、そう言った。外見から受ける印象通りの、深みのある声だった。
 早く家に帰って暖まりたい、という思いがまずあったし、そうでなくとも関わり合いになどなりたくなかったので、なるべくそっけなく聞こえるよう努めつつ、断りの旨を伝えることにした。

「いえ結構です。それでは」

 そう言い残して歩き出そうとすると、老人は段ボールごと私の眼前に滑り込み、進路を塞いできた。身の危険を感じるほどの俊敏さに、これは不味いと直感し、遠回りして帰ろうと踵を返す。
 すると、

「待ちたまえお嬢さん話だけでも!」

「んなぁっ!?」

 踏み出そうとした足に重みが加わり、バランスを崩した私は前のめりに倒れこむことになった。びたん、と音の出そうな、綺麗な倒れざまを晒してしまう。
 後ろを見やれば、老人が私の片足をがっしりと握りしめていた。腹ばいで縋りつく姿勢に、いつか見たゾンビ退治ゲームの思い出が重なる。

「そう、あれは今を遡ること6日、25日のことじゃった……。諸般の事情でプレゼントを配り損ねたうえ他のサンタに尻拭いをしてもらったワシは、クリスマスを完遂しないことには帰還してはならぬとのお達しを受けたのじゃよ」

 そして喋り始める老人。
 血走った目が私の不安感を効果的に煽ってくる。同時に、大事な部分を全て割愛した説明に愕然とする。

「であるからして、ワシは最低一人にプレゼントを齎さねばならない。それも良い子にな。じゃが、ここ6日間において、ついぞ一人も現れることはなかった―――そう、ワシを気にかけてくれるような良い子は、な。……君を除いて」

 なるほど、顛末は全く見えないが、要求だけは理解できた。
 それにしてもいい加減離せと言いたい気持ちはこれ以上無いほどに強まっていたが、早々に相手方の要望を叶えてやるのがおそらく最善手と思い、
 
「じゃあ、『怪しい老人からの解放』をください。帰りたいので」

 win-winな提案をしてみた。これで話は終了するはずである。
 しかし老人は表情を曇らせ、

「その願いは叶えられない。正確に言えば、それを本部に持って帰ったワシが許されそうにないから叶えたくない……」

 沈痛な面持ちでそう漏らした。
 
「……警察呼ばれたいならそうしますけど?」

「サンタは割とイリーガルな存在じゃから、公権力の召喚はできれば遠慮してほしいんじゃが」

「じゃあ呼びませんから、さっさと離してください」

「うむ。きっとじゃぞ」

 足を離された瞬間に走って逃げてやろうかとも思ったが、消沈した老人をこれ以上落ち込ませるのもなんだか気が咎める。
 立ち上がった私を見やると、老人は恰幅の良い腹を揺らしてこう言った。
 
「さあ、欲しいものを言うがよい」

 先程から帰りたい気持ちがとどまるところを知らなかったため、とにかく何でもいいから思いついたものを口にしていこうと考える。

「じゃあ、『お金』」

「残念、この6日で消費してしまった。素寒貧さ」

「だったらもう他のプレゼントも無理でしょうが!」

「じゃあ、もしこのサンタ服が欲しければ譲るにやぶさかではないが……代わりにワシが全裸になるけど」

「要らんわ!」
 
 そのまま、なんとか納得させつつ早々に話を終わらせられないか、と思案していると、ごーん、ごーんと重く低い音が響き始めた。新年の合図だ。
 こんな年越しを迎えると予想できていたはずもなく、猛烈な虚脱感に襲われる。
 
「まさか、今年最後の思い出が変な老人との問答だなんて……」
 
 そんな私を見て、老人が何かを思いついたのだろう、満面の笑みを浮かべた。

「……えー、では、『年越しを一緒に過ごしてあげた』というのがプレゼントだった、ということでひとつ」

2011年12月14日水曜日

『お気に召さぬ理由』

第4回SSコンペ(お題:『イノセント』)


「この少女型アンドロイドはとある職人の遺作なのだが、貰われた先で拒絶され続けてしまい、困っている。引き取ってもらえないだろうか」

 こんな依頼を持ち掛けられた時の私の顔は、きっと傍目には笑えるほどに呆けたものだったろう。
 弁解させてもらえば、そもそもアンドロイドというのは、基本的には身の回りの世話を任せるために手に入れるものである。対話の相手や、その―――性処理の相手としての役割を課されることもあるのだろうけど、まあ、ともかく、基本的には。依頼主は昔からの知り合いで、私が人であれ機械であれ、新たなお手伝いを必要としない程度には自律した生活を遅れていると知っているはずだ。だから、この依頼は完全に私の虚を衝くものだった。少しくらい呆けたって、それは仕方がないというものだろう。
 
 なのにどうして、と問うと、渡されたのは一枚の仕様書だった。製作者の欄には、私の幼馴染だった……恋人になることのできなかった男性の名が、あった。幼い頃はずっと一緒で、でも、どうしても先の段階に踏み込めなかった関係性の、その片割れ。その名を見て、ああ、なるほど、と納得する。
 顛末はおそらくこうだ、『貰い手のつかないアンドロイド、遺作がゆえに処分するのも忍びない、ならば作者の縁故を頼るというのはどうか』。そりゃあ、私にお鉢が回ってくる訳だ。あいつと親しかった人間なんて、それこそ私くらいのものなんだから。―――思考の内容に誇らしげな色が混ざっていることに気付き、微かな羞恥を憶える。
 確認を取ってみれば、正に私が予想した通りの流れだったようで、我ながら奴に関しては観察力が冴え渡るな、と感心する。まさか死後の出来事で実感することになろうとは、夢にも思っていなかったが。
 
 一頻り納得した、その後。
 どういう話を経たのかは、なぜだか上の空だったので覚えていないが、彼女を引き取ることになったらしい。今後ともよろしく、と少女に声を掛け、依頼人とは、長く続けられなそうであれば連絡を、との約束を交わした。これで、少女は私のものとなった。……言葉にしてみると、嫌な響きではある。
 程なくして、依頼人が帰っていった。見送りを済ませ、自室に戻った、その途端。部屋に待たせておいた、これから私と共に過ごすことになるであろう彼女が、小さな歩幅を刻みながら、私に駆け寄ってきた。
 なんだろう、と思う暇もなく。彼女はポケットからハンカチを取り出すと、背伸びをして、私の顔に押し当てた。
 
「じっとしていてください」

 不器用な手つきで、私の顔を拭う。
 ―――ああ、泣いてるんだ、と気付いたのは、この瞬間だった。
 
 自覚すると、そこには確かに、感情の奔流があった。それを、喪失の悲しみだとか、後悔の念だとか、そういう言葉で呼ぶことは可能なのだろう。でも、それは絶対に、嫌だった。
 慰めも励ましもなく、無言で涙を拭ってくれる少女がただありがたくて―――ああ、確かにこの娘は奴が創ったんだろうな、と直感的に理解した。堪らず、少女の小さな頭を、胸に抱く。掻き抱く腕に力を込める。前が見えないだろうに、まだ涙を拭おうとする様子に、笑いが漏れた。依然、涙は止まらなかったけれど。
 


 その日から、私と彼女との生活が始まった。
 疲れ知らずの彼女の存在は、私の日々の負担を大幅に低減させてくれた。特に家事の方面においてそれは顕著で、家を出て、帰宅するまでの間に掃除が済んでいる、なんて状況が常態化するのに時間はかからなかった。家の間取りさえ覚えてしまえば、彼女に任せられない仕事は何もなかった。作者が優秀に創ったんだろうな、と考えると、少し感慨深いものがあった。あいつは私がいないとどうしようもないくらい、ズボラな奴だったから。
 話し相手としても、彼女は優秀だった。賢く、善良で、優しい。少し幼く、間の抜けたところがあるのは、身体的印象に合わせたものだろうか。作者がそう創ったんだろうな、と考えると、少し嫌な汗が出た。理由はあまり考えない方がよさそうだ、と直感する。
 そんな訳で、私にはどうにも瑕疵が見出せないだけに、彼女がなぜ貰われ先で上手くいかなかったのか、という疑問が残った。誰かの気分を害したり、期待はずれだと失望されたりするようなことは、まず有り得まい。ならばどうして、と訝しむ思いが、私の中に住み着いていた。
 
 その後、数ヶ月の期間を経たある日。問いへの答えは、唐突にもたらされた。
 夢を視た。あいつと私が夫婦で、少女が娘となった、優しい微睡み。そんな、今となっては成立し得ない夢想の中に、私は一つの啓示を得た。飛び起きた私は、彼女の話を持ちかけてきた依頼主に連絡をとった。
 そして、私なりの結論を。


「彼女の欠陥は、全く瑕疵を持たない、という点にあるのだと思います。私の見た限りにおいて、ですが」

「瑕疵を持たない……? それが所有者をして彼女を拒絶せしめた原因であると?」

「ええ。……巷のアンドロイドはもっと機械的で、融通の利かない、非人間的なところがあるでしょう? それに比べて、彼女の感情は人間のソレと遜色がない。人間を不快にさせない、という一点に於いて、完璧であるとすら言えます」

「ええ、僕も初めて見た時には天才の所業だと思ったものです。あれほどまでに人間じみたアンドロイドは他に見たことがない。しかし、それが欠陥である、と。……率直に言って、どういう意味なのか判じかねますが」

「完璧すぎるんです。どこまでも優しく、呆れるほど善良で、淀みなく有能。市販のアンドロイドが非人間的ではあれ、能力については枷を嵌められていないことを思い出してください。もし、彼らの感情面での欠陥が、意図してそう造られた結果であるのだとしたら、どうでしょうか」

「ふむ、つまり……?」

「人間よりも実務能力に優れ、しかし情緒面では劣る、『ロボットらしい』存在。そうじゃないと、見ていて安心することができない。何もかもが完璧な存在は、そこに居るだけで所有者の欠点を―――殊に、その善良さ、従順さに対しては、汚れを―――映してしまう。鏡になってしまうんです」

「―――なるほど。つまり、彼女は人間以上であったから、人間にとっては正視に耐え難い存在となり得たのだ、と。真偽は判りませんが、あり得る話のようには聞こえます。その答えに至ったということは、貴女も?」

「いいえ。……もちろん、私が完璧だから平気だった、なんて話ではありませんけどね。ただ、そういう存在と一緒に過ごすのは、初めてではなかったもので」

「……もしかして、その相手というのは」

「ええ。彼女の製作者は―――あいつは、他人の負の感情がわからない人間で。善性に裏打ちされた良心だけで生きてるような奴でしたよ。……きっと、思いもよらなかったんでしょう。人の傍にいる者が、その善性がゆえに人を居たたまれなくしてしまう、だなんて」

 我慢できずに逃げ出すのは、いつも私の方だった。どこまでも透明なあいつの傍に立っていると、自分がひどく汚れている気がして。
 ならば、今こうして彼女と過ごせているというのは、私が変質した証なのだろう。それを成長と呼ぶべきか否かはわからない。ただ言えるのは、あいつと過ごせるようになったかもしれない私の傍に、あいつが立つことは、二度とないということだけだ。
 顔にハンカチが押し当てられる。出会いと同じ構図だ。心配そうに私を伺う、あいつの映し身。あいつが眺めた世界は、こんなに優しくて、透明なのだと。
 そんなことを考えて、私は泣いた。

2011年12月1日木曜日

外に視る檻

第3回SSコンペ(お題:『別れ』)

 気づいたのは物心がついた頃だったろうか。わたしには、他のひとには見えないものが見えている。それは絵本に出てくる小人のような姿をしていて、言葉を話すことはないけれど、わたしが話し掛けると頷いたり、微笑んだりといった反応を返してくれる存在だった。自我のめばえよりも早く、ともにある他者。ごく自然に、彼はわたしの話し相手になった。
 傍からは見えない存在と言葉を交わしているように見えたからか、幼い頃にはずいぶん気味悪がられていた。友達の集団から軽く疎外されていたような覚えもある。成長してからは過去の奇行も夢見がちな少女の戯れと見なして貰えるようになったのだけれど、にも関わらず、高校生となった今でもわたしは人付き合いの多い方ではない。「彼」に向かって言葉を投げかける、一方通行の対話に慣らされてしまったのか。双方向の対話というものに億劫さを感じていたわたしは、当然の帰結として、対話を不得手とするに至った。そんな息苦しさから逃げるために、ずっと独りでいた。
 
 転機が訪れたのは、ふと思い立って学校の図書室に訪れた時のことだった。
 本を借りる際に応対してくれた、図書委員の男子生徒の微笑みがなんとなく忘れられない。そう思ったのが始まりだ。
 その日以来、何かにつけて図書室へ行くようになった。気付けば、彼の姿を視線で追っている自分がいた。本に没入していたはずが、ふとした瞬間に紙面から意識が逸れて、図書委員のいるカウンターのあたりをさまよっていることが頻繁にあった。
 そんな、まさか、と思う気持ちはあった。一方で、こういうこともあるだろう、と納得する自分もいた。他者に慣れていない自分のことだ、少しのきっかけがあれば簡単になびくのも無理からぬこと―――と自虐してみても、胸に生まれた衝動を消すことは叶わなかった。
 認めよう、わたしは恋をしたのだ。親兄弟とすらうまく会話できない、相手の善意と社交性に阿ることなしには友人関係を築くことすら叶わないわたしが、生まれて初めて、一足飛びに恋をした。
 
 ―――したのだが、まあ、だからどうということもなく。
 
 何かする行動力も、力を借りる知り合いも持ち合わせていないわたしは、毎日のように「彼」に相談を―――相談という名の言い訳の羅列を聞かせ、返ってくる微笑みや首肯に何となく煮え切らないものを感じつつ、特に何もしないまま時間を空費するのだった。

 そんなふうに胸の裡の想いを弄んでいた、ある日。
 その日の当番は例の彼で、どうも貸し出しの仕事が連続しているらしかった。バックヤードに引っ込んでいないのは好都合だ。カウンターに釘付けになっていた彼を眺めながら、いつもこうだったらいいのに、などと益体もないことを考えていると、すっ、とわたしの視界が翳った。誰かが傍に来たのだ、と気付く。

「あの、兄さんに何か?」

 少し低めの、優しげな声。降ってきた軌跡を辿るように視線を上げると、背の高い女子生徒がわたしを見下ろしていた。内心の驚きを極力抑えつつ、言葉を紡ぐ。
 
「あ、いや、別にその……あの、兄さんというのは一体?」

 当然のように、驚きなど抑えきれているはずもなかった。いや、驚いていなければどもらず言えた、と主張するのもいささか自信過剰な物言いだろうか。これがわたしだ、と主張せんばかりの惨憺たる応答。顔から火が出そうだった。消えてしまいたい。
 内心で自虐の限りを尽くすわたしに対して、件の女子は少しも嫌そうな顔を見せることなく、
 
「いつもご覧になってるあの男の人、私の兄さんなんです。その、ここのところずっと見てらしたように思いまして」

 とんでもない爆弾を投下してくれた。邪気なく放たれた言葉がいよいよわたしの心を抉ってくる。頬が熱くなるのを感じた。思考が定まらない。
 
「あ―――いえ、勘違いだったらごめんなさい。責めようとか馬鹿にしようとかいうんじゃないんです。ただ、私以外に兄さんのことを見てる人がいるんだ、って思うと嬉しくてつい」
 
 固まってしまったわたしを見てか、少々あわてたような素振りを見せつつ早口に彼女は続けた。わたしはといえば、言われた内容を満足に飲み込むこともできず、ただひたすらに黙りこくるしかない。そんなわたしに対して些かの侮蔑すらも見せず、彼女は嬉しげに、こんな提案をした。

「あの、図書室で喋るのもなんですし、宜しければ放課後にでもお喋りしませんか?」

 ひとつ、頷いた。更に投げかけられたいくつかの質問にも、同様に首肯を繰り返した。あまりに想像の埒外な展開であったため詳しくは覚えていないが、多少の問答の末、わたしは彼女と一緒に下校する流れとなったらしい。そこから昼休みが終わって、放課後に至るまでの時間もまた、記憶から抜けている。あまりの出来事に、脳の処理が追いつかなかったのだろうか。ふわふわした心地のまま、気づけば放課後になっていた。
 
 帰路、わたしたちはいろいろなことを話した。わたしにとっては、こんなに喋るのは生まれて初めてだ、と比喩でもなんでもなく言えてしまうくらいの会話量だった。
 内容を要約すると、こうだ。彼女は彼のことを自慢の兄だと思っているが、周囲の人は誰も彼の魅力を理解してくれないのだという。そのことで鬱屈としたものを溜め込んでいるところに、彼を注視する女子を発見して、思わず声を掛けてしまった―――というのが、ことの顛末。その行動論理を見れば解る通り、思った以上に豪快な人であるらしく、わたしが彼に恋していると知るや否や、当初抱いていた遠慮がちな彼女の印象もどこかへ吹き飛んでしまった。
 結果、会話の内容も、
 
「―――だから私、嬉しくって。あの、兄さんのどこを良いと思ったのか、宜しければ聞かせてもらえません?」

「ぇっと……正直なところ、自分でもよくわからないんですが。ただ、他の人への振る舞いが優しかったから、かなあ……とか……まあ」

「振る舞いの優しさ……ええ、正にそうです。そこにお気づきになられるとは、お目が高い! そも、兄さんの長所というのは―――」

 ―――といったふうに、惚気とも身内自慢ともつかないものばかりだった。初印象を裏切られたような気もしていたが、決して不快ではなく。むしろ、しどろもどろになりがちなわたしを上手に導いてくれる彼女と喋るのは、わたしにとってはおそらく初めての、息苦しくない他者性との対話だったように思う。少々の疲れは感じたものの、わたしは極めて快く、他人と会話することができた。
 
 その日以来、わたしたちはたびたび帰路を同じくした。彼の攻略、というのを目標に掲げたサポート体制の始まりだ。作戦会議と称しては喫茶店に入り浸り、装備の調達と称しては服を買いに街へ繰り出す。人と喋ることは苦手なままだったけれど、友人と共に過ごす日々は悪くなかった。
 ただ、ひとつだけ不安なこともあった。いつも視界の隅にいた「彼」、その姿をしばしば見失うようになっていたのだ。最初は気のせいかと思っていたが、数週間、数ヶ月と時が経つにつれ、その頻度は増えていった。悲しみはあったが、それは自分でも驚くほどに弱いものだった。長年傍にいてくれた存在、その喪失の予感を得てもなお平静でいられたのは、新たに得た友人の存在がゆえにだろうか。そんなにも、わたしは薄情なものだったのか。そう思うと、自分の小ささに嫌になった。

 更に数カ月が経ち、何度目かの作戦会議を経て帰宅した、ある日。もうその頃には「彼」が見えない時間の方が圧倒的に長くなっていたのだが、この日は昔のように鮮明に、彼の姿を捉えることができた。
 その様子を見て、ああ、消えるんだな、と直感した。
 気の利いたことを言える自信はなかったが、最後くらいは、と思った。或いは、蔑ろにしてきたことへの後ろめたさに突き動かされたのか。判然としないまま、言葉が漏れた。
 
「ずっと話し相手になってくれて、ありがとう。どのくらい役に立ったのかは判らないけど……今のわたしは幸せだよ」

 微笑みだけが返ってくる、ともすれば空虚な受け答え。だとしても、わたしは続ける。いつだって、そこに意味を見出してきたんだから。最後だって、かくありたい。
 
「実際、君がいてくれなきゃ一人でうまく過ごせてたのかも怪しいものだし。ここまで来れたのは君のおかげ」

 返答はない。いつだってそうだった。いつだって「彼」は、黙って話を聞いてくれていた。全て解っている、と言いたげな微笑みと共に。
 ……そう思った瞬間、わたしの中に蟠っていたものたちが、符号した。
 
「ああ―――なんだ、そういうことか」

 他者性との触れ合いを避けてきたわたし。「彼」が決してわたしの言葉を否定しなかったこと。にも関わらず、わたしが「彼」の反応に不満足な思いを抱いた記憶。
 望む反応も、望まぬ反応も、本当に、心の底では望んでいた反応も―――的確に返していた、物言わぬ聞き手。
 
「鏡、だったんだ」

 くるりと輪を描いた、自我の壁。こじ開けて、外界を視た。
 その美しさに魅了されて―――もっと、もっとと広げた挙句、鏡は割れた。必要な犠牲だった、とは言える。通過儀礼だった、とは言える。そもそもがただの鏡映、他者性を宿さないそれとの別れに何を、とも言えるだろうけれど。
 
「―――今までありがとう。さよなら」
 
 今しばらくは、この喪失を感じていたい、と思った。
 しっかり悲しんで、立ち直ったら、綺麗な世界を楽しむのだ。「彼」と同じ、この両眼で。

2011年11月30日水曜日

『せかいにひとつだけの』

「なんでも願いを叶えてくれるんだね?」

「そうね、わたしの自由意志で拒否したくならない範囲でなら、なんでも。『自害しろ』とか、そういうのはお断りよ」

「なら、僕を世界で並ぶもののない作家にしてくれないか」

「いいわよ」

 目を輝かす少年に、少女は軽く微笑みを向けると、挨拶でもするように片手を挙げ、すぐにすとんと落とした。それだけで充分だった。
 その瞬間、少年を除いた人は絶えた。
 
「これで、あなたの物語を外から読む者はもういない。たった一つの物語、異本も認めぬ物語―――それが、あなた」

 告げる言葉は、どこまでも優しい響き。
 
「書きなさい。書くために書きなさい。生かしてあげる。書くために必要なことだけは、何でもしてあげる」

 呪詛にも似た祝福を聞いて、少年の顔がほころんだ。

2011年11月21日月曜日

『抑止の守護者』

第2回SSコンペ(お題:『幼馴染』)

 時代の流れの中で危険性が取り沙汰され、常ならば人のいない場と化したそこでは、誰かの存在がすなわち非日常の証左となる。
 今しも相対する一組の男女、その間に横溢する空気も、和やかな歓談を予期させるものでは決してない。
 無言で見つめ合うこと、数分。女の方が、先に口火を切った。

「―――私たちさあ、いつまで幼馴染でいればいいの?」

 極めて平坦な声色。
 そこに含まれる感情は、哀切か、諦念か、あるいはまた別の何かか。
 いずれにせよ、問い掛けには縋るような響きが乗っていた。
 しかし、

「ずっと、だ」

 言外に意味するものを汲み取って、それを真っ向から切り捨てでもするように、男は告げる。
 女の温度が傍目にも明らかなほどに下降していく。
 感情の急激な冷却は、爆発の前哨にも似ていた。
 
「……なんで? ずっと傍にいたんだよ。もっと近づきたいと思うのって、そんなに悪いことなの?」

 縋るような響きは既に失せている。
 詰問、或いは確認を目的とした、攻撃。

「互いにとって不幸にしかならないなら、俺は認めない」

 だが、それすらも意に介さず。
 苦渋の色を滲ますでも、或いは嘲笑の雰囲気を漂わすでもない、事務的な返答だけを投げて寄越した。
 その平静さが、火に油を注いでいく。

「あんたが認めようが認めまいが関係ない。……一方的に、踏み越えるよ」

 侵略する意思の表明。それは、後戻りしない、という決意の表明でもある。
 或いは、痛みのない結末を選ばない、選ばせない、という最後通牒でもあった。

「やってみろ。出来るものならな」

 どこまでも手応えを返さぬ男に、しかし女は激昂するでもなく―――微笑すら浮かべ、告げる。
 
「ええ。幼馴染で終わらせなんかしない。彼は(・・)わたしのものよ」

 仏頂面を保ってきた男が、ここにきて初めて、表情に変化を見せた。
 口の端を少しだけ吊り上げた、獰猛な笑み。

「ほざけよ。そうはさせない。あいつは一生、お前みたいな女に娶られはしない」

「―――――――――」

「―――――――――」

 沈黙がその密度を上げる。
 緊張感が増す。
 目には見えない何かが、きりきりと引き絞られていく感覚。
 一触即発の空気。
 
 ……だが、

「―――っていうか根本的な疑問なんだけど、何であんたが障害として立ち塞がるワケ?」

 心底不思議だ、とでも言いたげな表情で、言った。
 ぴん、と張り詰めていた空気は、完全に霧散した。
 
「わたしと彼がどうなろうとそれは当人同士の問題であって、あんたが間に入ってくる義理なんてなくない?」

「いや、ある」

「何? 言ってみなさいよ」

 うむ、と頷き、

「みすみす淫売に親友を渡すことなど受け入れがたい。あいつにはもっと相応しい女性がいるはずだ」

 しみじみと語る。
 その貫禄、もはや父親のそれであった。

「淫売っつった? このムッツリが」

「じゃあ聞くが、恋人になったとして何とする?」

「すぐにでも泣き叫ぶまで犯す」

 いい笑顔で。
 朗らかに。

「死ね」

 死んだ目で。
 吐き捨てるように。

「彼、逆レイプと順レイプとならどっちが好みなのかしら」

 そばとうどんの好みを聞くがごとき気安さであった。

「その言動こそがお前を野放しにできない理由なのだと知れ」

「いいじゃない、健全なだけだと倦怠期が来るのも早いって聞くし」

「お前が健全であった瞬間を一度たりとも観測できた覚えがないんだがな、俺は」

「……ベッドの中では貞淑なの。言わせないでよムッツリ」

「さっき泣き叫ぶまで犯してやりたいとか言ってたのはどこの誰だ?」

「え? 何でベッドの中で犯す前提なの?」

「ああ、うん。お前と会話できると思ってた俺が馬鹿だったな」

 双方ともにうんざりとした。
 なぜ自分はこんな馬鹿を相手にしているのだろう、という疑問だけがこの場で共有された唯一のものである。
 そのまま、沈黙が続き、数分が経過した頃。
 表情に喜色を浮かべた女が、満面の笑みで言った。

「……あ、ひょっとしてわたしのことが好きだから邪魔しちゃう、複雑な男心、とか?」

 刹那、男の呼吸が止まる。
 
 その様を見て、からかいの色に染まっていた女が、う、と呻いた。
 表情が羞恥に染まる。そう長くもない時間だというのに、それと判るほど、その頬に紅みを帯びていく。
 やがて、数瞬の沈黙の果てに、

「―――頭、大丈夫か?」

 心底不思議だ、とでも言いたげな表情で、言った。
 甘やかに漂っていた空気に、亀裂が走る。
 
「……屋上へ行こうか?」

 もしかして、と一瞬でも思った自分への苛立ち。そして恥ずかしさ。
 そして、一握りのよくわからない感情。
 混ざった結果は、ドスの利いた脅し文句だった。

「ここが屋上だ」

「なら、手間が省けていいことね」

「ああ、全くだな」

 言いながら、ファイティングポーズ。
 ―――彼らの日常は、まだまだ続く。

2011年11月14日月曜日

『強く、儚く』

第1回SSコンペ(お題:『病弱な姉/妹』)


「入るよ。姉さん、具合はどう?」

 降ってきた声に、夢と現の境を茫洋と漂っていた意識が焦点を結ぶ。
 導かれるまま視線を上げると、洗面器と手拭いを持った弟の姿が見えた。
 ああ、看病に来たんだな、と胡乱な頭で理解する。
 せっかくの来訪だ、手を挙げて応えようかとも思ったが―――存外、身体が重かった。
 仕方なく、「大丈夫よ」とだけ口にした。
 ……瞬間、その、己の声の儚さに驚く。
 察するものがあったのだろう、彼は眉根を寄せると、
 
「……いつも通りとはいえ、今回は随分と長引くね。風邪と侮らない方がいい、ってお医者さんも仰ってたけど」

 返されたその言葉が、随分と深刻に響いて聞こえたものだから、ばつが悪い。
 今更、本当に大丈夫だから、と念を押したところで逆効果だろう。
 どうあっても気を遣わせる羽目になるとは、つくづく自身の脆弱さが厭になる。

「……いたって快調だけどね。ただ、寝起きだから、さ」

「ああ、それでか。なら安心なのかな」

 負け惜しみ気味に放った言葉も、丁重に切って落とされた。気遣いのおまけ付きで。
 ああ、これはもう黙っておいた方が良さそうだ、と観念する。何を言ったところで意味を成すまい。
 そう思い、彼から視線を外してしばし放心していると、程なくして、曖昧さが意識を侵食してくるのを感じた。
 これは、また寝てしまいそうだな―――と、危惧したそのタイミングで、額に冷たい手拭いが乗せられる。
 霧散しかけていた意識が、輪郭を取り戻す。
 表情で知れたか、純粋な勘か。いずれにせよ、絶妙な機先の察知だった。
 視界の隅に、小さく微笑む弟の顔が、熱にうかされ、揺れて見えた。
 
 ―――その様を見て、ふと、魔が差した。
 
「ねえ」

 洗面器を片そうとしていた彼が、首だけでこちらを向く。
 視線が絡むのを待ってから、わたしは両手を広げて、おいで、と告げた。
 彼は何を問い返すこともなく、小さく頷くと、私の上に身体を重ねた。
 重さが掛からないようにと、たすきがけに手をついて。
 少し浮いて、わたしの身体を斜めに分割する、彼の身体。
 その身体を、抱き寄せた。
 ゆっくりと、腕に力を入れていく。
 華奢に見えて、その実わたしよりも固く締まった骨格が、わずかに緩むのを感じた。

「どうしたの?」

 彼の涼しげな声に、動揺の色は読み取れなかった。
 抱きしめ返すでもなく、抗うでもなく、抱擁されたまま、わたしの真意を問うてくる。
 この反応に、悔しいなあと思うわたしがいて。
 でも一方で、ああ、これがわたしの弟なんだなあ、と静かに満足するわたしも、確かにいた。

「温度。移してあげようと思って」

 適当に放った言葉。
 なにそれ、と彼が笑った。わかんない、とわたしも笑った。
 ……でもそれは、正しく状況を記述する言葉ではあったのだろう。
 わたしの熱が、彼の身体に移譲されていく。触れ合った部分を起点に、染み入るように。
 接点で等しく保たれた温度が、二人を繋ぐよすがとなって、あやふやな絆を確かなものと誤認させる。
 
 ―――だめだ。この欺瞞は、余りにも、都合が良すぎる。
 
 衝動が、訳のわからない焦燥感と、自棄じみた昏い想いを喚ぶ。
 努めて外に出さぬよう、嚥下して。
 ……呑みきれなかったものが、胸中に蟠った。
 
「看病するの、面倒でしょう?」

 零れるように、言葉が生まれる。
 同時に、意識が急速にぼやけていくのを感じた。
 無意識に紡がれたその言葉が、本心なのかどうか。
 熱に染まった頭には、もう判らない。
 そんなあやふやな言葉に、彼は初めてわたしを抱きしめ返して、
 
「面倒だ、って言ったら楽になるのかな。なら、言うよ」

 ―――ああ、この弟は、なんだってこう、優しい/厳しいのか。
 尊敬と嫉妬が綯い交ぜになった混沌の中、ゆっくりと意識が剥離していく。

「あんた、強いわ」

 紡いだはずの言葉が、適切に出力されているかすら、自信がない。
 ただ、

「強いひとの弟だからね。強くならないと、務まらない」

 途絶の間際に聞いた、その言葉が。
 どこまでも優しく響いたことを、憶えている。

2011年7月27日水曜日

『因果の軌跡と奇跡の結実』

「奇跡で終わる物語ってのが、どうにも好きになれなくてね」

「へえ。例えば、どんなところが?」

「……そうだな。たぶん、ご都合主義な面が受け入れがたいのだと思う」

「ふうん。つまり、あなたは奇跡の存在を前提としたような絶望的状況を、敢えて奇跡無しに解決する―――それもご都合主義的にではなく!―――お話が好きなのね? そうでしょう?」

「どうも悪意を感じてしまう言い方だけど、間違ってはいないね」

「あらあら、ごめんなさいね。ついつい穿った言い方をしてしまったけれど、嫌いじゃないわよ、その視点。そうね、ロマンチックで―――純粋だわ」

「意外な評価だな。その心は?」

「だって、あなたはこう言っているも同然なのよ。『極めて物語的な苦難を、ご都合主義の奇跡に頼らず、しかし納得のいくよう綺麗に解決しろ』と。あなたは物語を望んでいる。綺麗な因果によって一筋に連なるような、部分と総体が完璧に相補であるような、綺麗な物語を望んでいる。善き物語は運命のもとに定められている、と言わんばかりに。その視点がロマンチックでないなら、何だというの?」

「そういう観方は、初めてだよ」

「保証してあげる。あなたは誰よりも純粋なのよ。望む物語を、奇跡"ごとき"に汚されるのは許せない、と断ずるあなたは。あなたは望むのね。どこまでも成立し難い、畸形じみた『普通のお話』を。楽な視点ではないでしょうけれど、貫いてみなさい」

2011年6月14日火曜日

『乙女心と初夏の空』

 もう一週間も、僕の住む街は雨に覆われていた。
 外を伺うと、窓硝子には幾条もの細い筋。視線を上げれば、そこには雲一つ無い晴天。
 鼓膜を震わせる雨音は、高く、か細く。柔らかな紙を手で裂くような、そんな音を幾つも幾つも重ねたような雨音だ。
 ……一週間見続けた風景に溜息を吐いて、僕はカーテンを閉めた。

「雨は嫌?」

 背後からの声に振り向くと、居候がこちらに視線も向けずにテレビを観ていた。
 背中まで伸びた金髪、微かに青みを帯びた瞳。それでいて西洋の血を感じさせない、不思議な少女だ。

 一ヶ月前に出会い、一週間と少し前から僕の家に入り浸るようになった、身元もわからない少女。
 ちょうど、彼女がこの家に来た直後だったろうか。天気雨が降り始めたのは。
 その時はひどく驚いていたように見えたのだけれど、それも最初の日だけで。
 翌日からは、雨のことを話題に出すこともなくなった。……のみならず、雨について触れたくないようにさえ見えた。
 だから僕も、意識的に避けていた話題だったのだ。

 そんな彼女からこんな問いが出るとは予想しておらず、僕は内心、少なくない驚きを覚えていた。
 その驚きを表情には出さないように努めつつ、応じる。

「嫌じゃないけど、こう続くとね。それに、なまじ見た目だけは晴れるものだから、外に出たいって気持ちばかりが募る」

 ふうん、と軽く応じて、彼女はまた視線をテレビに戻した。
 そこからまた、暫しの沈黙。
 時折こちらに投げられる視線で、タイミングをはかっているのだと知れた。

 やがて、テレビ番組が終わった。
 僕ら二人の集中が同時に逸れた時、彼女が言葉を発した。
 
「雨を晴らす方法がある、って言ったらどうする?」

 その言葉に、ああ、やっぱり、という納得があった。
 彼女がこの異常な天気雨続きに関わっていることは、予想していた。だって、あまりにも出来すぎている。
 彼女が家にやってきた、一週間前のあの日。
 あの天気雨を―――まだ異常と見なすまでもない、最初の日の、ただの天気雨を前に、傍目にも過剰なまでに驚いていた彼女の様子を見れば。
 そこに何かあるのだと、思わずには居られないだろう。

 予想していたから、僕の返す言葉も、すぐに出てきた。

「僕にできることがあるなら、手伝う心づもりはあるよ」

「本当?」

 小さく身を乗り出して彼女が言う。
 怠惰と無関心のポーズを信条とする彼女にしては、それは珍しく、強い情動を感じさせるような動作だった。
 ……こちらの驚きに気づいたのか、少し頬を染める。息を整えるような仕草を見せてから、彼女は言葉を継いだ。

「具体的にはどの程度の協力まで可能? 具体的に条件を付けて明文化して欲しいのだけど」

「そうだなあ……。大きな金銭が絡まず、身の危険もない範囲で、なら何とか」

「身の危険というのは怪我や病気のことと解釈しても?」

「ああ。それでいいよ」

 平素から簡潔で捻った会話を好む彼女にしては、いやに遠回りな会話ではないか。
 そう訝しむ僕を尻目に、彼女は何やら黙りこんでしまった。
 急かすのも憚られる雰囲気だったので、彼女に倣って、僕も黙った。

 数分か、或いは数十秒に過ぎなかったか。
 顔を上げた彼女は、いつの間にやら、その顔を真っ赤に染めて。

「私がここに来たことで、『始まった』と見なされた。だから、天気雨が降る。
 なら―――雨を止めるには、『終わらせて』やればいい。完遂してしまえばいいのよ。
 あなたがどちら(・・・)を選ぶかまでは、私には判らないことではあるけれど……」

 尚も話の掴めない僕に、彼女はこう続けた。

「―――天気雨の別名。知ってる?」

2011年4月25日月曜日

『想いを繋いで』

 荒野をゆく旅人がいた。
 もしかしたら、と。確証のない希望にすがり、体躯に見合わぬ荷物を背負って、どこまでも、どこまでも。
 広漠とした世界。それでも誰かに会えるかも知れないと、痛む足を引きずって。

 進んでいるのか、止まっているのか、判然としなくなったのは何時のことだったろうか。
 緩慢な歩みはついに途切れ、やがて自然に足は崩れ、旅人は地に伏した。
 横たわる瞳には悔しさが滲む。
 このまま誰にも会えずに終わるのかなあ、と独りごちる。

 そんな彼に、黒い影が被さった。
 顔を上げればそこには化物。黒く染まった、異形のヒト。
 瞳も鼻も、耳もなく。黒いヒトガタに、真っ赤な口だけが裂け目のように走っている。
 ヒト二人分はあろうかという巨大なソレは、大きく口を開いて、旅人に迫った。

 刹那、息を飲み―――一瞬遅れて、理解が訪れる。
 
「ありがとう。連れて行ってくれるんだね」

 赤い空洞に何を視たのか。旅人は、微笑みを浮かべながら、化物の腹に消えていった。
 飲み込んだ分だけ大きくなる、その体躯。膨らんだのは、旅人の分。
 化物はやがて、旅人の荷物を抱え、歩き出した。






 ―――このセカイで、もしも誰かと会えるとしたら。
 ―――僕はもう駄目だろう。でも、希望を確かめることさえ出来れば、僕は。

 



 原初の願い。
 邂逅を望んだ、少年の想い。
 食らって、呑んで、また食らって。
 何人もの想いを腹に、化物はまた、希望を探す旅を続ける。

2011年4月18日月曜日

『ぺるそながーるず』

「はい、お兄ちゃんの分のおべんとう! 今日も美味しく作れたよ!」

 昼休み、屋上で食事をとるのが彼らの日常だった。
 春先の風は冬の名残を幾分感じさせるものであったけれど、気心の知れた者同士で食べる昼食は、多少の肌寒さなんて吹き飛ばしてしまうものだろう。
 最愛の妹がこしらえた、簡素ながらもどこか可愛らしく包まれた弁当箱を受け取って、彼は顔を綻ばせた。
 
「いつもすまないね」

 妹が毎朝早起きして作ってくれる弁当。本当にできた妹だ、と彼は思う。
 妹もまた、敬愛する兄の謝辞に笑みを深める。そして、そんな兄の軽口に乗ろうとして、

「それは言わない約束、ってやつですね」

 横から割り入ってきた声に、出鼻をくじかれた。
 頭上から顔を突き出し、座っても? と二人を伺うのは、彼ら共通の先輩であった。この兄妹の食事にこうして合流するのが、新学期からの彼女の日課なのだった。
 
「ここ最近は毎日いっしょに食べてるんだから、もうそういうのは止めましょうよー。水くさいじゃないですか。……お兄ちゃんもそう思うよね?」

 台詞を横取りされた恨みがあるのか、ぷりぷりと怒りながらスペースを空ける妹に、兄は苦笑いを返す。
 そして、格好を付けるでもなく、

「そうだね。でもまあ、そういう律儀なところが先輩のいいところだから、さ」

 さらりと、気障な台詞を吐いてのけるのだった。
 沸き立つのは、少女たちである。

「あう……。そう真正面から褒められると、照れてしまいます……」

「あー、せんぱいったらかわいいなー!」

 三人の笑い声が、人のいない屋上に響いた。
 
 
 


「―――あ、そういえば、僕はちょっと用事があるんだった。二人とも、また後でね」

 昼食を食べ終えて暫くすると、彼はこう言い残し、席を立った。
 遠のいていく足音、屋上の扉が閉まる音、屋上への階段を下る音。その全てを聞き届けると、二人の少女の間に漂っていた空気は、弛緩することをやめた。
 
 先に切り込んだのは、妹である。
 
「……良い機会だと思うから単刀直入に聞きますけど、何で私たちの食事に割り込んでくるんです? 私たち、前学期までは特に親しい訳でもなかったでしょう?」

 その表情に、声色に、敵意を隠そうともせずに言ってのけた。
 そしてまた、受ける少女も異常には違いない。彼がいた時と同じ笑みを、これだけの害意に晒されてなお、揺らがせないのだから。

「彼がわたしと同じく生徒会に所属し始めたから。要は、有望な後輩と懇意にしておきたかったから……というのはどうです?」

「馬鹿にしてるんですか?」

「ええ、もちろん」

 睨みあい―――否、探りあいである。

「兄さんに恋を?」

「あら、さっきまでは『お兄ちゃん』だった気がするんですが……わたしの気のせいでしたか?」

「『あう……』とか口に出して言ってた人間に言われたかないです。なんですかそれは。ヒロイン気取りですか。マンガ世界に帰ってください」

 探りあい―――否、単なる口喧嘩であった。

「彼がどういう女の子を好きだか解らないでしょう? キャラ変えつつリサーチ中なんですよ察してくださいよ頭悪いですね」

「少なくとも裏表激しい二重人格女に惚れたりはしないと思いますけどね私は」

「あれれ、それって自己紹介ですか? そういう話の流れじゃなかったと思うんですけど? 文脈読めてますー?」

「ブチ殺しますよこの年増が」

「人の恋路に頭つっこんでんじゃないですよ実妹の分際で」

 両者とも、ひとつ息をつき。
 
「……貴女が兄さんを狙ってるのは解りました。渡しませんけどね」

「姑気取りですか。まあ構いませんよ、結婚式では悔し涙とともにスピーチしてもらいますから」

「もう結婚式の妄想ですか。どんだけ気が早いんですか。ちょっと素で気持ち悪いと思いましたよ今」

「何とでもご自由に。添い遂げる相手はもう彼に決定してるんですから。実妹の貴女は悲恋に泣いたり何処の誰ともしれぬ人間に寝取られたりしてればいいんですよ」

「うわ、エロまんが脳だ……。エロまんが脳がいる」

「解っちゃう貴女も大概でしょうに!」

 ぐぬぬ、と睨み合う少女二人。
 やがて、どちらともなく、笑みを浮かべる。皮肉げに口角だけを持ち上げて。
 奇しくもそれは、鏡写しの構図であった。

「まあ、わたしの恋愛劇をかぶりつきで眺めて涙するといいです」

「悲劇にならなきゃいいですねえ。たとえばインセストな感じのバッドな展開とか、ね」

 口喧嘩が今一度ヒートアップしようかというその時に、階段を登る足音が聞こえた。
 二人は打ち合わせることなく、しかし完璧に対称のとれた動きで元の位置へと素早く戻る。
 扉が開かれた瞬間には、彼が席を立つ前と寸分違わぬ情景が再現されていた。
 
「二人ともまだここに居たのか。用事も終わったところだけど、昼休みももう終わりだし、撤収しようか」

「ええ、そうですね。―――ねえ、妹さん。お話の続きはまた、お兄さんの居ない時にでもしましょうか」

「うん! さっきの話はちょっと、お兄ちゃんには聞かせられないからねー」

「あはは、僕には内緒の話なのか。いや、仲が良いみたいでなによりだね」

 肩を組んで軽口を叩き合う妹と先輩に、彼の表情が緩む。
 ―――微笑む彼からは、彼女らが脇腹に一本拳を埋めあっている様が見えなかった。見えない角度を選んで、両者ともに同じ攻撃を選択したのだった。
 朗らかに笑う少年と引きつった笑いの少女二人。彼らの歪んだ関係は、まだ当分続くことになる。

2011年4月14日木曜日

『どこがすき?』

「わたしのお姉さまになってくれませんかっ!?」

 昼休み。屋上に呼び出された少女を待っていたのは、もはや日課と化している年下の少女からの求愛であった。日課というのは誇張ではなく、彼女は実際、日に一度は呼び出されて「お姉さま」となることを求められている。
 年上の少女は、瞑目して頭を掻き、目の前でじっと自分を見つめる後輩を眺めつつ―――何度目か判らないほどに繰り返してきた台詞を今一度頭の中で繰り返して、
 
「悪いけど答えは同じだ。興味ないんで、パス」

 低い声でそう告げた。
 告げると同時に曇ったであろう、色を失ったであろう後輩の顔を視界に収めないように、彼女は早足でその場を去った。
 後に残された少女がどんな顔で何を想うのか、彼女は知らない。知りたくもなかった。
 
 
 
「で、姉さんは結局、想いに応えたいってことで良いんだよね?」

 年上の少女の部屋、彼女は弟を招いて話をしていた。議題は件の年下の少女について。
 弟の単刀直入な物言いに言葉を詰まらせながらも、彼女はしばらくの間をおいて、こくりと頷いた。
 
「だってさ、初めて言われた時には気が動転してたし、ちょっと考える間が欲しかったってのも本当のことだし、そんな状況で軽々しく受けられる話でもないと思ったんだよ。でも冷静に考えて、ああ、こんなにあたしのことを好いてくれる子がどれくらい居るのかなあ、って思ったら受けてもいいかなって気持ちが強くなってきて、それで」

「いざ受けようと思ってみたらタイミングが掴めずここまで来た、と。端的に言ってヘタレだよね、姉さんってば」

「……弟よ。手心とかそういうアレは売り切れてるのか」

 長々とした弁明を断ち切る指摘に、彼女の頭が力を失い垂れ下がる。

「姉さん以外のひとに対してはいくらでも用意してるさ。まあ、僕はシスコンだからね。敬愛する姉にはついつい本音が出てしまう」

「愛が痛い……」

 背をベッドに預けてゆるゆると崩れ落ちる姉を見て苦笑しつつ、しかし弟は真面目な声色をもって言葉を紡いでいく。
 
「正直な話、さ。姉さんがヘタレってのは事実として、他にまた理由があるらしい、ってのは解るよ」

 その言語に、姉の表情が剣呑さを帯びる。

「ふうん。言ってみ?」

「じゃあ言うよ。姉さん、『好かれたのは外面を繕ってる時の格好いい自分であって、こんなヘタレな理由でずるずる先延ばしにするような自分じゃないかも知れない』って思ってるだろ。いや別に肯定も否定もしなくていいんだけどさ」

 沈黙は雄弁であった。
 しかし言葉通りに返事をしない姉に、弟は尚も言葉を浴びせる。
 
「それはね、姉さん。それは、傲慢な考えだよ。姉さんが自分で思ってる『自分の良いところ』ってのが何なのかは知らないけどさ、他人が自分を好くとしたらそれをだろう、って決めつけて忖度するのは違うよ。それは、相手をヒトとして侮辱してるようなものさ」

 言って、弟は立ち上がった。姉からの反応はない。しかし彼は、自らの姉が―――自慢の姉が、これだけ言われて何も考えられない人間であるなどとは微塵も思っていなかったし、それどころか自分すらも考えていなかったような素晴らしい境地に至れる人間であると、そう信仰していたのだ。だから、そのまま部屋を出ることに微塵の躊躇も見せなかった。
 そして彼の予想通り、後ろ手に閉めた扉越しに、小さな己への発破の声が聞こえるのである。
 
「損な役回りだよなあ。見も知らない女の子とやら、嫉妬するよ」

 小さく、呟いた。
 
 
 
「あのさあ、あんた今日も先輩に告白すんの? そろそろ諦めた方がいいんじゃない?」

「告白じゃないよ。妹にしてもらうだけだもの。それに、本心で断られない限りは絶対に諦めないって何度も言ってるじゃない」

「本心で、ねえ。そんなにも自分の目に自信があるわけ?」

「そりゃね。きっと、あのひとの事をいちばん良く見てるのは、世界レベルで見てもこの私だと思うよ」

「ふうん。まあ、わたしに止める筋合いなんぞありゃしないからね。存分におやりよ」

「言われなくたって!」

 毎朝のように繰り返してきた軽口が、この日をもって終わることを、彼女は知らない。
 今日こそは、と心に決意を刻んで、少女は軽やかに屋上への階段を登っていった。

2011年4月13日水曜日

『けんじゃのじかん』

「『君が好きだ、愛してる、ああ、おかしくなってしまいそうだ!』」

「『わたしもよ。あなたが好き。言葉の非力さがもどかしいわ』」

「『どうすればいい? 教えてくれ。君のためなら何でもする!』」

「『じゃあ、抱きしめて。それだけでいい。それだけがいい』」

「……それを聞いた男は、女を壊れんばかりに抱きしめた、と。なるほど、これで恋愛が成就した訳だ。どう思う? とりあえず二人にとって幸福な形に納まったように見えるんだけど」

「ロマンチックだわ…………たぶん。正直実感はできてないけど、おそらく客観的に見てロマンチックなはず」

 月に照らされた夜の公園で、本を広げて男女が向い合っていた。
 そこに綴られた純朴で暖かな恋愛劇を、彼らは科学者の眼差しで読み取ってゆく。
 
「……まあ、理屈の上では理解できてるんだよな。己の内から湧いてくる熱い情動、抑えきれない想い。それがきっと、『純粋』だとして持て囃されたことがあるだろうことも。でも、肝心の『感情』それ自体が実感できない」

「原理的に、私たちは理解し得ないんじゃないかしら……って疑念はとりあえず脇に置いておくとして、とりあえず、理解の芽があったとしても手法自体に私は疑問を抱いてしまいそうなのだけど」

 身振りも手振りも極端に少なく、抑揚も感じられない、平坦な会話だ。
 そんな交感を当たり前のものとしているのか、二人は淡々と言葉を交わしていく。

「演劇が駄目、かい? まあ、感情を剥奪されてるらしい(・・・)からね、僕らは。そもそも無理なのかも知れないし、一方でとやかく言っても仕方ないのも確かだ。それには同意するよ。それでも、これ以外に方法があるか、と言われると僕には見当がつかないな」

「模倣して理解しようって発想は悪くないと思うわよ。でも、私たちの持ってたはずの『衝動』ってものが、鈍くなってるのか、或いは完全に無くなってるのか―――後者だとしたら、何をしたって徒労でしょうね、とも思う。詮なきことだけど」

「ああ。考慮しても仕方のないことさ。とはいえ、未来もない世界に生きてるんだ。酔狂に死ぬのも悪くないように思うんだけど」

「その言葉に胸がキュンとしたり頭がのぼせ上がったりしたら目標達成なのだろうけどね。残念ながら、そのとおりね、と納得する気持ちしか浮かばなかったわ」

 『戦争は男が起こす』。過激なフェミニストの言説に見られた主張だが、これが更に先鋭化/一般化し、遂には『衝動が諍いを起こす』という認識を生じさせてしまった世界があった。そして、ヒトは衝動を捨て、真に理性的な生き物となるべきだ、という信仰が狂熱を帯びて世界を覆った。
 脳科学の発達した世界であれば、倫理さえ無視してしまえば然程難しくもない処置である。生まれた子に施される、衝動を去勢するイニシエーション。子の代へ孫の代へ受け継がれた儀式はしかし、世界から活気を奪い、緩慢な滅びを招き寄せるに至った。
 たゆたうように終わっていく人類史。その黄昏の中で、前世紀の/全盛期のヒトの情動に興味を持つ者が現れても、驚くにはあたらないだろう。
 彼らがしているのは、つまりそういうことだった。

「称揚されていた生き様、何より尊いとされていた想い、そういったものが根こそぎ狩られてしまった世界って、何なんだろうね」

「さあ。とりあえず、誰も『世界を救おう!』と思う程度の衝動すら発揮できないあたり、種としては退化してるのかも知れないわね。ヒトのセカイもまた同様に縮んでしまったと言えるかしら」

「悲劇的、なんだろうな。きっと。多くの書物を読んだ経験から言えば、きっとこの状況は悲劇で、この世界はディストピアなんだろう。前世紀のヒトから見れば。ヒトがヒトである意義すら消失して、尚も続いてる世界だなんて」

「そうは言うけれど、悲壮感のない悲劇なんて喜劇みたいなものじゃないの?」

「違いないね」

 観測する者のない世界、悲劇と理不尽に飲み込まれた者たちの世界は、穏やかに朽ちていく。

2011年4月10日日曜日

『いいよ、待ってる』

「僕のことが信用できないのかい?」

「全部が、とは言わないさ。お前がその、なんだ、全能の者だってのは理解できたよ」

 部屋の中に散らばった雑多な品物―――PC、ゲーム機、テレビ、書籍、楽器、その他ありとあらゆる「俺の望んだ」もの―――を横目で確かめながら、俺は目の前で首を傾げる少女にそう言った。この品物は全て、少女が俺のリクエストに応え、空中から手品のように出現させて見せたものだ。
 
「そうか、それは良かった。喜んでもらえてるかどうか不安だったが、少なくとも僕の力の証明にはなったということだね」

「ちなみに言っておくが、このプレゼントに関しては本気で嬉しいと思うぜ」

 何せ、我を忘れて欲しい物を次々とねだってしまったくらいである。あさましいなあ、と自らを恥じる気持ちも有りはしたのだが、それ以上に、心底楽しいといった調子で応えてくれる少女の笑顔が眩しくて―――いや、止そう。
 逡巡しかけた俺の内心を知ってか知らずか、少女は顔を綻ばせる。

「いや、それは重畳。全くもって嬉しいね」

 にっこり笑った少女はしかし、次の瞬間には眉をヘの字にたわませて。

「さて、じゃあ訊こうか。僕がそのような力を持つ……少なくとも無から有を生み出す程度のことが可能な存在であることはご理解頂けたと思う。じゃあ、何が理解できないと言うんだい?」

 その声色は呆れているようにも、困っているようにも聞こえた。そして何より、悲しんでいるような響きをすら、含んでいたように感じた。
 だから、ここで誤魔化してはいけないと俺は思ったのだ。

「お前が俺を好きだという、その理由が解らない」

「……理由か」

 頬杖をついて考える素振りを見せた少女に、言葉を被せていく。

「ああ。自慢じゃないが、俺は人並みの能力しか持ってない普通の人間だよ。そんな存在になんでお前みたいな凄い奴が興味を持つのか、それが全く解らない。常識的に考えて、釣り合わないにも程があるだろ」

 最後の方は何か滅茶苦茶になってしまった気もしないではないが、ともかく一息で言い切った。少女は瞼を閉じ、少し考え込むようにして、
 
「申し訳ないが、想いの根拠を説明することは出来そうにない。何たって、一目惚れだからね。長く生きてるが初めての経験だ。それと、釣り合うかどうかで考えるなら、僕に釣り合う存在なんて居やしないよ。だから、君の能力は理由にならないし、君の環境も理由にならない。『理由なんてない、でも一緒になりたい』。それじゃあ駄目かな?」

 俺は、そう問いかけてくる少女の顔が、僅かに翳っていることに気付いた。気付いてしまったのだ。
 何かを考えるより先に、肯定の言葉が口をついて出そうになり―――しかし、
 
「……おっと! その先は言っちゃ駄目だ。僕は飽くまでも君という人格と対等に付き合いたい訳でね。同情で一緒になって貰っても困るのだ。いや、気持ちは育てるもの、という思想を否定しようとは思わないがね」

 少女はそんな僅かな心の乱れさえ認めなかった。高潔にも程がある。僅かな安堵と後悔の入り交じった感覚が去来する。
 出鼻を挫かれて何も言えずにいる俺に、少女は尚も言葉を続けて。
 
「君が僕の想いを確証を以て受け入れられるまで、返事については保留しよう。なに、会うことはいつだって出来るんだからね。まずはお友達から始めましょう、というやつさ。だから、」

 少女の笑みに、慈しむような色が滲む。
 
「君が気に病むことなんて何もない。僕みたいな者に迫られれば疑心を抱くのが当たり前だ。そのことで悩んだりしないで欲しい。本当なら、全能の力を思う存分振るって、君の自由意志さえ剥奪してモノにしてしまうべきなんだ。人外の優しさというのはそういうものだからね。こうやってそのままの君に接しているのは、だから僕の我儘でしかない」

 言い残して、少女の体がその輪郭をあやふやにしていく。風景と融け込むようにぼやけていく。
 去るのか、と頭で理解して。理解した時には、もう言葉が溢れでていた。
 
「それでも―――それでも、俺はお前のそういう態度、立派だと思う。好感を持てると思う。だから、単純に応えてやれない俺の弱さが、自分でも悔しい」

「ああ、気に病まないでくれとは言ったが……そんな殺し文句を聞いてしまっては、どうにも前言を撤回したくなるから困るな。僕のために悩んでくれる存在というのは、存外心が踊るものなんだなあ」

 くすくすと笑い、去り際に少女は、
 
「ああ、待ってる。待ってるとも。気負いなく僕の言葉を受け止められる時が来たら、答えを聞かせてくれないか」

 頷く俺に、にっこりと笑って。
 不器用な神様は、俺の目の前から消えたのだった。

2011年4月8日金曜日

『くまとなかま』

「楽しい仲間がぽぽぽぽーん!」

 テレビから軽快な音楽が流れる。状況に味方され、加速的に認知を広め、消費されたCMだ。
 男は、Twitterのタイムラインを眺める。
 楽しい仲間をもじったネタ。楽しい仲間を基にした大喜利。楽しい仲間それ自体への批評/感想。「楽しい仲間」とは即ち、「ぽぽぽぽーん」の枕詞である。少なくとも今、この観測範囲ではそうなのだろうな、と男は思った。
 その現実を認識して、男は居ても立ってもいられなくなった。激情に任せて立ち上がる。そのまま小刻みに、何度も何度も練習した踊りをなぞった。
 
「愉快な仲間がッ、楽しい仲間がッ、イェーッ、みんな待ってるぜェーッ……」

 踊る熊に、しかし仲間はもういない。
 

2011年4月7日木曜日

『その名前は。』

 桜の木につぼみが芽吹いた。
 縁側に座る少女は、茫洋と、桜の木を眺めている。新しい季節の到来を象徴する風景に、しかし、目を輝かすでも、笑みを浮かべるでもない。ただ両の目に風景だけを溶かし込むように。
 
 いつ終わるか―――いや、終わるかどうかすら知れぬ長い命。その端緒は長い生に擦り切れた少女にはもはや思い出せなかったし、その過程は思い出せるほどに色づいたものではなかった。絶望も希望もなく、ただ引き伸ばされた生を、物語なく生きる日々だった。

 そんな灰色の中に、僅かにだけ存在した有色の日々。
 「残酷な物言いだとは解ってる」と。そう前置きして、しかし刹那の時に過ぎないとしても共にありたいと告げた、彼。彼と過ごした春は、こんなに乾いたものではなかったのに。
 涙も浮かべず、乾いた少女は、不思議だなあと首を傾げた。
 声も、顔も、仕草も、全て薄膜を通したように朧気なもので。何年前の話だったかも定かではなく。彼が存在したことだけが、彼の記憶の全てだった。
 少女はしかし、忘却を悲しむほどの情感さえ放棄してしまったのだろう。泣くことも、嘆くこともない。
 
 ただ、一つだけ。彼のことを考えるたびに胸に湧く想いの名前を、彼が生きているうちに聞いておけば良かったと。
 少女の胸には、投げかける相手を失った問いだけが残っていた。

2011年4月6日水曜日

『ツンデレ勇者と魔王さま』

「さあ勇者よ、わたしのものになるがよい!」

 玉座に座った小さな魔王は、小さい胸をいっぱいに逸らせて―――それが自分の最も威厳有りげに見える姿勢だと自負しているのだ―――眼前に至った勇者に告げた。
 口角を僅かに持ち上げた笑み。これもまた、鏡を前に散々練習したものだ。全て、この瞬間のために。
 完璧に決まった。小さな魔王は胸中で喝采を叫ぶ。しかし、当の勇者は眉も動かさず、

「いや、あんまり支配とかそういうのに興味ないですし」

 言いながら剣を抜いて、ゆるやかに持ち上げる。目の高さにまで持ち上げ、秘伝の技の構えと為す。
 慌てたのは魔王である。
 
「待て待て待て待て。ちょっと待って話を聞け」

 慌てて立ち上がり、両手をわたわたと振ってこう言った。せっかく練習した姿勢も表情も台なしだ。

「世界の半分とか言われても、生憎僕は勇者ですし。そういう甘言には乗れないっていうか」

 構えをとったまま、姿勢を落として。準備は万端、先手必勝、といった趣である。
 気圧されたのか、魔王は一歩二歩と後ずさり。

「言ってない! そんなこと言ってないから!」

「どうせ『はい』を選んでも強制的に戦闘になるんでしょう。だったら面倒な前段は省きましょうよ」

「ちが―――違うんだ。そうじゃない。わたしは、わたしは」

 魔王の目が潤む。どうしてこうなった。格好よく魔王の威厳を見せつけて、こいつを篭絡して、そして一緒に―――そう、思っていたのに。何がいけなかった。どこが間違っていた?
 滲む視界と乱れる心。だから魔王は、勇者の顔に浮かんだ、稚気溢れる笑みには気付けない。
 
「さあ、魔王討伐を始めましょうか」

「―――よ、よかろう。我がけいやくを拒んだこと、後悔させてやる!」

 涙を目に溜めながらも、最後に残った矜持を振り絞って、精一杯の虚勢を張って。
 そうやって馬鹿正直に意地を張る、まっすぐな娘だからこそ、自分は、と。
 
「まあ―――何だ。こっちがそっちに、よりは、そっちがこっちに来る方が丸く収まる訳で、ね」

「なにか言ったか!」

「いや、何でも?」

「癪に障る……! いいだろう、もはや交渉はけつれつした! 貴様を叩きのめして我が下僕としてくれよう!」

 独り言に弾ける魔王の激情。ああ、やめられないな、と彼は笑う。
 好きな娘ほど苛めたい。勇者ともあろうものが、こんな単純な理由で、セカイを救おうだなんて。

2011年4月5日火曜日

『あなたも私もポッキー』

「あなたも私も、ポッキーなのね」

 絶望的な台詞にも、しかし涙声の混じる様子はない。僕らの体に、涙腺は無くなってしまったのだから。
 
「ああ。もうこの地球上には、人間はいない」

 僅かに揺らぐ、彼女の真っ直ぐな―――一切の凹凸のない体躯。表情すらも失ってしまったこんな体でも、その身じろぎだけで彼女の悲しみが読み取れたことに、僅かな安堵を覚えた。僕はこんな姿になっても、ヒトであったことに縋り付こうとしている。
 だが、抱きしめて安心させてあげることは出来ないのだ。物理的に、もう二度と。肉体を介した交感がここまで制限されていて、果たしてヒトと呼べるのか。
 自信はなかった。
 
「行こう。ここにもじきに、トッポが来る」

 彼らと遭遇してしまえば、戦闘は避けられない。

「……なぜ、争わないといけないのかしら。私たち、同じプレッツェルなのに」

「人間だった頃にだって諍いはあったさ。プレッツェルになったから無くなるはずだなんてことは、言えない」

 チョコが内側か外側か。奇しくも人種の肌の違いのようではないか―――と、笑えないジョークを口に出そうとして、やめた。

2011年4月4日月曜日

『ロリババァとの対話』

「ひとつ、質問していいかな」

 マンションの一室、床面積を適度に圧迫してくれる書籍のタワーと、PC周りに堆積した嗜好品の残骸……という、いかにも大学生然とした部屋で、この部屋の持ち主たる青年は眼前に座る少女に問いを投げた。
 小柄な体躯、14、5歳といったところだろうか。二回りも小さく見える少女は場違いに上等なティーセットに落としていた目線を上げ、彼の目に合わせて、僅かに間を置き、ほんの少しだけ微笑んだ。

「ええ、どうぞ。別に一つだけとは言わず、何でも聞いてほしいものだけど」

 顎の下で組んだ両手に小さな顔を載せて、弾んだ声で。抑えきれない喜びと、少しくからかうような響きが覗いた。
 その軽やかさに、青年はしかし、硬度を増したような声で。

「なら聞くけど。……なんで、僕なんだ」

 あら、と呆けたような少女の声。だが、次に来た表情は怒りでも呆れでもなく、

「いつか聞かれるとは思っていたけれど、こうして聞かれてみると、存外困ってしまうものね」

 困惑であった。
 虚を突かれたのか、言葉を被せられない青年に、少女は次なる言葉を投げる。

「率直に言えば、理由なんて無いのよ。何で好きになったか、なんて聞かれても困ってしまう。こんなこと、この500年で初めてなの」

 夢見るように少女は告げる。この瞬間こそが夢のようだ、と主張せんばかりに。
 500年を生きる者だ、と少女が告げたのは、初めてのことではない。事あるごとに主張していたことがらで、そのたび青年は疑念を表明してみせるのだが、当初のような歯切れの良さはなくなっていた。天秤が傾き切るには至らないものの、もはや均衡にまで達しているのだろう。そのくらい、少女との交感は異質なものを感じさせたのだった。

「その、500年ってのが本当なのかも疑わしいんだけど……。いや、仮にそうなら尚更だ。何で僕が君に見初められたのか、それが解らない。何の取り柄もない僕に、不死たる君が、なぜ」

「……なら聞き返すけど、あなたは自分と同位の存在にしか愛情を感じないの?」

 うっ、と呻く青年を見て、少女は笑みを深める。

「更に言えば、愛情というのは理由があって芽生えるものなの? 何の価値も無さそうなシールに偏執的に拘る子供だっているじゃない。アレはどうなのかしら」

「その喩えはちょっと、流石に傷つくものがあるんだけど……」

 冗談よ、と。それでも笑みを崩さない少女に、青年はため息を返すほかない。
 いつだってはぐらかされて、でも、そんな少女の微笑みは最高に素敵で。

「でも、そうね。これは考えてみると面白い事柄かもしれないわね。『ヒトはなぜ恋するのか』。うん、わたしには無関係だと思って関わらなかった分、素晴らしく新鮮なテーマだわ。なにせ、蓄積がないのだから」

 うんうんと頷いて、少女は満足気に微笑む。

「或いは、こう言えるかも知れないわね。『こうやって新しい発見をさせてくれるあなただから、好きになった』って」

 青年は苦笑いをひとつ、頬杖をついて。

「卵と鶏の問題になってくるよ、それ」

 そうかしら、と笑う少女は、ほんとうの童女のようで。
 青年はまた、はぐらかされてしまったなあと笑うのだった。