第十一回SSコンペ(お題:『桜』)
「ねえ、今日はどんな空?」
西陽の差す病室で、少女は少年に問い掛ける。ベッドの上で背を起こした体勢で、両目を瞑ったまま、目蓋を透かすように空を見つめながら。
「晴れてるよ。とても高く見える」
少年は少女の方も見ずに、車椅子を組み立てながら応じる。へえ、と少女の楽しそうな声。
「風は?」「少し吹いてる」「気温はどう?」「暖かいよ」
テンポよく重ねられる応酬には淀みがなく、既定事項の確認といった趣すら漂う。
「―――理解したわ。私が神に愛されてる、ってことを」
依然として目を瞑ったまま、少女は勝ち誇るがごとく言い放つ。
「……神に愛されてたら失明はしないと思うけど、ね」
そう呟く少年の後頭部に、直後、患者用のスリッパが突き刺さった。
「はん。偉大な者には試練が立ち塞がるものだっつーのよ。それも乗り越えられる範囲で最大のものが、ね」
「見えてもないのによく当てるね……」
頭をさすりながら零した言葉に、少女は嗜虐的な笑みを浮かべ―――すぐに真顔に戻る。
「あんたの頭を狙うくらい、寝てたって造作も無いことだわ。そんなことより、私いま凄くいいこと言ったんだけど」
腰に手を当てて、詰問するがごとく。
少年はひとつ笑うと、組み上げた車椅子を杖に立ち上がり、
「はいはい、感銘を受けました。じゃあほら―――そろそろ、確認しに行こうよ。君の偉大さを」
言って、少女の手をとり、車椅子に導いた。
少女は一瞬だけ躊躇いを見せて、しかし次の瞬間には不敵な笑みを形にして、
「ええ、偉大なる私の再起に同席させてあげる」
確信に満ちた響きで、そう言った。
両脇を木立に挟まれた林道、舗装こそされていないものの、整備された歩道を、車椅子が行く。
「遅いわねぇ。もっと速度出せないの?」
眉根を寄せて、少女が呟いた。
後ろで押す少年は僅かに苦笑し、
「出せないことはないけど、危ないから」
と、同じペースで歩を進める。
「そ。じゃ、安全運転で急ぎなさい」
目を瞑ったままで、少女が言う。硬い口調の中に、僅かに稚気が覗く。証明するように、口元には僅かな笑み。
少年は満足げに微笑むと、少しだけ足を早めた。お、と少女の呟きが漏れる。呼応するように、また僅かに増す速度。おお、と少女の歓声が上がる。どちらともなく、笑い声。
がたがたと揺れながら、じゃれあいを乗せて、車椅子は道を行く。
林道を抜けた先には、広場があった。さして広大ではないが、中央に植えられた大樹が否が応にも印象を惹きつける、それは樹を中心とした空間だった。
樹―――桜だ。満開の桜が、穏やかな風に花びらを少しづつ散らしている。
「安全運転とは言いがたいものだったけれど、ご苦労さま」
腰をさすりながら、恨めしげに少女が言う。
「どういたしまして。とりあえず、思ってたよりはずっと速かったでしょ?」
柳に風、といった風情で受け流す。
ふん、と鼻で一つ笑って、途端。少女は稚気を捨てて、憔悴を纏う。
「ええ、びっくりしたわ。―――お陰様で、覚悟を決める暇もなかったくらい」
「だろうね」
火の消えるようにしぼむ少女に、しかし少年は対応を変えることはない。
そんな彼だから、少女は。
「……ああ、苛立たしいわ。その何もかもわかったような顔」
「見えてないでしょ?」
「寝てたって判るわよ、あんたの表情なんか」
徐々に、火が戻る。
少年は笑みを深める。
少女はふんぞり返って、玉座のごとく、車椅子に身を沈めた。
「手術の成功率……見えてるかどうかは、五分五分。だったら、どうせなら最初に見るものはとびきりドラマチックで美しくないと」
少年が、歌うように諳んじる。
ああ、と少女は頷いて、ゆっくりと目蓋を開く。
少女が光を失ってから、いつか少年に向かって嘯いた野望だ。
少年が言うほどにも、少年に嘯くほどにも、少女はきっと強くない。目を開けずにいれば希望は存置される。そんなことを真面目に考えてしまう程度には、弱い。
……でも、脆い自分が身をもたげるたびに、繕った自分が弱い心を鎧う。かくありたいと思ったイメージが、彼のそばにいると、手の届くものに見えてくる。
与えられることの救済。救い手は彼だった。
だから今、かつての理想を、一歩超えて。
「失明してから何年経ったかしら。私たち、成長期だものね」
少女の呟きに、少年が怪訝な顔をしてみせる。
怪訝な顔―――ああ、こんな顔をしていたのだったか、と記憶との齟齬を噛み締めて。
「最初に見るものはとびきりドラマチックで美しくないと―――宣言通り。あんた、桜に映える顔をしてるじゃない」
偉大なものに、きっとなる。