2012年5月29日火曜日

『ログアウト』

第十三回SSコンペ(お題:『雨』)

 見渡すかぎり何もない草原の、少し盛り上がって丘陵となっている部分にわたしは座っていた。見渡しても、視界を遮るものは何もない。全周にわたって地平線が確認できる。焦土でもないというのに木の一本すらも生えない土地。そんな不自然極まりない風景が成立しているのは、ここが仮想空間であるがゆえだ。
 極限までオブジェクトを削った機能的なマップと、しかしプレイヤーを魅せようと作りこまれた空のテクスチャとの狭間。体験型3DMMOの世界を完全なものとするにはPCスペックの足りなかった時代に、それでも最善の体験をと構築された旧世代の楽園。わたしがいるのは、そんな場所だ。

 作り物の太陽が天球を移動するのを眺めながら、視界の端で徐々に人が増えていくのを確認する。催しを前に、続々と集まってきているらしい。そのままぼーっと天を見上げていると、何とも形容しがたい音を合図に、青白い魔方陣が中空に出現した。光の模様が上から下へと宙をなぞった後に、フードをかぶった少年のアバターが立っていた。
「お、早いじゃん。さすがは真面目さん」久々に聞いた声は、変わらず稚気に溢れていた。
 魔方陣から出てきた少年はわざとらしく手を振るモーションなどしてみせてから、わたしの隣に腰を下ろす。
「久しぶりだってのに、随分と感動のない挨拶ね。らしいって言えばらしいけど」咎めるように言ってみせると、ますます彼は笑みを深める。

 わたしたちがこのゲームを主戦場としていたのは、随分と前の話だ。二人はここでの繋がりをどこにも持ち越していない。示し合わせて同じ新作に移住することもなく、各々が好きなように違うゲームへと活動の場を移していた。
「おー、来てる来てる。あんなに過疎ってたってのに、こういう機会があれば余裕で集客できるんだ」彼がひさしのように手を掲げて、遠方を見渡しながら言う。
 倣ってわたしも目を凝らすと、草原の至る所に魔方陣の出現する様子が見えた。刻限が近くなってきたからか、現れる魔方陣の数は飛躍的に増加している。この瞬間だけ見れば、現役のゲームと言われても疑うものは居ないだろう。そのくらいの数だった。
「まあ、そりゃあ……ね。でもまあ、何度もできやしないでしょ、こんなイベント」
 新作が発売される度に長足の進化を遂げるMMO界隈の、数世代も過去の作品である。何のリソースも追加されなくなった世界で可能性を食いつぶす作業に熱中できる人種はそう多くはなく、昨今の過疎化はもはや、作品世界の成立すらも阻害する域に達していた。こうまで人の集まったことが、過去何度あったろうか。そんな問いすら浮かぶほどに、遠い光景に見えた。
「わからないよ? ……ほら、あるじゃない。現実世界にもさ。閉店セールと開店セールを繰り返す店っての」薄っぺらい微笑みを貼り付けて、彼が言う。
 つまりは、そういうことだ。わたしたちは、世界が終わる様を見届けるためにここにいる。
 
 草原がマップ端まで人で埋め尽くされた頃に、運営らしきアバターが現れた。運営サイドの発言に傾注するのも久々だな、と気を引き締める。
 挨拶もそこそこに、運営サイドからの感謝の言葉が述べられていく。長期間に渡ってプレイしてくれたこと、こうして最後のイベントに大勢で集まってくれたこと。どこかしんみりとした空気が漂う中、新作に移っても変わらぬご愛願を、と〆た辺りはさすが商売といった風情で、少し笑った。
 やがて、話も終わる。一種異様な緊張が、俄に場を満たしていくのを、HUD越しに感じた。
「さて、最後に一つ、サプライズをご用意しております。尤も、内容は事前にリークされてしまっているようで……だからこそこの人数、ではあるのでしょうが」言葉を切ると、運営のアバターはゆっくりと時間をかけて草原を見渡し、
「―――本当に、最後のお別れです。ごゆっくりお楽しみください」そう言い残して、消滅した。
 直後、世界の崩壊が始まった。

 誰が企画したのか、正式なサービス停止に伴うデータの破棄に際して、徐々に落とされていく仮想世界の崩壊を内部から眺めてみようという、頭の螺子の外れた催しだ。アバターの維持に必要なデータだけは最後の最後まで保護され、重要度の低い情報から順に、マトリックスの向こうへと沈んでいく。どんなものが見えるかは予測不可能、最後に相応しい自棄気味のアトラクション。
 2進数で表現された世界の欠落は、すぐに視覚の異常という形で現れた。抽象画のような描像が宙に浮いては消え、景色が遠方から、霧のように輪郭を失っていく。わたしたちは少しでも長く正常な領域に留まることを選択したが、進んで世界の端に消えていく者たちも少なくなかった。どこへ行けば面白いものが見られるか、どこで終わりを観測したいか。人の数だけ、思惑があるのだろう。
「いやー……予想してたつもりだけど、これはすごい。イカれてるね」柄にもなく、本当に感嘆している風な声が隣から聞こえる。からかってやろうかとも思ったが、度肝を抜かれているのはわたしだって同じだ。
「テクスチャは殆ど滅茶苦茶ね。あ、魔法撃ってる連中がいる。あーあー、バグっちゃって……」見慣れたはずの魔法エフェクトが歪む様に、当事者も野次馬も歓喜に湧いている。もはや狂騒的と言うほかない盛り上がりっぷり。
「葬式と通夜と告別式が一緒に来たようなものだからねえ。テンション上がっちゃうのも仕方ないでしょ」心底楽しげな声色で少年が言う。どうやら調子を取り戻したらしい。
「ずれてる上に不謹慎」横目で伺うと、嬉しそうに笑う彼の表情が見えた。わたしたちはそのまま、動かずに崩壊を眺めていた。

「――――――雨?」
 暫くして、もはや正常な部分を探すほうが難しくなった世界に、誰ともない呟きが響いた。見ると、空から無数の線条が降り注いでいる。何がどうなった結果の描像かは判らないが、空間を埋める黒い筋はなるほど、雨に見えた。気づけば、大勢の人間が空を見上げていた。
「確か、新作では天候の再現も売りにしてるんだっけ?」少年が天を見上げたまま呟く。
 快適なプレイのために多くを切り捨てざるを得なかったこのゲームに、リアルタイムで雨粒をレンダリングする機能など備わっていない。見られるはずのなかった光景に、誰もがただ、空を眺めていた。
「最後の最後に仕様外の天候エフェクト、ね。何というか、出来すぎ」
 そんな言葉が口をついて出たものの、わたしは何かしら、衝撃を受けていたように思う。老いた世界の最後の徒花。力を振り絞った果ての、異常に蝕まれた末の奇跡。あまりにも読み込みが過ぎる、とは思うものの。
 皮肉を好む彼にしては珍しく、少年は追随してこなかった。

 それから、どれだけの時間が経ったのか。天も地も白く染まり、さながら合成写真用のスタジオのような様相だ。情報の少ない部屋に人間を閉じ込めると精神に良くないとは聞くが、なるほど、これはつらい。耳を嬲るホワイトノイズと、雨のような線条の動きだけが、世界がまだ終わっていないことの証左だった。
「おーい、まだ生きてる?」隣のあたりの空間から、ノイズでひび割れた声が聞こえる。
 もはや視覚で他アバターを捉えることはできない。代わりに、この空間のあちこちで、声を上げて残留を主張する者たちがいた。わたしと彼もその一部だ。定期的に声をかけ合っては、互いに存在を確認する作業。
「生きてる。何となく周囲の声も減ってきた感じだし、そろそろ終わりが近いのかしら。そうでなければ」
「僕らの聴覚系が死に始めたのかもね」途中で遮って少年が言う。「まあ、冷静に考えれば両方かな。せっかくだし、最後の最後まで見てみたいけど」
 いつになく真面目な声色で喋る彼に引っ張られたのか、何なのか。柄にもなく、感傷的なことがしたくなった。
「―――ねえ。新作でまたパーティ組まない?」何気なく漏れた、風に聞こえたはずだと思う。無言が続く。顔が見えないだけに、俄に不安感に襲われる。
 今のなし、とでも言おうかと考え始めた頃合いに、「なんでまた」と、驚いたような声が聞こえた。よくよくキャラの崩れる日だ、と内心笑う。
「……じゃあ、雨が降ったから、ってことで」
 言い終わると同時に、視界が真っ白に塗りつぶされる。一方的な約束を最後に投げて、わたしたちは世界の終わりに立ち会った。

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