2012年12月9日日曜日

『きみがため』

「お姉さんはどう思います? 今回の話」

 小首を傾げながら問う少女の所作に、わたしは内心、気味の悪さをすら覚えていた。
 少女は弟の幼馴染で、お姉さんに相談がある、とわたしの部屋を訪れている。

「えーっと、転校生があんたたちのクラスに来たんだっけ。美人の」
「ええ。すっごく美人で、優しくて、クラスの人気者なんです」
「その娘が弟を意識してる、って?」

 はい、と神妙に頷く少女。
 話の流れだけ見れば、ごく健全な恋愛相談だ。
 でもわたしは、ここから段々と話が歪んでいくであろうことを知っている。

「この場合、どう立ち回ったら彼をいちばん幸せにできるんですかね。いっそ身を引くべきかな、とも思うんですが」

 うーん、とかわいらしく腕組みなどしながら発せられた言葉には、何の含みも感じられない。
 件の転校生への当てつけでもなければ、わたしのフォローを期待しての振りでもない。言葉通りの、素朴な疑問なのだろう。

「いや、そこは『私が幸せにしてみせるんだから!』くらい言うべきでしょ」

 "気のいいお姉ちゃん"ならそう言うであろう、と仮構したロールに忠実な発話。
 心の篭らない言葉を発することにも随分慣れてしまった。罪悪感も既に無い。
 畢竟、わたしがどう助言をしようとも、少女は己の考える最適を導き、また実行するのだろうから。

「でも、私の存在が彼の幸せに寄与するかどうか、まだ確定してる訳ではありませんし」

 無私の美しさ、を説いたのは誰だったか。
 存在をすら悟らせない献身。見返りの一切を期待しない奉仕。
 なるほど、そこには凄絶な美しさが宿っている、ような気がしなくもない。

「その論理だと、いま身を引くっていうのは尚早じゃないの?」
「いいえ、私はずっと彼と一緒にいることができますから。その点、転校生さんの感情は水物かもしれないので」
「気持ちがある内にくっつけておいた方が、ってこと?」
「ですね。そこに最善があるかも知れない訳ですから」

 盤上の駒を操るがごとく人を扱う、その暴力。
 恐ろしいのは、指し手が自らをすら駒と捉えていることだろう。
 ―――『一緒にいることができますから』。
 己の存在が最善への手筋に不要だと認識すれば、この少女は躊躇しないに違いない。

「でもさ。それが最善じゃなかったら、傷が残るよ。ふたりともに」
「そこなんですよね、問題は」

 珍しく見せた溜息に、僅かに安堵のようなものが芽生えるのを感じて、

「その傷が、ミスマッチの齎した不幸せが、巡り巡って最高の幸せに転嫁される可能性が捨て切れないんです」

 ―――すぐに、怖気に転じた。
 何を期待していたのだろう。転校生や弟への気遣いの言葉が出てくる、とでも?

「考慮すべき事項が多すぎるんですよね。一時的な不幸せが最高の幸せに繋がるかもしれない。そう考えると、可能性は無限です」

 刹那的な幸せと安定的な幸せ、という対比ですらない。最善を求める自律思考。
 他人の幸せを、相手にとっての主観的な(・・・・)幸せを、価値観の変遷まで含めて考察する生き物。

「なんで彼は一回しか生きられないんでしょうね。悠長に試してる暇なんてないのに―――」

 それは恋ではなく、もはや愛でもなく。
 きっと、幸せを希う概念と化してしまった少女に、わたしは恐怖していた。

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