2014年2月16日日曜日

『セルフサービス』

第二十一回SSコンペ(お題:『バレンタイン』)



「……なんだこれ、水牛か?」

 壁を埋め尽くす計器類に、天井から垂れ下がる無数の電源ケーブル。雑然とした景色とは裏腹に、室内の空気は極めて清浄に保たれており、部屋の主の意識の向かう先が伺われる。
 そんな研究室の中で、茶色の牛に肩を預けてもたれかかる少女を前に、青年は困惑を隠そうともせずにそう言った。
 
「違いますよ。牛は牛ですけどね」

 ふふん、と笑う少女に、青年の表情が渋みを増す。自分にはよくわからないことが起きていて、かつ少女が上機嫌な時、何かしら被害を担当するのは自分だと経験的に理解しているからだ。

「聞きたくもないけど聞くぞ。それ、何の牛なんだ。なんで研究室に牛がいる」
「おっと、もうちょっと渋るかと思ってましたが、イベント会話であることを看破しましたか。さすがは先輩ですね」
「正直、ミッション失敗判定でお開きにしたいんだけど……」
「残念、強制イベントです。特定キャラとの会話がトリガーの、ね」

 言いながら、少女は手元の端末に短いコマンドを続けざまに入力する。途端、彼女の背後に控えていた幾つものシャッターが次々と開き、中に隠されていたものたちが青年の視界に入ってきた。

「これは……牛……だよな…………?」
「なんで疑問系ですか。牛ですよ」
「いや、俺の知ってる牛とはだいぶ違うんだが」

 シャッターの向こうから現れたのは、色とりどりの牛の群れだった。純白の牛、ピンク色の牛、黒毛という言葉が馬鹿らしくなるほどに全身いたるところが真っ黒の牛。
 単色の彼らはまだマシな方で、中には黒の中に真紅の斑だったり、黒と茶の縞だったりと、幼い子供の塗り絵をそのまま現実に持ってきたような模様のものも存在した。

「なんなんだよこの悪夢みたいな光景は……」
「先輩、今日は何の日か知ってます?」
「ん……まあ、そりゃな」

 言い淀む青年の姿を見て、少女は勢いづく。

「おやおや、ってことは先輩、やっぱり期待して来ちゃいました? 期待しちゃってました? んんん? どうなんですそこんとこ……あっボディはやめてくださいよボディは」
「いいからさっさと教えろ。なんだこれ」

 いそいそと脇腹をかばいながら距離をとり、少女はひとつ咳払いをして、

「バイオ工学によってこの私に創造されたチョコ牛です」

 きりり、と音が聞こえてきそうな澄まし顔で、そう言った。
 言い終わると同時、既に青年は踵を返して入り口へと歩を進め始めていた。腰に縋り付くように少女がタックルを敢行する。たたらを踏みつつ、青年は止まった。

「待って待って待って待って! なんですかもう、まだまだパーティは始まってもいませんよ!?」
「やだよ俺もう……どうせチョコ味の牛を食えってんだろ? 色は味と対応してんだろ? またぞろ俺が実験台なんだろ? いいから義理ですーって言ってチロルチョコの一つでもくれよそれで納得するから」
「うわぁ……畳み掛けるように流れで義理チョコ要求とは本気で必死ですね……」
「なんで基本的に話聞かないのに流して欲しいところだけ拾うんだお前」

 傷ついた風に呟く青年に、少女は笑みを深める。

「愛ゆえに、ですよ。話を戻しますけど、色と味が対応してるのはその通りです。可食部は肉ではないですけどね」
「いや、まさか……お前、さすがに排泄物をチョコ扱いってのは……」
「しませんよ! 可憐な少女になんてこと言うんですか!」

 すまんすまん、とおどけた様子に、本気では言っていないことが知れた。まったく、と少女は溜息をひとつ。

「乳ですよ、乳。乳房からチョコが出てくるんです、このバイオ牛たちは」
「乳って連呼すんなよ自称可憐な少女。まあ、肉よりはマシか。依然としてイカれた絵面だけど」
「でしょう? 肉はナシとして、じゃあ尻から出すか乳から出すかで悩んだ末の英断ですよ。褒めてくれてもいいんですよ?」
「おい可憐な少女、おい」
「まあそんな訳で、わかりますよね?」

 にっこり、と微笑む少女に、青年が照れを滲ませた様子で頭をかく。

「んー、その、まあなんだ、チョコを用意してくれた……ってことでいいんだよな。ちょっとアレな絵面のチョコだけど、それは素直に嬉しい……ん、あれ、ちょっと待った」
「なんです?」
「それ、乳房から出るってことは液状のチョコなんだよな?」
「ええ、そりゃそうです」
「貰う側が事前にごちゃごちゃ言うのって凄く気が引けるんだけどさ、こういうのって型に入れて固めたりとかするんじゃないのか」
「いや、しませんけど?」
「ああ、ということは器から直飲み的な……? いや、ごめんな実際。用意してもらえただけでありがたいのにさ。なんか文句ばっかり言っちゃって。アレか、チョコレートドリンクって奴なのかな」
「いえ、器は先輩の口です」
「はい?」
「ですからこう、授乳の要領でですね?」

 牛の下に寝そべり、乳房の下であー、と口を開きながら、片手で何かをしごくような動きをしてみせた。
 青年は無言で近づくと、瓦割りの要領で手刀を落とす。

「なんですかもう痛い痛い! ボディはやめてくださいって!」
「なんで牛に授乳されなきゃならないんだよ! 百歩譲って蛇口捻って出てくるとかでもいいだろうが!」
「搾乳プレイは男の夢だって雑誌で」
「今すぐ捨てろよその雑誌……あーもう……」

 青年はためいきをひとつ。そのまま踵を返して歩き出す。

「えっ、あれ、怒っちゃいましたー? せんぱーい?」

 呼び声に応えて振り向いた青年の、その顔にはあからさまな照れの色。

「……器取ってくるんだよ、器。ここ、なんかしら冷やす機材とかあんだろ? オリジナルチョコ作って食おうぜ」
「おっと。ではでは、お供しますよ」

 よっこらせ、と身を起こそうとする少女に青年が手を差し伸べる。どうも、と起き上がったその表情には、満面の笑みが浮かんでいた。





「……ところで先輩、さっきパンツ見えてましたよね? どんなもんでした?」
「言わんでおけば綺麗に終わってたところを、お前は……」