2011年12月14日水曜日

『お気に召さぬ理由』

第4回SSコンペ(お題:『イノセント』)


「この少女型アンドロイドはとある職人の遺作なのだが、貰われた先で拒絶され続けてしまい、困っている。引き取ってもらえないだろうか」

 こんな依頼を持ち掛けられた時の私の顔は、きっと傍目には笑えるほどに呆けたものだったろう。
 弁解させてもらえば、そもそもアンドロイドというのは、基本的には身の回りの世話を任せるために手に入れるものである。対話の相手や、その―――性処理の相手としての役割を課されることもあるのだろうけど、まあ、ともかく、基本的には。依頼主は昔からの知り合いで、私が人であれ機械であれ、新たなお手伝いを必要としない程度には自律した生活を遅れていると知っているはずだ。だから、この依頼は完全に私の虚を衝くものだった。少しくらい呆けたって、それは仕方がないというものだろう。
 
 なのにどうして、と問うと、渡されたのは一枚の仕様書だった。製作者の欄には、私の幼馴染だった……恋人になることのできなかった男性の名が、あった。幼い頃はずっと一緒で、でも、どうしても先の段階に踏み込めなかった関係性の、その片割れ。その名を見て、ああ、なるほど、と納得する。
 顛末はおそらくこうだ、『貰い手のつかないアンドロイド、遺作がゆえに処分するのも忍びない、ならば作者の縁故を頼るというのはどうか』。そりゃあ、私にお鉢が回ってくる訳だ。あいつと親しかった人間なんて、それこそ私くらいのものなんだから。―――思考の内容に誇らしげな色が混ざっていることに気付き、微かな羞恥を憶える。
 確認を取ってみれば、正に私が予想した通りの流れだったようで、我ながら奴に関しては観察力が冴え渡るな、と感心する。まさか死後の出来事で実感することになろうとは、夢にも思っていなかったが。
 
 一頻り納得した、その後。
 どういう話を経たのかは、なぜだか上の空だったので覚えていないが、彼女を引き取ることになったらしい。今後ともよろしく、と少女に声を掛け、依頼人とは、長く続けられなそうであれば連絡を、との約束を交わした。これで、少女は私のものとなった。……言葉にしてみると、嫌な響きではある。
 程なくして、依頼人が帰っていった。見送りを済ませ、自室に戻った、その途端。部屋に待たせておいた、これから私と共に過ごすことになるであろう彼女が、小さな歩幅を刻みながら、私に駆け寄ってきた。
 なんだろう、と思う暇もなく。彼女はポケットからハンカチを取り出すと、背伸びをして、私の顔に押し当てた。
 
「じっとしていてください」

 不器用な手つきで、私の顔を拭う。
 ―――ああ、泣いてるんだ、と気付いたのは、この瞬間だった。
 
 自覚すると、そこには確かに、感情の奔流があった。それを、喪失の悲しみだとか、後悔の念だとか、そういう言葉で呼ぶことは可能なのだろう。でも、それは絶対に、嫌だった。
 慰めも励ましもなく、無言で涙を拭ってくれる少女がただありがたくて―――ああ、確かにこの娘は奴が創ったんだろうな、と直感的に理解した。堪らず、少女の小さな頭を、胸に抱く。掻き抱く腕に力を込める。前が見えないだろうに、まだ涙を拭おうとする様子に、笑いが漏れた。依然、涙は止まらなかったけれど。
 


 その日から、私と彼女との生活が始まった。
 疲れ知らずの彼女の存在は、私の日々の負担を大幅に低減させてくれた。特に家事の方面においてそれは顕著で、家を出て、帰宅するまでの間に掃除が済んでいる、なんて状況が常態化するのに時間はかからなかった。家の間取りさえ覚えてしまえば、彼女に任せられない仕事は何もなかった。作者が優秀に創ったんだろうな、と考えると、少し感慨深いものがあった。あいつは私がいないとどうしようもないくらい、ズボラな奴だったから。
 話し相手としても、彼女は優秀だった。賢く、善良で、優しい。少し幼く、間の抜けたところがあるのは、身体的印象に合わせたものだろうか。作者がそう創ったんだろうな、と考えると、少し嫌な汗が出た。理由はあまり考えない方がよさそうだ、と直感する。
 そんな訳で、私にはどうにも瑕疵が見出せないだけに、彼女がなぜ貰われ先で上手くいかなかったのか、という疑問が残った。誰かの気分を害したり、期待はずれだと失望されたりするようなことは、まず有り得まい。ならばどうして、と訝しむ思いが、私の中に住み着いていた。
 
 その後、数ヶ月の期間を経たある日。問いへの答えは、唐突にもたらされた。
 夢を視た。あいつと私が夫婦で、少女が娘となった、優しい微睡み。そんな、今となっては成立し得ない夢想の中に、私は一つの啓示を得た。飛び起きた私は、彼女の話を持ちかけてきた依頼主に連絡をとった。
 そして、私なりの結論を。


「彼女の欠陥は、全く瑕疵を持たない、という点にあるのだと思います。私の見た限りにおいて、ですが」

「瑕疵を持たない……? それが所有者をして彼女を拒絶せしめた原因であると?」

「ええ。……巷のアンドロイドはもっと機械的で、融通の利かない、非人間的なところがあるでしょう? それに比べて、彼女の感情は人間のソレと遜色がない。人間を不快にさせない、という一点に於いて、完璧であるとすら言えます」

「ええ、僕も初めて見た時には天才の所業だと思ったものです。あれほどまでに人間じみたアンドロイドは他に見たことがない。しかし、それが欠陥である、と。……率直に言って、どういう意味なのか判じかねますが」

「完璧すぎるんです。どこまでも優しく、呆れるほど善良で、淀みなく有能。市販のアンドロイドが非人間的ではあれ、能力については枷を嵌められていないことを思い出してください。もし、彼らの感情面での欠陥が、意図してそう造られた結果であるのだとしたら、どうでしょうか」

「ふむ、つまり……?」

「人間よりも実務能力に優れ、しかし情緒面では劣る、『ロボットらしい』存在。そうじゃないと、見ていて安心することができない。何もかもが完璧な存在は、そこに居るだけで所有者の欠点を―――殊に、その善良さ、従順さに対しては、汚れを―――映してしまう。鏡になってしまうんです」

「―――なるほど。つまり、彼女は人間以上であったから、人間にとっては正視に耐え難い存在となり得たのだ、と。真偽は判りませんが、あり得る話のようには聞こえます。その答えに至ったということは、貴女も?」

「いいえ。……もちろん、私が完璧だから平気だった、なんて話ではありませんけどね。ただ、そういう存在と一緒に過ごすのは、初めてではなかったもので」

「……もしかして、その相手というのは」

「ええ。彼女の製作者は―――あいつは、他人の負の感情がわからない人間で。善性に裏打ちされた良心だけで生きてるような奴でしたよ。……きっと、思いもよらなかったんでしょう。人の傍にいる者が、その善性がゆえに人を居たたまれなくしてしまう、だなんて」

 我慢できずに逃げ出すのは、いつも私の方だった。どこまでも透明なあいつの傍に立っていると、自分がひどく汚れている気がして。
 ならば、今こうして彼女と過ごせているというのは、私が変質した証なのだろう。それを成長と呼ぶべきか否かはわからない。ただ言えるのは、あいつと過ごせるようになったかもしれない私の傍に、あいつが立つことは、二度とないということだけだ。
 顔にハンカチが押し当てられる。出会いと同じ構図だ。心配そうに私を伺う、あいつの映し身。あいつが眺めた世界は、こんなに優しくて、透明なのだと。
 そんなことを考えて、私は泣いた。

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