2011年12月31日土曜日

『真打ちは』

第5回SSコンペ(お題:『クリスマス』)


 大晦日の夜。コンビニで年越しに備えた買い物を済ませた私は、その帰路、道の端に見慣れないものを見つけた。
 “サンタは要りませんか”―――手書きでそう記されたダンボールの中に、虚ろな目をした老人が座っていたのだ。
 上下揃った赤い服に、たくわえられた豊かな髭。なるほど、外見的特徴だけ見れば確かにサンタだ。サンタが道端に捨てられていた。非日常的な、そして時期を逸してもいる光景に、私は暫し硬直することを余儀なくされる。
 そんな風に足を止めて見入ってしまったせいだろうか、気付けば老人は顔を上げ、私と視線を合わせていた。あ、まずい、と思った時にはもう遅い。

「サンタは要らんかね?」

 老人は身を乗り出すと、皺だらけの顔に微笑みを浮かべ、そう言った。外見から受ける印象通りの、深みのある声だった。
 早く家に帰って暖まりたい、という思いがまずあったし、そうでなくとも関わり合いになどなりたくなかったので、なるべくそっけなく聞こえるよう努めつつ、断りの旨を伝えることにした。

「いえ結構です。それでは」

 そう言い残して歩き出そうとすると、老人は段ボールごと私の眼前に滑り込み、進路を塞いできた。身の危険を感じるほどの俊敏さに、これは不味いと直感し、遠回りして帰ろうと踵を返す。
 すると、

「待ちたまえお嬢さん話だけでも!」

「んなぁっ!?」

 踏み出そうとした足に重みが加わり、バランスを崩した私は前のめりに倒れこむことになった。びたん、と音の出そうな、綺麗な倒れざまを晒してしまう。
 後ろを見やれば、老人が私の片足をがっしりと握りしめていた。腹ばいで縋りつく姿勢に、いつか見たゾンビ退治ゲームの思い出が重なる。

「そう、あれは今を遡ること6日、25日のことじゃった……。諸般の事情でプレゼントを配り損ねたうえ他のサンタに尻拭いをしてもらったワシは、クリスマスを完遂しないことには帰還してはならぬとのお達しを受けたのじゃよ」

 そして喋り始める老人。
 血走った目が私の不安感を効果的に煽ってくる。同時に、大事な部分を全て割愛した説明に愕然とする。

「であるからして、ワシは最低一人にプレゼントを齎さねばならない。それも良い子にな。じゃが、ここ6日間において、ついぞ一人も現れることはなかった―――そう、ワシを気にかけてくれるような良い子は、な。……君を除いて」

 なるほど、顛末は全く見えないが、要求だけは理解できた。
 それにしてもいい加減離せと言いたい気持ちはこれ以上無いほどに強まっていたが、早々に相手方の要望を叶えてやるのがおそらく最善手と思い、
 
「じゃあ、『怪しい老人からの解放』をください。帰りたいので」

 win-winな提案をしてみた。これで話は終了するはずである。
 しかし老人は表情を曇らせ、

「その願いは叶えられない。正確に言えば、それを本部に持って帰ったワシが許されそうにないから叶えたくない……」

 沈痛な面持ちでそう漏らした。
 
「……警察呼ばれたいならそうしますけど?」

「サンタは割とイリーガルな存在じゃから、公権力の召喚はできれば遠慮してほしいんじゃが」

「じゃあ呼びませんから、さっさと離してください」

「うむ。きっとじゃぞ」

 足を離された瞬間に走って逃げてやろうかとも思ったが、消沈した老人をこれ以上落ち込ませるのもなんだか気が咎める。
 立ち上がった私を見やると、老人は恰幅の良い腹を揺らしてこう言った。
 
「さあ、欲しいものを言うがよい」

 先程から帰りたい気持ちがとどまるところを知らなかったため、とにかく何でもいいから思いついたものを口にしていこうと考える。

「じゃあ、『お金』」

「残念、この6日で消費してしまった。素寒貧さ」

「だったらもう他のプレゼントも無理でしょうが!」

「じゃあ、もしこのサンタ服が欲しければ譲るにやぶさかではないが……代わりにワシが全裸になるけど」

「要らんわ!」
 
 そのまま、なんとか納得させつつ早々に話を終わらせられないか、と思案していると、ごーん、ごーんと重く低い音が響き始めた。新年の合図だ。
 こんな年越しを迎えると予想できていたはずもなく、猛烈な虚脱感に襲われる。
 
「まさか、今年最後の思い出が変な老人との問答だなんて……」
 
 そんな私を見て、老人が何かを思いついたのだろう、満面の笑みを浮かべた。

「……えー、では、『年越しを一緒に過ごしてあげた』というのがプレゼントだった、ということでひとつ」

2011年12月14日水曜日

『お気に召さぬ理由』

第4回SSコンペ(お題:『イノセント』)


「この少女型アンドロイドはとある職人の遺作なのだが、貰われた先で拒絶され続けてしまい、困っている。引き取ってもらえないだろうか」

 こんな依頼を持ち掛けられた時の私の顔は、きっと傍目には笑えるほどに呆けたものだったろう。
 弁解させてもらえば、そもそもアンドロイドというのは、基本的には身の回りの世話を任せるために手に入れるものである。対話の相手や、その―――性処理の相手としての役割を課されることもあるのだろうけど、まあ、ともかく、基本的には。依頼主は昔からの知り合いで、私が人であれ機械であれ、新たなお手伝いを必要としない程度には自律した生活を遅れていると知っているはずだ。だから、この依頼は完全に私の虚を衝くものだった。少しくらい呆けたって、それは仕方がないというものだろう。
 
 なのにどうして、と問うと、渡されたのは一枚の仕様書だった。製作者の欄には、私の幼馴染だった……恋人になることのできなかった男性の名が、あった。幼い頃はずっと一緒で、でも、どうしても先の段階に踏み込めなかった関係性の、その片割れ。その名を見て、ああ、なるほど、と納得する。
 顛末はおそらくこうだ、『貰い手のつかないアンドロイド、遺作がゆえに処分するのも忍びない、ならば作者の縁故を頼るというのはどうか』。そりゃあ、私にお鉢が回ってくる訳だ。あいつと親しかった人間なんて、それこそ私くらいのものなんだから。―――思考の内容に誇らしげな色が混ざっていることに気付き、微かな羞恥を憶える。
 確認を取ってみれば、正に私が予想した通りの流れだったようで、我ながら奴に関しては観察力が冴え渡るな、と感心する。まさか死後の出来事で実感することになろうとは、夢にも思っていなかったが。
 
 一頻り納得した、その後。
 どういう話を経たのかは、なぜだか上の空だったので覚えていないが、彼女を引き取ることになったらしい。今後ともよろしく、と少女に声を掛け、依頼人とは、長く続けられなそうであれば連絡を、との約束を交わした。これで、少女は私のものとなった。……言葉にしてみると、嫌な響きではある。
 程なくして、依頼人が帰っていった。見送りを済ませ、自室に戻った、その途端。部屋に待たせておいた、これから私と共に過ごすことになるであろう彼女が、小さな歩幅を刻みながら、私に駆け寄ってきた。
 なんだろう、と思う暇もなく。彼女はポケットからハンカチを取り出すと、背伸びをして、私の顔に押し当てた。
 
「じっとしていてください」

 不器用な手つきで、私の顔を拭う。
 ―――ああ、泣いてるんだ、と気付いたのは、この瞬間だった。
 
 自覚すると、そこには確かに、感情の奔流があった。それを、喪失の悲しみだとか、後悔の念だとか、そういう言葉で呼ぶことは可能なのだろう。でも、それは絶対に、嫌だった。
 慰めも励ましもなく、無言で涙を拭ってくれる少女がただありがたくて―――ああ、確かにこの娘は奴が創ったんだろうな、と直感的に理解した。堪らず、少女の小さな頭を、胸に抱く。掻き抱く腕に力を込める。前が見えないだろうに、まだ涙を拭おうとする様子に、笑いが漏れた。依然、涙は止まらなかったけれど。
 


 その日から、私と彼女との生活が始まった。
 疲れ知らずの彼女の存在は、私の日々の負担を大幅に低減させてくれた。特に家事の方面においてそれは顕著で、家を出て、帰宅するまでの間に掃除が済んでいる、なんて状況が常態化するのに時間はかからなかった。家の間取りさえ覚えてしまえば、彼女に任せられない仕事は何もなかった。作者が優秀に創ったんだろうな、と考えると、少し感慨深いものがあった。あいつは私がいないとどうしようもないくらい、ズボラな奴だったから。
 話し相手としても、彼女は優秀だった。賢く、善良で、優しい。少し幼く、間の抜けたところがあるのは、身体的印象に合わせたものだろうか。作者がそう創ったんだろうな、と考えると、少し嫌な汗が出た。理由はあまり考えない方がよさそうだ、と直感する。
 そんな訳で、私にはどうにも瑕疵が見出せないだけに、彼女がなぜ貰われ先で上手くいかなかったのか、という疑問が残った。誰かの気分を害したり、期待はずれだと失望されたりするようなことは、まず有り得まい。ならばどうして、と訝しむ思いが、私の中に住み着いていた。
 
 その後、数ヶ月の期間を経たある日。問いへの答えは、唐突にもたらされた。
 夢を視た。あいつと私が夫婦で、少女が娘となった、優しい微睡み。そんな、今となっては成立し得ない夢想の中に、私は一つの啓示を得た。飛び起きた私は、彼女の話を持ちかけてきた依頼主に連絡をとった。
 そして、私なりの結論を。


「彼女の欠陥は、全く瑕疵を持たない、という点にあるのだと思います。私の見た限りにおいて、ですが」

「瑕疵を持たない……? それが所有者をして彼女を拒絶せしめた原因であると?」

「ええ。……巷のアンドロイドはもっと機械的で、融通の利かない、非人間的なところがあるでしょう? それに比べて、彼女の感情は人間のソレと遜色がない。人間を不快にさせない、という一点に於いて、完璧であるとすら言えます」

「ええ、僕も初めて見た時には天才の所業だと思ったものです。あれほどまでに人間じみたアンドロイドは他に見たことがない。しかし、それが欠陥である、と。……率直に言って、どういう意味なのか判じかねますが」

「完璧すぎるんです。どこまでも優しく、呆れるほど善良で、淀みなく有能。市販のアンドロイドが非人間的ではあれ、能力については枷を嵌められていないことを思い出してください。もし、彼らの感情面での欠陥が、意図してそう造られた結果であるのだとしたら、どうでしょうか」

「ふむ、つまり……?」

「人間よりも実務能力に優れ、しかし情緒面では劣る、『ロボットらしい』存在。そうじゃないと、見ていて安心することができない。何もかもが完璧な存在は、そこに居るだけで所有者の欠点を―――殊に、その善良さ、従順さに対しては、汚れを―――映してしまう。鏡になってしまうんです」

「―――なるほど。つまり、彼女は人間以上であったから、人間にとっては正視に耐え難い存在となり得たのだ、と。真偽は判りませんが、あり得る話のようには聞こえます。その答えに至ったということは、貴女も?」

「いいえ。……もちろん、私が完璧だから平気だった、なんて話ではありませんけどね。ただ、そういう存在と一緒に過ごすのは、初めてではなかったもので」

「……もしかして、その相手というのは」

「ええ。彼女の製作者は―――あいつは、他人の負の感情がわからない人間で。善性に裏打ちされた良心だけで生きてるような奴でしたよ。……きっと、思いもよらなかったんでしょう。人の傍にいる者が、その善性がゆえに人を居たたまれなくしてしまう、だなんて」

 我慢できずに逃げ出すのは、いつも私の方だった。どこまでも透明なあいつの傍に立っていると、自分がひどく汚れている気がして。
 ならば、今こうして彼女と過ごせているというのは、私が変質した証なのだろう。それを成長と呼ぶべきか否かはわからない。ただ言えるのは、あいつと過ごせるようになったかもしれない私の傍に、あいつが立つことは、二度とないということだけだ。
 顔にハンカチが押し当てられる。出会いと同じ構図だ。心配そうに私を伺う、あいつの映し身。あいつが眺めた世界は、こんなに優しくて、透明なのだと。
 そんなことを考えて、私は泣いた。

2011年12月1日木曜日

外に視る檻

第3回SSコンペ(お題:『別れ』)

 気づいたのは物心がついた頃だったろうか。わたしには、他のひとには見えないものが見えている。それは絵本に出てくる小人のような姿をしていて、言葉を話すことはないけれど、わたしが話し掛けると頷いたり、微笑んだりといった反応を返してくれる存在だった。自我のめばえよりも早く、ともにある他者。ごく自然に、彼はわたしの話し相手になった。
 傍からは見えない存在と言葉を交わしているように見えたからか、幼い頃にはずいぶん気味悪がられていた。友達の集団から軽く疎外されていたような覚えもある。成長してからは過去の奇行も夢見がちな少女の戯れと見なして貰えるようになったのだけれど、にも関わらず、高校生となった今でもわたしは人付き合いの多い方ではない。「彼」に向かって言葉を投げかける、一方通行の対話に慣らされてしまったのか。双方向の対話というものに億劫さを感じていたわたしは、当然の帰結として、対話を不得手とするに至った。そんな息苦しさから逃げるために、ずっと独りでいた。
 
 転機が訪れたのは、ふと思い立って学校の図書室に訪れた時のことだった。
 本を借りる際に応対してくれた、図書委員の男子生徒の微笑みがなんとなく忘れられない。そう思ったのが始まりだ。
 その日以来、何かにつけて図書室へ行くようになった。気付けば、彼の姿を視線で追っている自分がいた。本に没入していたはずが、ふとした瞬間に紙面から意識が逸れて、図書委員のいるカウンターのあたりをさまよっていることが頻繁にあった。
 そんな、まさか、と思う気持ちはあった。一方で、こういうこともあるだろう、と納得する自分もいた。他者に慣れていない自分のことだ、少しのきっかけがあれば簡単になびくのも無理からぬこと―――と自虐してみても、胸に生まれた衝動を消すことは叶わなかった。
 認めよう、わたしは恋をしたのだ。親兄弟とすらうまく会話できない、相手の善意と社交性に阿ることなしには友人関係を築くことすら叶わないわたしが、生まれて初めて、一足飛びに恋をした。
 
 ―――したのだが、まあ、だからどうということもなく。
 
 何かする行動力も、力を借りる知り合いも持ち合わせていないわたしは、毎日のように「彼」に相談を―――相談という名の言い訳の羅列を聞かせ、返ってくる微笑みや首肯に何となく煮え切らないものを感じつつ、特に何もしないまま時間を空費するのだった。

 そんなふうに胸の裡の想いを弄んでいた、ある日。
 その日の当番は例の彼で、どうも貸し出しの仕事が連続しているらしかった。バックヤードに引っ込んでいないのは好都合だ。カウンターに釘付けになっていた彼を眺めながら、いつもこうだったらいいのに、などと益体もないことを考えていると、すっ、とわたしの視界が翳った。誰かが傍に来たのだ、と気付く。

「あの、兄さんに何か?」

 少し低めの、優しげな声。降ってきた軌跡を辿るように視線を上げると、背の高い女子生徒がわたしを見下ろしていた。内心の驚きを極力抑えつつ、言葉を紡ぐ。
 
「あ、いや、別にその……あの、兄さんというのは一体?」

 当然のように、驚きなど抑えきれているはずもなかった。いや、驚いていなければどもらず言えた、と主張するのもいささか自信過剰な物言いだろうか。これがわたしだ、と主張せんばかりの惨憺たる応答。顔から火が出そうだった。消えてしまいたい。
 内心で自虐の限りを尽くすわたしに対して、件の女子は少しも嫌そうな顔を見せることなく、
 
「いつもご覧になってるあの男の人、私の兄さんなんです。その、ここのところずっと見てらしたように思いまして」

 とんでもない爆弾を投下してくれた。邪気なく放たれた言葉がいよいよわたしの心を抉ってくる。頬が熱くなるのを感じた。思考が定まらない。
 
「あ―――いえ、勘違いだったらごめんなさい。責めようとか馬鹿にしようとかいうんじゃないんです。ただ、私以外に兄さんのことを見てる人がいるんだ、って思うと嬉しくてつい」
 
 固まってしまったわたしを見てか、少々あわてたような素振りを見せつつ早口に彼女は続けた。わたしはといえば、言われた内容を満足に飲み込むこともできず、ただひたすらに黙りこくるしかない。そんなわたしに対して些かの侮蔑すらも見せず、彼女は嬉しげに、こんな提案をした。

「あの、図書室で喋るのもなんですし、宜しければ放課後にでもお喋りしませんか?」

 ひとつ、頷いた。更に投げかけられたいくつかの質問にも、同様に首肯を繰り返した。あまりに想像の埒外な展開であったため詳しくは覚えていないが、多少の問答の末、わたしは彼女と一緒に下校する流れとなったらしい。そこから昼休みが終わって、放課後に至るまでの時間もまた、記憶から抜けている。あまりの出来事に、脳の処理が追いつかなかったのだろうか。ふわふわした心地のまま、気づけば放課後になっていた。
 
 帰路、わたしたちはいろいろなことを話した。わたしにとっては、こんなに喋るのは生まれて初めてだ、と比喩でもなんでもなく言えてしまうくらいの会話量だった。
 内容を要約すると、こうだ。彼女は彼のことを自慢の兄だと思っているが、周囲の人は誰も彼の魅力を理解してくれないのだという。そのことで鬱屈としたものを溜め込んでいるところに、彼を注視する女子を発見して、思わず声を掛けてしまった―――というのが、ことの顛末。その行動論理を見れば解る通り、思った以上に豪快な人であるらしく、わたしが彼に恋していると知るや否や、当初抱いていた遠慮がちな彼女の印象もどこかへ吹き飛んでしまった。
 結果、会話の内容も、
 
「―――だから私、嬉しくって。あの、兄さんのどこを良いと思ったのか、宜しければ聞かせてもらえません?」

「ぇっと……正直なところ、自分でもよくわからないんですが。ただ、他の人への振る舞いが優しかったから、かなあ……とか……まあ」

「振る舞いの優しさ……ええ、正にそうです。そこにお気づきになられるとは、お目が高い! そも、兄さんの長所というのは―――」

 ―――といったふうに、惚気とも身内自慢ともつかないものばかりだった。初印象を裏切られたような気もしていたが、決して不快ではなく。むしろ、しどろもどろになりがちなわたしを上手に導いてくれる彼女と喋るのは、わたしにとってはおそらく初めての、息苦しくない他者性との対話だったように思う。少々の疲れは感じたものの、わたしは極めて快く、他人と会話することができた。
 
 その日以来、わたしたちはたびたび帰路を同じくした。彼の攻略、というのを目標に掲げたサポート体制の始まりだ。作戦会議と称しては喫茶店に入り浸り、装備の調達と称しては服を買いに街へ繰り出す。人と喋ることは苦手なままだったけれど、友人と共に過ごす日々は悪くなかった。
 ただ、ひとつだけ不安なこともあった。いつも視界の隅にいた「彼」、その姿をしばしば見失うようになっていたのだ。最初は気のせいかと思っていたが、数週間、数ヶ月と時が経つにつれ、その頻度は増えていった。悲しみはあったが、それは自分でも驚くほどに弱いものだった。長年傍にいてくれた存在、その喪失の予感を得てもなお平静でいられたのは、新たに得た友人の存在がゆえにだろうか。そんなにも、わたしは薄情なものだったのか。そう思うと、自分の小ささに嫌になった。

 更に数カ月が経ち、何度目かの作戦会議を経て帰宅した、ある日。もうその頃には「彼」が見えない時間の方が圧倒的に長くなっていたのだが、この日は昔のように鮮明に、彼の姿を捉えることができた。
 その様子を見て、ああ、消えるんだな、と直感した。
 気の利いたことを言える自信はなかったが、最後くらいは、と思った。或いは、蔑ろにしてきたことへの後ろめたさに突き動かされたのか。判然としないまま、言葉が漏れた。
 
「ずっと話し相手になってくれて、ありがとう。どのくらい役に立ったのかは判らないけど……今のわたしは幸せだよ」

 微笑みだけが返ってくる、ともすれば空虚な受け答え。だとしても、わたしは続ける。いつだって、そこに意味を見出してきたんだから。最後だって、かくありたい。
 
「実際、君がいてくれなきゃ一人でうまく過ごせてたのかも怪しいものだし。ここまで来れたのは君のおかげ」

 返答はない。いつだってそうだった。いつだって「彼」は、黙って話を聞いてくれていた。全て解っている、と言いたげな微笑みと共に。
 ……そう思った瞬間、わたしの中に蟠っていたものたちが、符号した。
 
「ああ―――なんだ、そういうことか」

 他者性との触れ合いを避けてきたわたし。「彼」が決してわたしの言葉を否定しなかったこと。にも関わらず、わたしが「彼」の反応に不満足な思いを抱いた記憶。
 望む反応も、望まぬ反応も、本当に、心の底では望んでいた反応も―――的確に返していた、物言わぬ聞き手。
 
「鏡、だったんだ」

 くるりと輪を描いた、自我の壁。こじ開けて、外界を視た。
 その美しさに魅了されて―――もっと、もっとと広げた挙句、鏡は割れた。必要な犠牲だった、とは言える。通過儀礼だった、とは言える。そもそもがただの鏡映、他者性を宿さないそれとの別れに何を、とも言えるだろうけれど。
 
「―――今までありがとう。さよなら」
 
 今しばらくは、この喪失を感じていたい、と思った。
 しっかり悲しんで、立ち直ったら、綺麗な世界を楽しむのだ。「彼」と同じ、この両眼で。