2012年11月26日月曜日

『夢の奏でる歌』

 第十六回SSコンペ(お題:『サイバーパンク』)


 六面全てが白色で塗りつぶされた部屋に、少女が二人現れた。背の高い少女と、小柄な少女だった。
 何の前哨もなく中空から現れた彼女たちは、これもまた突然現れた椅子に座り、互いに目を合わせる。
 
「えー、それでは定期電脳演奏練習を始める」

 背の高い少女がそう言うと、部屋の壁は四角錐を敷き詰めた棘状の面を形成し、その内の一面には巨大なアンプが2つ出現した。
 その反対側の壁には、防音の扉と覗き窓。それなりに作り込まれたスタジオのディテールを目にして、小柄な少女が、うへえ、とうめき声を漏らした。

「そこまで凝る必要、ある? ぶっちゃけ部屋の外枠だって必要ない訳じゃない」

 二人の肩にストラップが、その先にギターとベースが現れる。急な重量の増加に、小柄な少女がたたらを踏んだ。
 へっ、と一つ笑って、背の高い少女が続ける。
 
「気分だよ、気分。何もない場所でぽつんと二人、楽器弾いて楽しいか?」
「それはそれでエモそうじゃん。なんかPVっぽいし」
「PVねえ。撮られるような身分にまで上り詰めてみたいもんだが」
「そう、だね。いつか、きっと」
「……ん、どうかしたか?」

 応酬のテンポが乱れる。
 少しだけ、トーンの落ちた応答。目ざとく察して、背の高い少女は怪訝そうに問う。
 応えるように首を振って、顔を上げて、

「なんでも。さて、さっさと準備しちゃおうか」

 そう言った時には、いつもの雰囲気に戻っていた。
 少しの逡巡を経て、背の高い少女は、まあいいか、と作業を継続する。

「あいよ。……いやしかし、実際問題どうやって遅延を解消してるんだろうな」

 がちりとエフェクタを踏み、換装済みの高輝度LEDが灯るのを確かめて、背の高い少女が言った。
 筐体の右側から伸びたケーブルは、少女の抱えるギターに接続されている。水を払うような動作でカッティング。手の動きと同期して、コードが鳴る。
 やっぱり遅れないんだよなあ、と小さな声。

「んー、正攻法で何とかなる問題とは思えないからね。やっぱりアレじゃない、先読みとかそういう」

 小柄な少女が言う。
 彼女が抱えるのは、少し小型の4弦ベース。クワガタのような、と評されたこともあるその形状は、背の高い少女の持つギターと相似形だ。
 ぶうん、と唸るような低音を奏でる。散漫な、しかし規則性に満ちた音列。数巡してから、ギターが乗った。

「時間領域での解析と補完、或いは私のモーションからの予測、ってとこか。正直、もにょる部分が無くはないんだが」
「どこらへんに?」
「生音じゃねえ、って所にだよ。単純にさ」

 喋りながらも、手は止めない。
 流れるような低音と、それを寸断するような和音とが、会話の調子と相互に影響し合う。

「そうかなあ。完璧に再現されてれば、わたしは本物と同じだって思うけど」
「私は嫌なんだよ、そういうの。私たちのジャンルは何だ? 言ってみ?」

 ブルースのセッションのような演奏は、やがて技巧を削ぎ落とし―――或いは振り払って、スピードを増していく。
 加速するギターに追従して、ベースもまた、単線的に純化されていく。

「パンク」

 小柄な少女がそう言うと、背の高い少女は叩きつけるように弦を弾いた。
 大音量のフィードバック。空間を埋め尽くす暴力的な音の中で、小柄な少女は黙したままアドリブを開始する。

「そうだよ。パンクだ、魂の音楽だ! ……理屈っぽい負け犬の歌だよ。そして魂の歌でもある」

 轟音の中、吠えるように、誇らしげに放たれた言葉に、小柄な少女の口元が釣り上がる。

「今、魂って二回言った」
「二倍大切だってことだ」

 笑われた、と認識した少女もまた、同様に笑みを浮かべる。
 フィードバックが収まると同時に、ベースソロも終了する。室内に静寂が戻る。

「あー……いい演奏だったな」
「曲としてはどうなの、って感じだったけどね」
「いいんだよ。エモーショナルなプレイでパッションがエクスプレッションされただろうが。それがパンクだ、たぶん」
「たぶん、かあ……」

 軽口を叩き合うのと同期して、空間を構成していた物体が消滅していく。
 白く染まっていく世界の中で、背の高い少女は、将来の展望を口にしていく。

「まあ、曲を合わせるばっかりが練習じゃないだろ。幸いにして、合同練習の回数は結構多く取れてるんだしさ」
「そうだねえ。たまにはこんな感じでも、いいかな」

 部屋が構築された時と同様の、白い空間。
 向き合って立つ二人の他に、実体感を持つものはない。

「そうそう。時間は沢山あるって言っちゃうのもまあ何つーか、意識低いんだろうけどさ。私たちにはそんな感じのペースが一番合ってるんだよ、たぶん」
「たぶん、ねえ。折角いいこと言ってるのに、適当に終わらしたら台無しだよ」
「いい感じだったか? さすが私だな」
「だから、そういうのが駄目だって言ってんの」
「手厳しいなあ、まったく―――ってお前、何で泣いてるんだ?」
「――――――!」

 瞬間、背の高い少女の姿が消滅する。
 参ったなあ、反射的にやっちゃったよ、と呟いて、小柄な少女は涙を拭った。

「さて、どうしよっか……記憶を保存するなら、言い訳考えておかないと」

 今日の分の記憶を、彼女の人格を構成するプログラムに渡す。これで、彼女の連続性は保たれる。
 次に会う時、彼女は聞くのだろう。なんで別れ際に突然落ちた、なんで泣いていた、と。心配を顔に浮かべて、真剣に。
 応答を考えることには、少しの楽しさと、莫大な虚無感とが宿っていた。

「―――完璧に再現できてれば、か。本当に、馬鹿みたい」

 ごめんね、とひとつ呟いて。
 次の邂逅を思い浮かべ、少女は部屋をログアウトした。 

2012年11月12日月曜日

『雪もやを抜けて、君に』

 第十五回SSコンペ(お題:『一人漫談』)

 雪虫対策は、雪国に生まれた子供の宿命です。
 ……いきなり何を、とお思いでしょうが、特におかしなことは言ってませんよ。まあその、唐突ではあったかもしれませんけど。内容そのものはごくありふれた、自明と言ってもよいものでしょう。たぶん。おそらく。

 ―――ああ、雪虫をご存じない? それはいけません、これからする話に支障が出ます。では、簡単にご説明しておきましょう。
 雪虫とは、綿毛を纏った羽虫のような虫のことです。……ええと、そんな微妙な顔をされても困るんですが。詳しい生物学的解説がご所望でしたら、後でグーグル先生にでも尋ねて頂けると幸いです。本筋には関係ありませんので。さて、雪虫ですが。遠目に見ると、これが本当に雪と見紛うほど雪らしく飛びます。殊に、集団で風に舞う様子などは完全に雪のそれです。遠目で窓越しにとなれば、雪国が長い人でも騙されるんじゃないでしょうかね。
 
 彼らは大抵、昼過ぎから夕暮れ時にかけて現れます。冬の白い太陽を受けて、或いは夕暮れ時の茜色に紛れて色づく様子はそれなりに幻想的なものですが、しかし雪国の子供にそんな悠長な感慨を抱いている余裕はありません。
 先にも言いましたが、雪虫は虫です。羽虫です。群れになって飛びます。その群れの中に突っ込んだら、さてどうなるでしょうか?

 くっつきます。死ぬほど。顔面が羽虫だらけ、眼鏡を掛けていればまだ良いものの、裸眼であれば洒落にならない事態が発生します。鼻にも口にも雪虫が侵入、秋物のコートはまだらに雪化粧されます。
 まあそれはいいよ、仕方ない、と考えたとしましょう。顔面はまあ不快だけど気をつけよう、服についた虫は後でほろえばいいや、と。そして家に帰ったあなたは体や服についた雪虫を強く弾きました。

 死にます。すごい勢いで死にます。

 背中に背負った綿毛を血痕のごとく引きずって轢死します。雪虫の脆弱さには凄まじいものがあります。顔面も服も今や羽虫の死体まみれです。これは気持ち悪いし罪悪感がひどい、と気分が鬱ぐこと請け合いですね。
 よし判った、不殺を貫こう、とあなたは考えました。払ったら死ぬのだから、空気で弾き飛ばそう、と。優しく鈍角に、息を吹きかけたとしましょう。

 それでも半数ほど死にます。むしろ付着した時点で瀕死の個体が割と多数派です。
 どうしたって死ぬのかよ、と落胆したあなたの視界に白い雪が舞います。まさか、と思って天を仰げばそこには無数の雪虫。なぜ、死んだはずでは、そう思ったあなたは一つの可能性に思い至るでしょう。

 そう、髪です。優れた柔軟性とトラップ力の低さを兼ね備えた理想の離着陸場、それがあなたの髪です。うわあと思って手櫛をさせば白粉のような粉末と羽虫の死体。そう、生きたまま付着したとはいえ、触ればやっぱり死ぬのです。あなたは愕然としながら、頭を洗って彼らを根絶やしにするか、或いは彼らを全て頭から離陸させるかの選択を迫られることになるのです。
 離着陸場と化したあなたは失意の中でこう思うことでしょう。どうやって除去するかではない、付着させた時点で完璧に負けているのだ、とね。

 ……以上が、わたしがあなたに騎乗槍突撃のような体で突っ込んでしまった顛末ですね。自転車に乗りながら彼らを避けるとなれば、傘を前方に構える以外に道はありません。流線型のフォルムにすべすべの表面、正に雪虫対策のためにあるような形質です。多くの命を殺めずにいられたけれど、こうやって一人の人間を害してしまったことは残念でなりません。不幸な事故と言うほかないでしょう。これは一種の緊急避難と解釈されるべき案件なのではと考えます。
 そんな訳で許……さない。ええ、そりゃあそうですよね。ですがあの、できるだけ痛くしないで欲しいんですけれども。善処はする、はい。えっ、そんな表情には見えな―――。

2012年11月3日土曜日

『映画みたいに』

第十四回SSコンペ(お題:『真実』)

 小学生の時分に親が離婚して、ほどなく再婚。
 鏡映しの、対称な境遇。互いに一人っ子だった少年と少女は、妹と兄を得た。
 とはいえ、物心のついた小学生。無邪気に仲良くなれるほどには幼くもなく、割りきって振る舞えるほどには大人でもなく。互いに躊躇し、遠慮しているうちに、それが当たり前になってしまった。
 踏み込めばきっと何かが変わるはずだと感じてはいても、実際に動くには気が重い。そんな、どこか寂寞とした緊張感の漂う関係性は、両者が中学生に上がっても続いていた。



 変化の切っ掛けは、少年がレンタルビデオ店でふと見かけた、古い作品だった。映画にさほど興味のない彼でも、名前だけは知っている洋画。
 たまには古い映画でも観てみようかと、少年はその作品を借りて帰った。

 少年はとした空気の流れる作品だった。普段観ているアクションやサスペンスとは違うけれど、なるほど、悪くない。そんなことを思いながら観ていると、彼は傍らに人の気配を感じた。
 ふと視線を上げると、そこには妹がいた。彼女は立ったまま、目配せをする。兄が軽く頷くのを見て、少女は静かに腰を下ろした。二人分の重みをうけて、ソファが軋む。
 きぃ、とスプリングの立てる僅かな音。収まる家へ帰ると、居間で視聴を開始した。
 ゆったりと、すぐに静寂が戻る。

 小さな変化も意に介さず、映画は淡々と進み、やがて終わる。
 少年はデッキを操作しようとして―――傍らから注がれる視線の存在に気づいた。じっと見つめる、妹の目。
 少年は少し考え、リモコンを妹に渡した。彼女は会釈を返して、巻き戻し操作を行う。教会のシーン、男女の戯れの様子が画面に映ったところで、巻き戻しが止められる。
 静かに見入る少女を眺めて、少年は内心で微笑ましいものを覚えつつ、自室に戻った。 



 翌朝。寝起きの少年が目にしたのは、視界いっぱいに広がる、彫刻めいたはりぼてだった。
 昨日、映画で観たばかりの形。絶句していると、はりぼての後ろから少女が顔を覗かせる。

「おはようございます。ローマの名所が朝をお知らせします」
「おはよう―――まさか無生物に起こされようとは」

 想像もしなかった、とわざとらしく呟く。
 軽口に軽口で応じてみたはいいものの、果たしてこれが正しい対応だったのか、彼にはわからなかった。
 間違ってはいないはずの自然な流れに、浮ついたような雰囲気が付き纏う。

「兄さんの目覚まし時計、生きてたんですか」

 眉も動かさずに言ってのける。
 冗談なのか、突っ込みなのか、天然なのか―――少年が二の句を継げないでいると、冗談です、と少女は漏らした。 

「しかし、一晩で作ってのけるとは……ちゃんと寝たの?」
「睡眠よりも優先順位の高い消費方法があるのなら、夜の時間はそのように使われるべきです」
「そのハリボテが?」
「ええ、極めて高い優先順位を」

 そうなんだ、と適当に納得する。そうなのです、と適当に相槌をうつ。
 寒々しいようでもあり、しかし阿吽の呼吸とも評せそうな、奇妙な距離感。

「という訳で。手を、どうぞ」
「……はい?」
「ですから、手を。口の中へ」

 言って、ずい、とはりぼてを前に押し出す少女。
 威圧感に気圧されつつ、少年は右手をはりぼての口へと差し込んだ。
 それを見届けると、少女は僅かに微笑む。

「では、質問を始めます」
「あー、そういう流れ」
「他にも候補が?」
「てっきり、映画通りのリアクションを求められているものかと」
「成る程。ですがまあ、今回は」
「質問だったね。いいよ、言ってみな」
「はい。では―――」

 少しだけ間を置いて、

「兄さんは、私を疎んでいますか」

 眉ひとつ動かさず、声色を変えるでもなく。
 それは、無造作に飛び込んで斬り付けるような問いだった。

「―――まさか。大事な妹だよ」

 彼自身驚いたほどに、平常通りの声。―――或いはそれこそが、動揺の証だったのか。
 言って、ゆっくりと引き抜きに掛かった、その動きは止められた。
 はりぼての向こう、彼の手をしっかりと握る、彼女の手。

「嘘ではないにしろ、本当でもないらしいですね」
「……そもそもこういうのってさ、先にいくつか無難な質問してから最後にやるもんじゃないの」
「刑事ではありませんし、妻もいませんから」

 ―――本題から入った方が、無駄がないでしょう?
 そう呟く少女の顔には、一片の稚気すらも浮かばない。状況の奇矯さと合わさって、ひどく滑稽だった。
  
「仲の良い兄妹、だと思うけどね」
「傍から見ればそうでしょうね」
「……いずれ打ち解けられるものだとばかり思ってたよ」

 言いながら、目を瞑る。
 その場凌ぎだと、言う前から判っていた。

「私もそうです。いずれ、ゆっくりとでも本当の妹になれるものだと」

 ですが、と呟いて。

「そうはならないって、気付いたんです」
「遠かったから?」
「逆ですよ。何も言わずに傍に居られる関係が、心地良すぎたんです」
「そっか。僕もだ」
「ええ、知ってました」

 大仰な演出に、唐突なやり取り。
 派手な仕込みが齎したのは、最後の一歩を詰める切っ掛け。

「今日は何か、用事はあるの?」
「いいえ、暇ですよ」
「そっか。なら、話でもしないか」
「どうしてそんなことを?」

 とぼける少女の顔には、隠しきれない微笑が浮かんでいて。

「大事な妹と、打ち解けたいと思ってさ」

 するりと抜けた手が、少女の頭を撫でた。