「『君が好きだ、愛してる、ああ、おかしくなってしまいそうだ!』」
「『わたしもよ。あなたが好き。言葉の非力さがもどかしいわ』」
「『どうすればいい? 教えてくれ。君のためなら何でもする!』」
「『じゃあ、抱きしめて。それだけでいい。それだけがいい』」
「……それを聞いた男は、女を壊れんばかりに抱きしめた、と。なるほど、これで恋愛が成就した訳だ。どう思う? とりあえず二人にとって幸福な形に納まったように見えるんだけど」
「ロマンチックだわ…………たぶん。正直実感はできてないけど、おそらく客観的に見てロマンチックなはず」
月に照らされた夜の公園で、本を広げて男女が向い合っていた。
そこに綴られた純朴で暖かな恋愛劇を、彼らは科学者の眼差しで読み取ってゆく。
「……まあ、理屈の上では理解できてるんだよな。己の内から湧いてくる熱い情動、抑えきれない想い。それがきっと、『純粋』だとして持て囃されたことがあるだろうことも。でも、肝心の『感情』それ自体が実感できない」
「原理的に、私たちは理解し得ないんじゃないかしら……って疑念はとりあえず脇に置いておくとして、とりあえず、理解の芽があったとしても手法自体に私は疑問を抱いてしまいそうなのだけど」
身振りも手振りも極端に少なく、抑揚も感じられない、平坦な会話だ。
そんな交感を当たり前のものとしているのか、二人は淡々と言葉を交わしていく。
「演劇が駄目、かい? まあ、感情を剥奪されてるらしい(・・・)からね、僕らは。そもそも無理なのかも知れないし、一方でとやかく言っても仕方ないのも確かだ。それには同意するよ。それでも、これ以外に方法があるか、と言われると僕には見当がつかないな」
「模倣して理解しようって発想は悪くないと思うわよ。でも、私たちの持ってたはずの『衝動』ってものが、鈍くなってるのか、或いは完全に無くなってるのか―――後者だとしたら、何をしたって徒労でしょうね、とも思う。詮なきことだけど」
「ああ。考慮しても仕方のないことさ。とはいえ、未来もない世界に生きてるんだ。酔狂に死ぬのも悪くないように思うんだけど」
「その言葉に胸がキュンとしたり頭がのぼせ上がったりしたら目標達成なのだろうけどね。残念ながら、そのとおりね、と納得する気持ちしか浮かばなかったわ」
『戦争は男が起こす』。過激なフェミニストの言説に見られた主張だが、これが更に先鋭化/一般化し、遂には『衝動が諍いを起こす』という認識を生じさせてしまった世界があった。そして、ヒトは衝動を捨て、真に理性的な生き物となるべきだ、という信仰が狂熱を帯びて世界を覆った。
脳科学の発達した世界であれば、倫理さえ無視してしまえば然程難しくもない処置である。生まれた子に施される、衝動を去勢するイニシエーション。子の代へ孫の代へ受け継がれた儀式はしかし、世界から活気を奪い、緩慢な滅びを招き寄せるに至った。
たゆたうように終わっていく人類史。その黄昏の中で、前世紀の/全盛期のヒトの情動に興味を持つ者が現れても、驚くにはあたらないだろう。
彼らがしているのは、つまりそういうことだった。
「称揚されていた生き様、何より尊いとされていた想い、そういったものが根こそぎ狩られてしまった世界って、何なんだろうね」
「さあ。とりあえず、誰も『世界を救おう!』と思う程度の衝動すら発揮できないあたり、種としては退化してるのかも知れないわね。ヒトのセカイもまた同様に縮んでしまったと言えるかしら」
「悲劇的、なんだろうな。きっと。多くの書物を読んだ経験から言えば、きっとこの状況は悲劇で、この世界はディストピアなんだろう。前世紀のヒトから見れば。ヒトがヒトである意義すら消失して、尚も続いてる世界だなんて」
「そうは言うけれど、悲壮感のない悲劇なんて喜劇みたいなものじゃないの?」
「違いないね」
観測する者のない世界、悲劇と理不尽に飲み込まれた者たちの世界は、穏やかに朽ちていく。
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