「はい、お兄ちゃんの分のおべんとう! 今日も美味しく作れたよ!」
昼休み、屋上で食事をとるのが彼らの日常だった。
春先の風は冬の名残を幾分感じさせるものであったけれど、気心の知れた者同士で食べる昼食は、多少の肌寒さなんて吹き飛ばしてしまうものだろう。
最愛の妹がこしらえた、簡素ながらもどこか可愛らしく包まれた弁当箱を受け取って、彼は顔を綻ばせた。
「いつもすまないね」
妹が毎朝早起きして作ってくれる弁当。本当にできた妹だ、と彼は思う。
妹もまた、敬愛する兄の謝辞に笑みを深める。そして、そんな兄の軽口に乗ろうとして、
「それは言わない約束、ってやつですね」
横から割り入ってきた声に、出鼻をくじかれた。
頭上から顔を突き出し、座っても? と二人を伺うのは、彼ら共通の先輩であった。この兄妹の食事にこうして合流するのが、新学期からの彼女の日課なのだった。
「ここ最近は毎日いっしょに食べてるんだから、もうそういうのは止めましょうよー。水くさいじゃないですか。……お兄ちゃんもそう思うよね?」
台詞を横取りされた恨みがあるのか、ぷりぷりと怒りながらスペースを空ける妹に、兄は苦笑いを返す。
そして、格好を付けるでもなく、
「そうだね。でもまあ、そういう律儀なところが先輩のいいところだから、さ」
さらりと、気障な台詞を吐いてのけるのだった。
沸き立つのは、少女たちである。
「あう……。そう真正面から褒められると、照れてしまいます……」
「あー、せんぱいったらかわいいなー!」
三人の笑い声が、人のいない屋上に響いた。
「―――あ、そういえば、僕はちょっと用事があるんだった。二人とも、また後でね」
昼食を食べ終えて暫くすると、彼はこう言い残し、席を立った。
遠のいていく足音、屋上の扉が閉まる音、屋上への階段を下る音。その全てを聞き届けると、二人の少女の間に漂っていた空気は、弛緩することをやめた。
先に切り込んだのは、妹である。
「……良い機会だと思うから単刀直入に聞きますけど、何で私たちの食事に割り込んでくるんです? 私たち、前学期までは特に親しい訳でもなかったでしょう?」
その表情に、声色に、敵意を隠そうともせずに言ってのけた。
そしてまた、受ける少女も異常には違いない。彼がいた時と同じ笑みを、これだけの害意に晒されてなお、揺らがせないのだから。
「彼がわたしと同じく生徒会に所属し始めたから。要は、有望な後輩と懇意にしておきたかったから……というのはどうです?」
「馬鹿にしてるんですか?」
「ええ、もちろん」
睨みあい―――否、探りあいである。
「兄さんに恋を?」
「あら、さっきまでは『お兄ちゃん』だった気がするんですが……わたしの気のせいでしたか?」
「『あう……』とか口に出して言ってた人間に言われたかないです。なんですかそれは。ヒロイン気取りですか。マンガ世界に帰ってください」
探りあい―――否、単なる口喧嘩であった。
「彼がどういう女の子を好きだか解らないでしょう? キャラ変えつつリサーチ中なんですよ察してくださいよ頭悪いですね」
「少なくとも裏表激しい二重人格女に惚れたりはしないと思いますけどね私は」
「あれれ、それって自己紹介ですか? そういう話の流れじゃなかったと思うんですけど? 文脈読めてますー?」
「ブチ殺しますよこの年増が」
「人の恋路に頭つっこんでんじゃないですよ実妹の分際で」
両者とも、ひとつ息をつき。
「……貴女が兄さんを狙ってるのは解りました。渡しませんけどね」
「姑気取りですか。まあ構いませんよ、結婚式では悔し涙とともにスピーチしてもらいますから」
「もう結婚式の妄想ですか。どんだけ気が早いんですか。ちょっと素で気持ち悪いと思いましたよ今」
「何とでもご自由に。添い遂げる相手はもう彼に決定してるんですから。実妹の貴女は悲恋に泣いたり何処の誰ともしれぬ人間に寝取られたりしてればいいんですよ」
「うわ、エロまんが脳だ……。エロまんが脳がいる」
「解っちゃう貴女も大概でしょうに!」
ぐぬぬ、と睨み合う少女二人。
やがて、どちらともなく、笑みを浮かべる。皮肉げに口角だけを持ち上げて。
奇しくもそれは、鏡写しの構図であった。
「まあ、わたしの恋愛劇をかぶりつきで眺めて涙するといいです」
「悲劇にならなきゃいいですねえ。たとえばインセストな感じのバッドな展開とか、ね」
口喧嘩が今一度ヒートアップしようかというその時に、階段を登る足音が聞こえた。
二人は打ち合わせることなく、しかし完璧に対称のとれた動きで元の位置へと素早く戻る。
扉が開かれた瞬間には、彼が席を立つ前と寸分違わぬ情景が再現されていた。
「二人ともまだここに居たのか。用事も終わったところだけど、昼休みももう終わりだし、撤収しようか」
「ええ、そうですね。―――ねえ、妹さん。お話の続きはまた、お兄さんの居ない時にでもしましょうか」
「うん! さっきの話はちょっと、お兄ちゃんには聞かせられないからねー」
「あはは、僕には内緒の話なのか。いや、仲が良いみたいでなによりだね」
肩を組んで軽口を叩き合う妹と先輩に、彼の表情が緩む。
―――微笑む彼からは、彼女らが脇腹に一本拳を埋めあっている様が見えなかった。見えない角度を選んで、両者ともに同じ攻撃を選択したのだった。
朗らかに笑う少年と引きつった笑いの少女二人。彼らの歪んだ関係は、まだ当分続くことになる。
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