2011年11月30日水曜日

『せかいにひとつだけの』

「なんでも願いを叶えてくれるんだね?」

「そうね、わたしの自由意志で拒否したくならない範囲でなら、なんでも。『自害しろ』とか、そういうのはお断りよ」

「なら、僕を世界で並ぶもののない作家にしてくれないか」

「いいわよ」

 目を輝かす少年に、少女は軽く微笑みを向けると、挨拶でもするように片手を挙げ、すぐにすとんと落とした。それだけで充分だった。
 その瞬間、少年を除いた人は絶えた。
 
「これで、あなたの物語を外から読む者はもういない。たった一つの物語、異本も認めぬ物語―――それが、あなた」

 告げる言葉は、どこまでも優しい響き。
 
「書きなさい。書くために書きなさい。生かしてあげる。書くために必要なことだけは、何でもしてあげる」

 呪詛にも似た祝福を聞いて、少年の顔がほころんだ。

2011年11月21日月曜日

『抑止の守護者』

第2回SSコンペ(お題:『幼馴染』)

 時代の流れの中で危険性が取り沙汰され、常ならば人のいない場と化したそこでは、誰かの存在がすなわち非日常の証左となる。
 今しも相対する一組の男女、その間に横溢する空気も、和やかな歓談を予期させるものでは決してない。
 無言で見つめ合うこと、数分。女の方が、先に口火を切った。

「―――私たちさあ、いつまで幼馴染でいればいいの?」

 極めて平坦な声色。
 そこに含まれる感情は、哀切か、諦念か、あるいはまた別の何かか。
 いずれにせよ、問い掛けには縋るような響きが乗っていた。
 しかし、

「ずっと、だ」

 言外に意味するものを汲み取って、それを真っ向から切り捨てでもするように、男は告げる。
 女の温度が傍目にも明らかなほどに下降していく。
 感情の急激な冷却は、爆発の前哨にも似ていた。
 
「……なんで? ずっと傍にいたんだよ。もっと近づきたいと思うのって、そんなに悪いことなの?」

 縋るような響きは既に失せている。
 詰問、或いは確認を目的とした、攻撃。

「互いにとって不幸にしかならないなら、俺は認めない」

 だが、それすらも意に介さず。
 苦渋の色を滲ますでも、或いは嘲笑の雰囲気を漂わすでもない、事務的な返答だけを投げて寄越した。
 その平静さが、火に油を注いでいく。

「あんたが認めようが認めまいが関係ない。……一方的に、踏み越えるよ」

 侵略する意思の表明。それは、後戻りしない、という決意の表明でもある。
 或いは、痛みのない結末を選ばない、選ばせない、という最後通牒でもあった。

「やってみろ。出来るものならな」

 どこまでも手応えを返さぬ男に、しかし女は激昂するでもなく―――微笑すら浮かべ、告げる。
 
「ええ。幼馴染で終わらせなんかしない。彼は(・・)わたしのものよ」

 仏頂面を保ってきた男が、ここにきて初めて、表情に変化を見せた。
 口の端を少しだけ吊り上げた、獰猛な笑み。

「ほざけよ。そうはさせない。あいつは一生、お前みたいな女に娶られはしない」

「―――――――――」

「―――――――――」

 沈黙がその密度を上げる。
 緊張感が増す。
 目には見えない何かが、きりきりと引き絞られていく感覚。
 一触即発の空気。
 
 ……だが、

「―――っていうか根本的な疑問なんだけど、何であんたが障害として立ち塞がるワケ?」

 心底不思議だ、とでも言いたげな表情で、言った。
 ぴん、と張り詰めていた空気は、完全に霧散した。
 
「わたしと彼がどうなろうとそれは当人同士の問題であって、あんたが間に入ってくる義理なんてなくない?」

「いや、ある」

「何? 言ってみなさいよ」

 うむ、と頷き、

「みすみす淫売に親友を渡すことなど受け入れがたい。あいつにはもっと相応しい女性がいるはずだ」

 しみじみと語る。
 その貫禄、もはや父親のそれであった。

「淫売っつった? このムッツリが」

「じゃあ聞くが、恋人になったとして何とする?」

「すぐにでも泣き叫ぶまで犯す」

 いい笑顔で。
 朗らかに。

「死ね」

 死んだ目で。
 吐き捨てるように。

「彼、逆レイプと順レイプとならどっちが好みなのかしら」

 そばとうどんの好みを聞くがごとき気安さであった。

「その言動こそがお前を野放しにできない理由なのだと知れ」

「いいじゃない、健全なだけだと倦怠期が来るのも早いって聞くし」

「お前が健全であった瞬間を一度たりとも観測できた覚えがないんだがな、俺は」

「……ベッドの中では貞淑なの。言わせないでよムッツリ」

「さっき泣き叫ぶまで犯してやりたいとか言ってたのはどこの誰だ?」

「え? 何でベッドの中で犯す前提なの?」

「ああ、うん。お前と会話できると思ってた俺が馬鹿だったな」

 双方ともにうんざりとした。
 なぜ自分はこんな馬鹿を相手にしているのだろう、という疑問だけがこの場で共有された唯一のものである。
 そのまま、沈黙が続き、数分が経過した頃。
 表情に喜色を浮かべた女が、満面の笑みで言った。

「……あ、ひょっとしてわたしのことが好きだから邪魔しちゃう、複雑な男心、とか?」

 刹那、男の呼吸が止まる。
 
 その様を見て、からかいの色に染まっていた女が、う、と呻いた。
 表情が羞恥に染まる。そう長くもない時間だというのに、それと判るほど、その頬に紅みを帯びていく。
 やがて、数瞬の沈黙の果てに、

「―――頭、大丈夫か?」

 心底不思議だ、とでも言いたげな表情で、言った。
 甘やかに漂っていた空気に、亀裂が走る。
 
「……屋上へ行こうか?」

 もしかして、と一瞬でも思った自分への苛立ち。そして恥ずかしさ。
 そして、一握りのよくわからない感情。
 混ざった結果は、ドスの利いた脅し文句だった。

「ここが屋上だ」

「なら、手間が省けていいことね」

「ああ、全くだな」

 言いながら、ファイティングポーズ。
 ―――彼らの日常は、まだまだ続く。

2011年11月14日月曜日

『強く、儚く』

第1回SSコンペ(お題:『病弱な姉/妹』)


「入るよ。姉さん、具合はどう?」

 降ってきた声に、夢と現の境を茫洋と漂っていた意識が焦点を結ぶ。
 導かれるまま視線を上げると、洗面器と手拭いを持った弟の姿が見えた。
 ああ、看病に来たんだな、と胡乱な頭で理解する。
 せっかくの来訪だ、手を挙げて応えようかとも思ったが―――存外、身体が重かった。
 仕方なく、「大丈夫よ」とだけ口にした。
 ……瞬間、その、己の声の儚さに驚く。
 察するものがあったのだろう、彼は眉根を寄せると、
 
「……いつも通りとはいえ、今回は随分と長引くね。風邪と侮らない方がいい、ってお医者さんも仰ってたけど」

 返されたその言葉が、随分と深刻に響いて聞こえたものだから、ばつが悪い。
 今更、本当に大丈夫だから、と念を押したところで逆効果だろう。
 どうあっても気を遣わせる羽目になるとは、つくづく自身の脆弱さが厭になる。

「……いたって快調だけどね。ただ、寝起きだから、さ」

「ああ、それでか。なら安心なのかな」

 負け惜しみ気味に放った言葉も、丁重に切って落とされた。気遣いのおまけ付きで。
 ああ、これはもう黙っておいた方が良さそうだ、と観念する。何を言ったところで意味を成すまい。
 そう思い、彼から視線を外してしばし放心していると、程なくして、曖昧さが意識を侵食してくるのを感じた。
 これは、また寝てしまいそうだな―――と、危惧したそのタイミングで、額に冷たい手拭いが乗せられる。
 霧散しかけていた意識が、輪郭を取り戻す。
 表情で知れたか、純粋な勘か。いずれにせよ、絶妙な機先の察知だった。
 視界の隅に、小さく微笑む弟の顔が、熱にうかされ、揺れて見えた。
 
 ―――その様を見て、ふと、魔が差した。
 
「ねえ」

 洗面器を片そうとしていた彼が、首だけでこちらを向く。
 視線が絡むのを待ってから、わたしは両手を広げて、おいで、と告げた。
 彼は何を問い返すこともなく、小さく頷くと、私の上に身体を重ねた。
 重さが掛からないようにと、たすきがけに手をついて。
 少し浮いて、わたしの身体を斜めに分割する、彼の身体。
 その身体を、抱き寄せた。
 ゆっくりと、腕に力を入れていく。
 華奢に見えて、その実わたしよりも固く締まった骨格が、わずかに緩むのを感じた。

「どうしたの?」

 彼の涼しげな声に、動揺の色は読み取れなかった。
 抱きしめ返すでもなく、抗うでもなく、抱擁されたまま、わたしの真意を問うてくる。
 この反応に、悔しいなあと思うわたしがいて。
 でも一方で、ああ、これがわたしの弟なんだなあ、と静かに満足するわたしも、確かにいた。

「温度。移してあげようと思って」

 適当に放った言葉。
 なにそれ、と彼が笑った。わかんない、とわたしも笑った。
 ……でもそれは、正しく状況を記述する言葉ではあったのだろう。
 わたしの熱が、彼の身体に移譲されていく。触れ合った部分を起点に、染み入るように。
 接点で等しく保たれた温度が、二人を繋ぐよすがとなって、あやふやな絆を確かなものと誤認させる。
 
 ―――だめだ。この欺瞞は、余りにも、都合が良すぎる。
 
 衝動が、訳のわからない焦燥感と、自棄じみた昏い想いを喚ぶ。
 努めて外に出さぬよう、嚥下して。
 ……呑みきれなかったものが、胸中に蟠った。
 
「看病するの、面倒でしょう?」

 零れるように、言葉が生まれる。
 同時に、意識が急速にぼやけていくのを感じた。
 無意識に紡がれたその言葉が、本心なのかどうか。
 熱に染まった頭には、もう判らない。
 そんなあやふやな言葉に、彼は初めてわたしを抱きしめ返して、
 
「面倒だ、って言ったら楽になるのかな。なら、言うよ」

 ―――ああ、この弟は、なんだってこう、優しい/厳しいのか。
 尊敬と嫉妬が綯い交ぜになった混沌の中、ゆっくりと意識が剥離していく。

「あんた、強いわ」

 紡いだはずの言葉が、適切に出力されているかすら、自信がない。
 ただ、

「強いひとの弟だからね。強くならないと、務まらない」

 途絶の間際に聞いた、その言葉が。
 どこまでも優しく響いたことを、憶えている。