2011年4月25日月曜日

『想いを繋いで』

 荒野をゆく旅人がいた。
 もしかしたら、と。確証のない希望にすがり、体躯に見合わぬ荷物を背負って、どこまでも、どこまでも。
 広漠とした世界。それでも誰かに会えるかも知れないと、痛む足を引きずって。

 進んでいるのか、止まっているのか、判然としなくなったのは何時のことだったろうか。
 緩慢な歩みはついに途切れ、やがて自然に足は崩れ、旅人は地に伏した。
 横たわる瞳には悔しさが滲む。
 このまま誰にも会えずに終わるのかなあ、と独りごちる。

 そんな彼に、黒い影が被さった。
 顔を上げればそこには化物。黒く染まった、異形のヒト。
 瞳も鼻も、耳もなく。黒いヒトガタに、真っ赤な口だけが裂け目のように走っている。
 ヒト二人分はあろうかという巨大なソレは、大きく口を開いて、旅人に迫った。

 刹那、息を飲み―――一瞬遅れて、理解が訪れる。
 
「ありがとう。連れて行ってくれるんだね」

 赤い空洞に何を視たのか。旅人は、微笑みを浮かべながら、化物の腹に消えていった。
 飲み込んだ分だけ大きくなる、その体躯。膨らんだのは、旅人の分。
 化物はやがて、旅人の荷物を抱え、歩き出した。






 ―――このセカイで、もしも誰かと会えるとしたら。
 ―――僕はもう駄目だろう。でも、希望を確かめることさえ出来れば、僕は。

 



 原初の願い。
 邂逅を望んだ、少年の想い。
 食らって、呑んで、また食らって。
 何人もの想いを腹に、化物はまた、希望を探す旅を続ける。

2011年4月18日月曜日

『ぺるそながーるず』

「はい、お兄ちゃんの分のおべんとう! 今日も美味しく作れたよ!」

 昼休み、屋上で食事をとるのが彼らの日常だった。
 春先の風は冬の名残を幾分感じさせるものであったけれど、気心の知れた者同士で食べる昼食は、多少の肌寒さなんて吹き飛ばしてしまうものだろう。
 最愛の妹がこしらえた、簡素ながらもどこか可愛らしく包まれた弁当箱を受け取って、彼は顔を綻ばせた。
 
「いつもすまないね」

 妹が毎朝早起きして作ってくれる弁当。本当にできた妹だ、と彼は思う。
 妹もまた、敬愛する兄の謝辞に笑みを深める。そして、そんな兄の軽口に乗ろうとして、

「それは言わない約束、ってやつですね」

 横から割り入ってきた声に、出鼻をくじかれた。
 頭上から顔を突き出し、座っても? と二人を伺うのは、彼ら共通の先輩であった。この兄妹の食事にこうして合流するのが、新学期からの彼女の日課なのだった。
 
「ここ最近は毎日いっしょに食べてるんだから、もうそういうのは止めましょうよー。水くさいじゃないですか。……お兄ちゃんもそう思うよね?」

 台詞を横取りされた恨みがあるのか、ぷりぷりと怒りながらスペースを空ける妹に、兄は苦笑いを返す。
 そして、格好を付けるでもなく、

「そうだね。でもまあ、そういう律儀なところが先輩のいいところだから、さ」

 さらりと、気障な台詞を吐いてのけるのだった。
 沸き立つのは、少女たちである。

「あう……。そう真正面から褒められると、照れてしまいます……」

「あー、せんぱいったらかわいいなー!」

 三人の笑い声が、人のいない屋上に響いた。
 
 
 


「―――あ、そういえば、僕はちょっと用事があるんだった。二人とも、また後でね」

 昼食を食べ終えて暫くすると、彼はこう言い残し、席を立った。
 遠のいていく足音、屋上の扉が閉まる音、屋上への階段を下る音。その全てを聞き届けると、二人の少女の間に漂っていた空気は、弛緩することをやめた。
 
 先に切り込んだのは、妹である。
 
「……良い機会だと思うから単刀直入に聞きますけど、何で私たちの食事に割り込んでくるんです? 私たち、前学期までは特に親しい訳でもなかったでしょう?」

 その表情に、声色に、敵意を隠そうともせずに言ってのけた。
 そしてまた、受ける少女も異常には違いない。彼がいた時と同じ笑みを、これだけの害意に晒されてなお、揺らがせないのだから。

「彼がわたしと同じく生徒会に所属し始めたから。要は、有望な後輩と懇意にしておきたかったから……というのはどうです?」

「馬鹿にしてるんですか?」

「ええ、もちろん」

 睨みあい―――否、探りあいである。

「兄さんに恋を?」

「あら、さっきまでは『お兄ちゃん』だった気がするんですが……わたしの気のせいでしたか?」

「『あう……』とか口に出して言ってた人間に言われたかないです。なんですかそれは。ヒロイン気取りですか。マンガ世界に帰ってください」

 探りあい―――否、単なる口喧嘩であった。

「彼がどういう女の子を好きだか解らないでしょう? キャラ変えつつリサーチ中なんですよ察してくださいよ頭悪いですね」

「少なくとも裏表激しい二重人格女に惚れたりはしないと思いますけどね私は」

「あれれ、それって自己紹介ですか? そういう話の流れじゃなかったと思うんですけど? 文脈読めてますー?」

「ブチ殺しますよこの年増が」

「人の恋路に頭つっこんでんじゃないですよ実妹の分際で」

 両者とも、ひとつ息をつき。
 
「……貴女が兄さんを狙ってるのは解りました。渡しませんけどね」

「姑気取りですか。まあ構いませんよ、結婚式では悔し涙とともにスピーチしてもらいますから」

「もう結婚式の妄想ですか。どんだけ気が早いんですか。ちょっと素で気持ち悪いと思いましたよ今」

「何とでもご自由に。添い遂げる相手はもう彼に決定してるんですから。実妹の貴女は悲恋に泣いたり何処の誰ともしれぬ人間に寝取られたりしてればいいんですよ」

「うわ、エロまんが脳だ……。エロまんが脳がいる」

「解っちゃう貴女も大概でしょうに!」

 ぐぬぬ、と睨み合う少女二人。
 やがて、どちらともなく、笑みを浮かべる。皮肉げに口角だけを持ち上げて。
 奇しくもそれは、鏡写しの構図であった。

「まあ、わたしの恋愛劇をかぶりつきで眺めて涙するといいです」

「悲劇にならなきゃいいですねえ。たとえばインセストな感じのバッドな展開とか、ね」

 口喧嘩が今一度ヒートアップしようかというその時に、階段を登る足音が聞こえた。
 二人は打ち合わせることなく、しかし完璧に対称のとれた動きで元の位置へと素早く戻る。
 扉が開かれた瞬間には、彼が席を立つ前と寸分違わぬ情景が再現されていた。
 
「二人ともまだここに居たのか。用事も終わったところだけど、昼休みももう終わりだし、撤収しようか」

「ええ、そうですね。―――ねえ、妹さん。お話の続きはまた、お兄さんの居ない時にでもしましょうか」

「うん! さっきの話はちょっと、お兄ちゃんには聞かせられないからねー」

「あはは、僕には内緒の話なのか。いや、仲が良いみたいでなによりだね」

 肩を組んで軽口を叩き合う妹と先輩に、彼の表情が緩む。
 ―――微笑む彼からは、彼女らが脇腹に一本拳を埋めあっている様が見えなかった。見えない角度を選んで、両者ともに同じ攻撃を選択したのだった。
 朗らかに笑う少年と引きつった笑いの少女二人。彼らの歪んだ関係は、まだ当分続くことになる。

2011年4月14日木曜日

『どこがすき?』

「わたしのお姉さまになってくれませんかっ!?」

 昼休み。屋上に呼び出された少女を待っていたのは、もはや日課と化している年下の少女からの求愛であった。日課というのは誇張ではなく、彼女は実際、日に一度は呼び出されて「お姉さま」となることを求められている。
 年上の少女は、瞑目して頭を掻き、目の前でじっと自分を見つめる後輩を眺めつつ―――何度目か判らないほどに繰り返してきた台詞を今一度頭の中で繰り返して、
 
「悪いけど答えは同じだ。興味ないんで、パス」

 低い声でそう告げた。
 告げると同時に曇ったであろう、色を失ったであろう後輩の顔を視界に収めないように、彼女は早足でその場を去った。
 後に残された少女がどんな顔で何を想うのか、彼女は知らない。知りたくもなかった。
 
 
 
「で、姉さんは結局、想いに応えたいってことで良いんだよね?」

 年上の少女の部屋、彼女は弟を招いて話をしていた。議題は件の年下の少女について。
 弟の単刀直入な物言いに言葉を詰まらせながらも、彼女はしばらくの間をおいて、こくりと頷いた。
 
「だってさ、初めて言われた時には気が動転してたし、ちょっと考える間が欲しかったってのも本当のことだし、そんな状況で軽々しく受けられる話でもないと思ったんだよ。でも冷静に考えて、ああ、こんなにあたしのことを好いてくれる子がどれくらい居るのかなあ、って思ったら受けてもいいかなって気持ちが強くなってきて、それで」

「いざ受けようと思ってみたらタイミングが掴めずここまで来た、と。端的に言ってヘタレだよね、姉さんってば」

「……弟よ。手心とかそういうアレは売り切れてるのか」

 長々とした弁明を断ち切る指摘に、彼女の頭が力を失い垂れ下がる。

「姉さん以外のひとに対してはいくらでも用意してるさ。まあ、僕はシスコンだからね。敬愛する姉にはついつい本音が出てしまう」

「愛が痛い……」

 背をベッドに預けてゆるゆると崩れ落ちる姉を見て苦笑しつつ、しかし弟は真面目な声色をもって言葉を紡いでいく。
 
「正直な話、さ。姉さんがヘタレってのは事実として、他にまた理由があるらしい、ってのは解るよ」

 その言語に、姉の表情が剣呑さを帯びる。

「ふうん。言ってみ?」

「じゃあ言うよ。姉さん、『好かれたのは外面を繕ってる時の格好いい自分であって、こんなヘタレな理由でずるずる先延ばしにするような自分じゃないかも知れない』って思ってるだろ。いや別に肯定も否定もしなくていいんだけどさ」

 沈黙は雄弁であった。
 しかし言葉通りに返事をしない姉に、弟は尚も言葉を浴びせる。
 
「それはね、姉さん。それは、傲慢な考えだよ。姉さんが自分で思ってる『自分の良いところ』ってのが何なのかは知らないけどさ、他人が自分を好くとしたらそれをだろう、って決めつけて忖度するのは違うよ。それは、相手をヒトとして侮辱してるようなものさ」

 言って、弟は立ち上がった。姉からの反応はない。しかし彼は、自らの姉が―――自慢の姉が、これだけ言われて何も考えられない人間であるなどとは微塵も思っていなかったし、それどころか自分すらも考えていなかったような素晴らしい境地に至れる人間であると、そう信仰していたのだ。だから、そのまま部屋を出ることに微塵の躊躇も見せなかった。
 そして彼の予想通り、後ろ手に閉めた扉越しに、小さな己への発破の声が聞こえるのである。
 
「損な役回りだよなあ。見も知らない女の子とやら、嫉妬するよ」

 小さく、呟いた。
 
 
 
「あのさあ、あんた今日も先輩に告白すんの? そろそろ諦めた方がいいんじゃない?」

「告白じゃないよ。妹にしてもらうだけだもの。それに、本心で断られない限りは絶対に諦めないって何度も言ってるじゃない」

「本心で、ねえ。そんなにも自分の目に自信があるわけ?」

「そりゃね。きっと、あのひとの事をいちばん良く見てるのは、世界レベルで見てもこの私だと思うよ」

「ふうん。まあ、わたしに止める筋合いなんぞありゃしないからね。存分におやりよ」

「言われなくたって!」

 毎朝のように繰り返してきた軽口が、この日をもって終わることを、彼女は知らない。
 今日こそは、と心に決意を刻んで、少女は軽やかに屋上への階段を登っていった。

2011年4月13日水曜日

『けんじゃのじかん』

「『君が好きだ、愛してる、ああ、おかしくなってしまいそうだ!』」

「『わたしもよ。あなたが好き。言葉の非力さがもどかしいわ』」

「『どうすればいい? 教えてくれ。君のためなら何でもする!』」

「『じゃあ、抱きしめて。それだけでいい。それだけがいい』」

「……それを聞いた男は、女を壊れんばかりに抱きしめた、と。なるほど、これで恋愛が成就した訳だ。どう思う? とりあえず二人にとって幸福な形に納まったように見えるんだけど」

「ロマンチックだわ…………たぶん。正直実感はできてないけど、おそらく客観的に見てロマンチックなはず」

 月に照らされた夜の公園で、本を広げて男女が向い合っていた。
 そこに綴られた純朴で暖かな恋愛劇を、彼らは科学者の眼差しで読み取ってゆく。
 
「……まあ、理屈の上では理解できてるんだよな。己の内から湧いてくる熱い情動、抑えきれない想い。それがきっと、『純粋』だとして持て囃されたことがあるだろうことも。でも、肝心の『感情』それ自体が実感できない」

「原理的に、私たちは理解し得ないんじゃないかしら……って疑念はとりあえず脇に置いておくとして、とりあえず、理解の芽があったとしても手法自体に私は疑問を抱いてしまいそうなのだけど」

 身振りも手振りも極端に少なく、抑揚も感じられない、平坦な会話だ。
 そんな交感を当たり前のものとしているのか、二人は淡々と言葉を交わしていく。

「演劇が駄目、かい? まあ、感情を剥奪されてるらしい(・・・)からね、僕らは。そもそも無理なのかも知れないし、一方でとやかく言っても仕方ないのも確かだ。それには同意するよ。それでも、これ以外に方法があるか、と言われると僕には見当がつかないな」

「模倣して理解しようって発想は悪くないと思うわよ。でも、私たちの持ってたはずの『衝動』ってものが、鈍くなってるのか、或いは完全に無くなってるのか―――後者だとしたら、何をしたって徒労でしょうね、とも思う。詮なきことだけど」

「ああ。考慮しても仕方のないことさ。とはいえ、未来もない世界に生きてるんだ。酔狂に死ぬのも悪くないように思うんだけど」

「その言葉に胸がキュンとしたり頭がのぼせ上がったりしたら目標達成なのだろうけどね。残念ながら、そのとおりね、と納得する気持ちしか浮かばなかったわ」

 『戦争は男が起こす』。過激なフェミニストの言説に見られた主張だが、これが更に先鋭化/一般化し、遂には『衝動が諍いを起こす』という認識を生じさせてしまった世界があった。そして、ヒトは衝動を捨て、真に理性的な生き物となるべきだ、という信仰が狂熱を帯びて世界を覆った。
 脳科学の発達した世界であれば、倫理さえ無視してしまえば然程難しくもない処置である。生まれた子に施される、衝動を去勢するイニシエーション。子の代へ孫の代へ受け継がれた儀式はしかし、世界から活気を奪い、緩慢な滅びを招き寄せるに至った。
 たゆたうように終わっていく人類史。その黄昏の中で、前世紀の/全盛期のヒトの情動に興味を持つ者が現れても、驚くにはあたらないだろう。
 彼らがしているのは、つまりそういうことだった。

「称揚されていた生き様、何より尊いとされていた想い、そういったものが根こそぎ狩られてしまった世界って、何なんだろうね」

「さあ。とりあえず、誰も『世界を救おう!』と思う程度の衝動すら発揮できないあたり、種としては退化してるのかも知れないわね。ヒトのセカイもまた同様に縮んでしまったと言えるかしら」

「悲劇的、なんだろうな。きっと。多くの書物を読んだ経験から言えば、きっとこの状況は悲劇で、この世界はディストピアなんだろう。前世紀のヒトから見れば。ヒトがヒトである意義すら消失して、尚も続いてる世界だなんて」

「そうは言うけれど、悲壮感のない悲劇なんて喜劇みたいなものじゃないの?」

「違いないね」

 観測する者のない世界、悲劇と理不尽に飲み込まれた者たちの世界は、穏やかに朽ちていく。

2011年4月10日日曜日

『いいよ、待ってる』

「僕のことが信用できないのかい?」

「全部が、とは言わないさ。お前がその、なんだ、全能の者だってのは理解できたよ」

 部屋の中に散らばった雑多な品物―――PC、ゲーム機、テレビ、書籍、楽器、その他ありとあらゆる「俺の望んだ」もの―――を横目で確かめながら、俺は目の前で首を傾げる少女にそう言った。この品物は全て、少女が俺のリクエストに応え、空中から手品のように出現させて見せたものだ。
 
「そうか、それは良かった。喜んでもらえてるかどうか不安だったが、少なくとも僕の力の証明にはなったということだね」

「ちなみに言っておくが、このプレゼントに関しては本気で嬉しいと思うぜ」

 何せ、我を忘れて欲しい物を次々とねだってしまったくらいである。あさましいなあ、と自らを恥じる気持ちも有りはしたのだが、それ以上に、心底楽しいといった調子で応えてくれる少女の笑顔が眩しくて―――いや、止そう。
 逡巡しかけた俺の内心を知ってか知らずか、少女は顔を綻ばせる。

「いや、それは重畳。全くもって嬉しいね」

 にっこり笑った少女はしかし、次の瞬間には眉をヘの字にたわませて。

「さて、じゃあ訊こうか。僕がそのような力を持つ……少なくとも無から有を生み出す程度のことが可能な存在であることはご理解頂けたと思う。じゃあ、何が理解できないと言うんだい?」

 その声色は呆れているようにも、困っているようにも聞こえた。そして何より、悲しんでいるような響きをすら、含んでいたように感じた。
 だから、ここで誤魔化してはいけないと俺は思ったのだ。

「お前が俺を好きだという、その理由が解らない」

「……理由か」

 頬杖をついて考える素振りを見せた少女に、言葉を被せていく。

「ああ。自慢じゃないが、俺は人並みの能力しか持ってない普通の人間だよ。そんな存在になんでお前みたいな凄い奴が興味を持つのか、それが全く解らない。常識的に考えて、釣り合わないにも程があるだろ」

 最後の方は何か滅茶苦茶になってしまった気もしないではないが、ともかく一息で言い切った。少女は瞼を閉じ、少し考え込むようにして、
 
「申し訳ないが、想いの根拠を説明することは出来そうにない。何たって、一目惚れだからね。長く生きてるが初めての経験だ。それと、釣り合うかどうかで考えるなら、僕に釣り合う存在なんて居やしないよ。だから、君の能力は理由にならないし、君の環境も理由にならない。『理由なんてない、でも一緒になりたい』。それじゃあ駄目かな?」

 俺は、そう問いかけてくる少女の顔が、僅かに翳っていることに気付いた。気付いてしまったのだ。
 何かを考えるより先に、肯定の言葉が口をついて出そうになり―――しかし、
 
「……おっと! その先は言っちゃ駄目だ。僕は飽くまでも君という人格と対等に付き合いたい訳でね。同情で一緒になって貰っても困るのだ。いや、気持ちは育てるもの、という思想を否定しようとは思わないがね」

 少女はそんな僅かな心の乱れさえ認めなかった。高潔にも程がある。僅かな安堵と後悔の入り交じった感覚が去来する。
 出鼻を挫かれて何も言えずにいる俺に、少女は尚も言葉を続けて。
 
「君が僕の想いを確証を以て受け入れられるまで、返事については保留しよう。なに、会うことはいつだって出来るんだからね。まずはお友達から始めましょう、というやつさ。だから、」

 少女の笑みに、慈しむような色が滲む。
 
「君が気に病むことなんて何もない。僕みたいな者に迫られれば疑心を抱くのが当たり前だ。そのことで悩んだりしないで欲しい。本当なら、全能の力を思う存分振るって、君の自由意志さえ剥奪してモノにしてしまうべきなんだ。人外の優しさというのはそういうものだからね。こうやってそのままの君に接しているのは、だから僕の我儘でしかない」

 言い残して、少女の体がその輪郭をあやふやにしていく。風景と融け込むようにぼやけていく。
 去るのか、と頭で理解して。理解した時には、もう言葉が溢れでていた。
 
「それでも―――それでも、俺はお前のそういう態度、立派だと思う。好感を持てると思う。だから、単純に応えてやれない俺の弱さが、自分でも悔しい」

「ああ、気に病まないでくれとは言ったが……そんな殺し文句を聞いてしまっては、どうにも前言を撤回したくなるから困るな。僕のために悩んでくれる存在というのは、存外心が踊るものなんだなあ」

 くすくすと笑い、去り際に少女は、
 
「ああ、待ってる。待ってるとも。気負いなく僕の言葉を受け止められる時が来たら、答えを聞かせてくれないか」

 頷く俺に、にっこりと笑って。
 不器用な神様は、俺の目の前から消えたのだった。

2011年4月8日金曜日

『くまとなかま』

「楽しい仲間がぽぽぽぽーん!」

 テレビから軽快な音楽が流れる。状況に味方され、加速的に認知を広め、消費されたCMだ。
 男は、Twitterのタイムラインを眺める。
 楽しい仲間をもじったネタ。楽しい仲間を基にした大喜利。楽しい仲間それ自体への批評/感想。「楽しい仲間」とは即ち、「ぽぽぽぽーん」の枕詞である。少なくとも今、この観測範囲ではそうなのだろうな、と男は思った。
 その現実を認識して、男は居ても立ってもいられなくなった。激情に任せて立ち上がる。そのまま小刻みに、何度も何度も練習した踊りをなぞった。
 
「愉快な仲間がッ、楽しい仲間がッ、イェーッ、みんな待ってるぜェーッ……」

 踊る熊に、しかし仲間はもういない。
 

2011年4月7日木曜日

『その名前は。』

 桜の木につぼみが芽吹いた。
 縁側に座る少女は、茫洋と、桜の木を眺めている。新しい季節の到来を象徴する風景に、しかし、目を輝かすでも、笑みを浮かべるでもない。ただ両の目に風景だけを溶かし込むように。
 
 いつ終わるか―――いや、終わるかどうかすら知れぬ長い命。その端緒は長い生に擦り切れた少女にはもはや思い出せなかったし、その過程は思い出せるほどに色づいたものではなかった。絶望も希望もなく、ただ引き伸ばされた生を、物語なく生きる日々だった。

 そんな灰色の中に、僅かにだけ存在した有色の日々。
 「残酷な物言いだとは解ってる」と。そう前置きして、しかし刹那の時に過ぎないとしても共にありたいと告げた、彼。彼と過ごした春は、こんなに乾いたものではなかったのに。
 涙も浮かべず、乾いた少女は、不思議だなあと首を傾げた。
 声も、顔も、仕草も、全て薄膜を通したように朧気なもので。何年前の話だったかも定かではなく。彼が存在したことだけが、彼の記憶の全てだった。
 少女はしかし、忘却を悲しむほどの情感さえ放棄してしまったのだろう。泣くことも、嘆くこともない。
 
 ただ、一つだけ。彼のことを考えるたびに胸に湧く想いの名前を、彼が生きているうちに聞いておけば良かったと。
 少女の胸には、投げかける相手を失った問いだけが残っていた。

2011年4月6日水曜日

『ツンデレ勇者と魔王さま』

「さあ勇者よ、わたしのものになるがよい!」

 玉座に座った小さな魔王は、小さい胸をいっぱいに逸らせて―――それが自分の最も威厳有りげに見える姿勢だと自負しているのだ―――眼前に至った勇者に告げた。
 口角を僅かに持ち上げた笑み。これもまた、鏡を前に散々練習したものだ。全て、この瞬間のために。
 完璧に決まった。小さな魔王は胸中で喝采を叫ぶ。しかし、当の勇者は眉も動かさず、

「いや、あんまり支配とかそういうのに興味ないですし」

 言いながら剣を抜いて、ゆるやかに持ち上げる。目の高さにまで持ち上げ、秘伝の技の構えと為す。
 慌てたのは魔王である。
 
「待て待て待て待て。ちょっと待って話を聞け」

 慌てて立ち上がり、両手をわたわたと振ってこう言った。せっかく練習した姿勢も表情も台なしだ。

「世界の半分とか言われても、生憎僕は勇者ですし。そういう甘言には乗れないっていうか」

 構えをとったまま、姿勢を落として。準備は万端、先手必勝、といった趣である。
 気圧されたのか、魔王は一歩二歩と後ずさり。

「言ってない! そんなこと言ってないから!」

「どうせ『はい』を選んでも強制的に戦闘になるんでしょう。だったら面倒な前段は省きましょうよ」

「ちが―――違うんだ。そうじゃない。わたしは、わたしは」

 魔王の目が潤む。どうしてこうなった。格好よく魔王の威厳を見せつけて、こいつを篭絡して、そして一緒に―――そう、思っていたのに。何がいけなかった。どこが間違っていた?
 滲む視界と乱れる心。だから魔王は、勇者の顔に浮かんだ、稚気溢れる笑みには気付けない。
 
「さあ、魔王討伐を始めましょうか」

「―――よ、よかろう。我がけいやくを拒んだこと、後悔させてやる!」

 涙を目に溜めながらも、最後に残った矜持を振り絞って、精一杯の虚勢を張って。
 そうやって馬鹿正直に意地を張る、まっすぐな娘だからこそ、自分は、と。
 
「まあ―――何だ。こっちがそっちに、よりは、そっちがこっちに来る方が丸く収まる訳で、ね」

「なにか言ったか!」

「いや、何でも?」

「癪に障る……! いいだろう、もはや交渉はけつれつした! 貴様を叩きのめして我が下僕としてくれよう!」

 独り言に弾ける魔王の激情。ああ、やめられないな、と彼は笑う。
 好きな娘ほど苛めたい。勇者ともあろうものが、こんな単純な理由で、セカイを救おうだなんて。

2011年4月5日火曜日

『あなたも私もポッキー』

「あなたも私も、ポッキーなのね」

 絶望的な台詞にも、しかし涙声の混じる様子はない。僕らの体に、涙腺は無くなってしまったのだから。
 
「ああ。もうこの地球上には、人間はいない」

 僅かに揺らぐ、彼女の真っ直ぐな―――一切の凹凸のない体躯。表情すらも失ってしまったこんな体でも、その身じろぎだけで彼女の悲しみが読み取れたことに、僅かな安堵を覚えた。僕はこんな姿になっても、ヒトであったことに縋り付こうとしている。
 だが、抱きしめて安心させてあげることは出来ないのだ。物理的に、もう二度と。肉体を介した交感がここまで制限されていて、果たしてヒトと呼べるのか。
 自信はなかった。
 
「行こう。ここにもじきに、トッポが来る」

 彼らと遭遇してしまえば、戦闘は避けられない。

「……なぜ、争わないといけないのかしら。私たち、同じプレッツェルなのに」

「人間だった頃にだって諍いはあったさ。プレッツェルになったから無くなるはずだなんてことは、言えない」

 チョコが内側か外側か。奇しくも人種の肌の違いのようではないか―――と、笑えないジョークを口に出そうとして、やめた。

2011年4月4日月曜日

『ロリババァとの対話』

「ひとつ、質問していいかな」

 マンションの一室、床面積を適度に圧迫してくれる書籍のタワーと、PC周りに堆積した嗜好品の残骸……という、いかにも大学生然とした部屋で、この部屋の持ち主たる青年は眼前に座る少女に問いを投げた。
 小柄な体躯、14、5歳といったところだろうか。二回りも小さく見える少女は場違いに上等なティーセットに落としていた目線を上げ、彼の目に合わせて、僅かに間を置き、ほんの少しだけ微笑んだ。

「ええ、どうぞ。別に一つだけとは言わず、何でも聞いてほしいものだけど」

 顎の下で組んだ両手に小さな顔を載せて、弾んだ声で。抑えきれない喜びと、少しくからかうような響きが覗いた。
 その軽やかさに、青年はしかし、硬度を増したような声で。

「なら聞くけど。……なんで、僕なんだ」

 あら、と呆けたような少女の声。だが、次に来た表情は怒りでも呆れでもなく、

「いつか聞かれるとは思っていたけれど、こうして聞かれてみると、存外困ってしまうものね」

 困惑であった。
 虚を突かれたのか、言葉を被せられない青年に、少女は次なる言葉を投げる。

「率直に言えば、理由なんて無いのよ。何で好きになったか、なんて聞かれても困ってしまう。こんなこと、この500年で初めてなの」

 夢見るように少女は告げる。この瞬間こそが夢のようだ、と主張せんばかりに。
 500年を生きる者だ、と少女が告げたのは、初めてのことではない。事あるごとに主張していたことがらで、そのたび青年は疑念を表明してみせるのだが、当初のような歯切れの良さはなくなっていた。天秤が傾き切るには至らないものの、もはや均衡にまで達しているのだろう。そのくらい、少女との交感は異質なものを感じさせたのだった。

「その、500年ってのが本当なのかも疑わしいんだけど……。いや、仮にそうなら尚更だ。何で僕が君に見初められたのか、それが解らない。何の取り柄もない僕に、不死たる君が、なぜ」

「……なら聞き返すけど、あなたは自分と同位の存在にしか愛情を感じないの?」

 うっ、と呻く青年を見て、少女は笑みを深める。

「更に言えば、愛情というのは理由があって芽生えるものなの? 何の価値も無さそうなシールに偏執的に拘る子供だっているじゃない。アレはどうなのかしら」

「その喩えはちょっと、流石に傷つくものがあるんだけど……」

 冗談よ、と。それでも笑みを崩さない少女に、青年はため息を返すほかない。
 いつだってはぐらかされて、でも、そんな少女の微笑みは最高に素敵で。

「でも、そうね。これは考えてみると面白い事柄かもしれないわね。『ヒトはなぜ恋するのか』。うん、わたしには無関係だと思って関わらなかった分、素晴らしく新鮮なテーマだわ。なにせ、蓄積がないのだから」

 うんうんと頷いて、少女は満足気に微笑む。

「或いは、こう言えるかも知れないわね。『こうやって新しい発見をさせてくれるあなただから、好きになった』って」

 青年は苦笑いをひとつ、頬杖をついて。

「卵と鶏の問題になってくるよ、それ」

 そうかしら、と笑う少女は、ほんとうの童女のようで。
 青年はまた、はぐらかされてしまったなあと笑うのだった。