2012年11月12日月曜日

『雪もやを抜けて、君に』

 第十五回SSコンペ(お題:『一人漫談』)

 雪虫対策は、雪国に生まれた子供の宿命です。
 ……いきなり何を、とお思いでしょうが、特におかしなことは言ってませんよ。まあその、唐突ではあったかもしれませんけど。内容そのものはごくありふれた、自明と言ってもよいものでしょう。たぶん。おそらく。

 ―――ああ、雪虫をご存じない? それはいけません、これからする話に支障が出ます。では、簡単にご説明しておきましょう。
 雪虫とは、綿毛を纏った羽虫のような虫のことです。……ええと、そんな微妙な顔をされても困るんですが。詳しい生物学的解説がご所望でしたら、後でグーグル先生にでも尋ねて頂けると幸いです。本筋には関係ありませんので。さて、雪虫ですが。遠目に見ると、これが本当に雪と見紛うほど雪らしく飛びます。殊に、集団で風に舞う様子などは完全に雪のそれです。遠目で窓越しにとなれば、雪国が長い人でも騙されるんじゃないでしょうかね。
 
 彼らは大抵、昼過ぎから夕暮れ時にかけて現れます。冬の白い太陽を受けて、或いは夕暮れ時の茜色に紛れて色づく様子はそれなりに幻想的なものですが、しかし雪国の子供にそんな悠長な感慨を抱いている余裕はありません。
 先にも言いましたが、雪虫は虫です。羽虫です。群れになって飛びます。その群れの中に突っ込んだら、さてどうなるでしょうか?

 くっつきます。死ぬほど。顔面が羽虫だらけ、眼鏡を掛けていればまだ良いものの、裸眼であれば洒落にならない事態が発生します。鼻にも口にも雪虫が侵入、秋物のコートはまだらに雪化粧されます。
 まあそれはいいよ、仕方ない、と考えたとしましょう。顔面はまあ不快だけど気をつけよう、服についた虫は後でほろえばいいや、と。そして家に帰ったあなたは体や服についた雪虫を強く弾きました。

 死にます。すごい勢いで死にます。

 背中に背負った綿毛を血痕のごとく引きずって轢死します。雪虫の脆弱さには凄まじいものがあります。顔面も服も今や羽虫の死体まみれです。これは気持ち悪いし罪悪感がひどい、と気分が鬱ぐこと請け合いですね。
 よし判った、不殺を貫こう、とあなたは考えました。払ったら死ぬのだから、空気で弾き飛ばそう、と。優しく鈍角に、息を吹きかけたとしましょう。

 それでも半数ほど死にます。むしろ付着した時点で瀕死の個体が割と多数派です。
 どうしたって死ぬのかよ、と落胆したあなたの視界に白い雪が舞います。まさか、と思って天を仰げばそこには無数の雪虫。なぜ、死んだはずでは、そう思ったあなたは一つの可能性に思い至るでしょう。

 そう、髪です。優れた柔軟性とトラップ力の低さを兼ね備えた理想の離着陸場、それがあなたの髪です。うわあと思って手櫛をさせば白粉のような粉末と羽虫の死体。そう、生きたまま付着したとはいえ、触ればやっぱり死ぬのです。あなたは愕然としながら、頭を洗って彼らを根絶やしにするか、或いは彼らを全て頭から離陸させるかの選択を迫られることになるのです。
 離着陸場と化したあなたは失意の中でこう思うことでしょう。どうやって除去するかではない、付着させた時点で完璧に負けているのだ、とね。

 ……以上が、わたしがあなたに騎乗槍突撃のような体で突っ込んでしまった顛末ですね。自転車に乗りながら彼らを避けるとなれば、傘を前方に構える以外に道はありません。流線型のフォルムにすべすべの表面、正に雪虫対策のためにあるような形質です。多くの命を殺めずにいられたけれど、こうやって一人の人間を害してしまったことは残念でなりません。不幸な事故と言うほかないでしょう。これは一種の緊急避難と解釈されるべき案件なのではと考えます。
 そんな訳で許……さない。ええ、そりゃあそうですよね。ですがあの、できるだけ痛くしないで欲しいんですけれども。善処はする、はい。えっ、そんな表情には見えな―――。

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