2012年3月20日火曜日

『輪唱』

第十回SSコンペ(お題:『(書き手の)信仰』)

 雲に翳る荒野、人のまばらな大地に、一人の少女が立っていた。
 少女は何をするでもなく、目を瞑り、佇んでいる。その姿を認めて、周囲に居た人々が集まり出す。彼らはその表情に期待の色を浮かべ、誰が仕切るともなしに、少女を中心に円座を組み始めた。人だかりは意思を持つがごとく拡散し、各々が少女と直接対峙できるような、少女を中心とした大きな輪が形成されていく。
 やがて、声無き期待が膨れ上がり、うねりとなって場を覆った。昂ぶりが最高潮に達する頃、集う者たちの求めに応じて、少女は物語を唄い始める。それは、僅かな差異を織り込みながら繰り返される恋の唄だった。五指で足りる程度の変奏しか持たない物語。聴衆は胸をふるわせて聴き入る。没入と追体験とに支配された、それは茫洋とした夢のような一時だった。
 ―――唄が終る。静寂が空間を満たす。終わりを迎えた後、少女は決して続きを唄わない。同じ唄を繰り返しても、物語の終幕、その先は決して誰も耳にすることがない。終幕の存在を解する聴衆たちは、だから語らう。残滓を味わうように、各々が夢を想起しながら、口々に。解釈、感想、批評。交わされる言葉に、確かな愛着が息づいていた。
 静かな熱狂に包まれて、夜は過ぎていく。
 
 穏やかな狂騒、熱を持った停滞。繰り返される物語と、それを中心として為される交感。幾夜を満たしてきたそれらはしかし、永遠のものではなかった。
 ―――続けられるという事実と、続けたいという想いとの間には、無間の空隙が広がっている。確かな実体を持たぬ物語を投影し、像を成すためのパースペクティブ、世界の枠組み。それは人の数と同じだけ存在し、しかも刻一刻と変化を遂げる性質のもので、だから彼らには、初めから永遠が与えられていた。だけれど、砂を食むように褪せた物語を咀嚼し続けることの空虚さに、或いはもっと単純に、新たな少女物語の出現に……彼らの心は乖離を志向した。
 唄う少女が、唄える少女が一人であれば、それは世界の全てで在れたのかもしれない。実際には、彼女たちは日を追う毎に増えていき、世界には刻々と唄が増えていた。語られる世界は偏りをもって分割され、その配分もまた時と共に移ろう。盛衰はその周期を狭め、加熱と冷却はもはや同時にすら見えた。
 一瞬で過去に追いやられた唄の周りには、僅かな者だけが残された。
 
 顧みられることのない唄。狂熱の残り火すらも絶えた、その後に残された者たちは、やがて歌い始めた。かつて聴いた物語の続き、変奏、補完。捨象を経て純化へと至る、畸形じみた産物すらもそこには在った。或いは郷愁、或いは哀悼。個々の感慨を乗せた歌は狂熱の残滓を掬い取り、人の輪はやがて、再びその半径を増してゆく。唄う少女を中心として始まった輪は、やがてその外縁に新たな輪を形成するに至った。フラクタルは重層し、やがて最外縁は彼方へと遠ざかってゆく。継嗣は変質し、唄は歌を生む。ゆるやかに広がる熱は、外から来た輪の外縁と接し、融けていく。
 バリエーションが世界を満たし、遂に人々は―――唄を忘れた。
 
 それでもなお、少女は原初の唄を唄い続ける。
 聴衆の減じた小さな輪に、しかし少女は何らの感慨を見せることもない。たとえ聴く者が絶えようとも、なお。そしてまた、聴衆の莫大な増加にも同様に。栄枯の過程に少女が何を想ったかなど、余人に解ることではなく。そも、彼女は何かを想っていたのか、すら。
 だから、とも言えるし、それでも、とも言える。うたわれたものの変奏が、いつだって世界を作ってきた。
 ―――だからこそ、この物語の結末は、そのようにある。

2012年3月5日月曜日

『なんでもなく』

第九回SSコンペ(お題:『卒業』)

 
「卒業、おめでとうございます」

 教室で名残を惜しむ会話を交わし、最後にと部室へ私物を回収しに向かった少年を出迎えたのは、後輩からの祝辞だった。今日は卒業式で、部室には誰もいないはずだ。だというのに、少女はいつも通りの位置に座り、少年の訪れを待っていた。扉を開けたその体勢のままで、少年は暫し硬直する。数秒の間を置いて、少年は口を開いた。

「……え? いま、何と?」

 予期した反応からずれた物言いだったのか、少女の表情が呆れを帯びる。全く、と腰に手を当て、軽く首を振る。

「何って……こっちの台詞ですよそれ。何が何ですかって話です」

「ああ、いや―――お前の口から祝福の言葉が出てきた、という事実に脳が拒否反応をな。すまん」

 真顔を作って、少年は言う。だが、口の端が僅かに吊り上がっていることに、少女は気付いた。ため息をひとつ、これだから、と呟きを漏らしつつ、しかし、少女の口の端もまた、同様に吊り上がる。

「どんだけ失礼ですか。……全く、最後くらいは真面目に送りだしてあげようという後輩心、たったいま残らず消滅しましたよ。ここから先は通常営業です」

 機嫌の悪い風を装い、そう告げる。対して少年はにやりと笑い、

「悪いな。最後まで俺とお前はこんな感じだ」

「ええ、そのようですね。不本意ながら」

 少女もまた、応えるように笑みを浮かべた。皮肉げな笑みが対称の像を結ぶ。どちらともなく、笑い声を漏らした。

「まあ、これで最後だ。不本意かも知らんが、我慢して付き合ってくれ」

 少女と向かいの座席に腰を下ろし、少年が言う。

「嫌々付き合ってあげるとします。わたし、優しい後輩ですから」

 そう言いながらも、少女の声から、繕った不機嫌さは失せていた。

「優しい後輩を持てて幸せだなあ、俺」

「でしょう? 光栄に思うといいです」

 くくく、と押し殺した笑みを少年は漏らす。ふふふ、と少女も追随する。飽きるほど繰り返してきた日常の、最後の一回が始まった。暫しの歓談。最後とはいえ、交わすのはいつも通りの馬鹿話。
 
 
 
 
 
「―――日が暮れてきたな」

「ですね。随分喋ったものです」

 部室の窓からは夕日が射し、二人の影は部室の壁際に達するほど。そろそろ校舎から追い出される時間帯。どちらともなく、居住まいを正す。こほん、と咳払いをひとつして、少年は真面目ぶった体で告げた。
 
「さて。最後になった訳だが、何か言っておくことはないか。恨み言でも何でもいいぞ」

「いえ、特になにも」

 即座に、無表情に言ってのけた。少年の体が僅かに傾ぐ。

「……そうか? いやまあ確かに今生の別れって訳じゃあないが、ちょっと寂しい感も否定できないところだ」

 その言葉に、少女は大きくため息をつく。

「ドラマティックな別れの演出を台無しにしてくれたのは何処の誰ですか、全く。最後にそんなこと言うくらいなら大人しくお芝居に乗ってくれれば良かったんですよ」

 じっとり、と音の出そうな視線で睨めつけて、そう言った。道理だな、と少年は笑う。全くもう、と少女は頭を振る。ややあって、少年は真面目な表情を作り直し、こう告げた。
 
「―――なあ。俺とお前、こんな風に馬鹿みたいなこと喋ってばっかりだったけどさ。こんな風になった切っ掛け、覚えてるか?」

 真剣な質問だと見なしたのだろう、少年の問いかけに、少女は僅かに逡巡し、

「……いいえ」

 遠慮がちに否定を返す。少年は笑みを浮かべて、

「俺もだ」

 胸を張りさえしながら、誇らしげに言ってのけた。少女の表情が、呆れに染まる。いよいよ、少年の笑みは濃くなるばかり。

「思わせぶりなこと言っておいて、それですか」

「違う違う。始まりが曖昧だったんだから、終わりもそんな感じにしておくのが俺たちらしいかな、ってさ。特別に何かする、ってんじゃなくて。明日もまた会うかのように、ってな」

 ああ、なるほど、と少女が呟く。だろう、と少年が笑う。
 
「終わりくらいハッキリと、とも言えそうなものですけど……まあ、いいでしょう。先輩の顔を立てておいてあげます」

「重ね重ね、いい後輩を持てて幸せだよ、俺は」

「でしょう? もっともっと感謝してもらいたいものですね」

 言いながら、少女は机に掛けていた自分の鞄を背負う。
 
「帰るのか?」

 少年の問いかけに、少女は少し驚いた風に目を見開き、そして優しげに微笑して、

「一緒に帰りましょうか?」

 少年はといえば、にやりと笑みを浮かべ。

「一緒に帰ったこと、無かったろ?」

 そして、どちらともなく、笑い声を漏らした。

「……ふふ。帰るのか、って訊かれた覚えもありませんけど」

「まあ、最後の一回くらい、何か記憶に残ることをしておいても良かろう」

「おや。舌の根も乾かぬうちに、というのはこの事ですね」

「……察しろよ。多少は寂しいんだ、俺も」

「その寂しさの半分くらいは、わたしも寂しいですよ」

「冷血漢め」

「女ですけど」

 そして、笑い声。
 いつも通りの日常は、少しの変奏を残して、夕闇に消えた。