第十二回SSコンペ(お題:『鍵』)
「……ん? なんだこれ」
数年ほど放置していた机の引き出しを整理していて、見覚えのない鍵をみつけた。昨今主流のディンプルキーではなく、絵本に出てきそうなほどに単純な形をしたピンタンブラー錠だ。おそらく真鍮製だろう、華奢で玩具めいた鈍色の鍵。まともな扉や引き出しの鍵には見えないし、そもそも私の部屋に鍵をかけられる場所なんてない。対になった南京錠でもあるのかと思い、引き出しの奥をさらってみたけれど何も見当たらず。
素性不明の鍵。唐突に湧いた謎に、片付けで疲弊していた私の脳が俄に活気を取り戻す。有り体に言えば現実逃避、だが構うまい。どのみち放置していても気になって片づけが手に付かないこと請け合いだ。よし理論武装完了。
「開ける対象の見当たらない鍵。こいつは―――事件の香りでスよ、金田一君」
そういうことになった。
「―――という訳です。どうですかワトソン君、この名探偵に力を貸してみる気になりました?」
「あのな、それで俺のところに来るのは絶対に間違ってるからな。今後はそーいうの慎めよ。じゃあな」
玄関扉を少しだけ開き、心底嫌そうに呟く我が幼馴染。
せっかく訪ってやったというのに素気なく扉を閉めようとする彼の額に、体重を込めて鍵を突き刺す。軽くめり込む感触と漏れ聞こえる悲鳴をうけつつ手首を回転。ぎりり、と皮膚を巻き込んで鍵がまわる。同時に飛んでくる右拳が私の額を強打、クロスカウンター気味に殴り飛ばされた。よろけて数歩、たたらを踏む。
「……何もグーで殴るこた無いじゃないですか? 仮にも乙女ですよ」
痛いなあ、と額をさすりつつ私。
「金属製の鍵で額刺されるよりは万倍マシだよ馬鹿が。頭壊れてんのか」
額を押さえて扉にもたれ、絞りだすような声で幼馴染。
「いや何、ちょっと心の部屋を覗いて差し上げようかと」
「病院行け。その足で行ってこい」
「本当の君は言っていました。美人で優しい幼馴染の探求に付き合ってあげたいけど僕ツンデレだから素直になれないよぉ、とね」
ふふん、と無い胸を張りながら言ってみせる。幼馴染が前かがみに項垂れる。
「変わった色の救急車とか呼んだ方がいいのか? 自分で行けないなら迎えに来てくれるんだぜ。知ってたか?」
頭に手をやり、ため息をつきながら。言葉は依然として荒いものの、その気勢が萎えていくのを敏感に察知。ここは押しの一手と判断する。
「まあまあお茶でも飲みながら計画を練るとしましょう。麦茶でいいですよ。お茶うけは甘いものだと私が嬉しい」
「傍若無人って言葉を辞書で引いて恥を知って何だかんだで死ねよ……本当に何なんだよお前……」
言いながらも扉を開き、嫌そうに私を招く彼。ええ、信じていましたとも。
「では失礼、お宅拝見」
「事情はさっき説明した通りなんですけど、何か疑問点とかあります? あ、相変わらず良い米使ってますね」
「……喜んで茶漬け食ってるって事実に甚大な疑問を抱いてるところだが」
茶碗に盛られたお茶漬けをさぱさぱと流し込んでいると、幼馴染の胡乱げな視線がびしびしと刺さる。しかし米はおいしい。
「出されたものは食べる主義ですから。米系ならおはぎとかぼた餅とか出してくれても、とは思いましたけど」
言うや否や、ばん、と卓袱台に叩きつけるようにお煎餅の乗った小皿が出現した。ありがとうと断ってから頂く。ぽたぽた焼きはやはりうまい。
「出しておいて言うのも何だが、煎餅をおかずに茶漬け食ってる絵面は精神に悪いな」
「砂糖醤油で味付けした米料理なんだし、おかずと言っても過言ではないと思いますけど」
「いやその理屈は……まあいいや。で、何? 錠前を探してるんだったか?」
心底どうでもよさそうな幼馴染の声。一旦箸を置き、神妙な顔を取り繕ってから喋ることとする。
「ええ。引き出しの奥にわざわざ仕舞っておくほどの鍵、たぶん何か大事なものを開けるためのものだったとは考えられませんか」
「で、なんで俺」
「私の家にないなら貴方の家かと。いやほら、私他に友達いませんし。どころか知人すらいませんし」
テンポよく進んできた会話が、途端に勢いを失う。あ、と思った時にはもう遅い。
「……あのな。そういうことをな、笑顔で言うなよ」
そして流れる気まずい空気。
「あのー、そうマジになられると困るんですが」
「茶化せる話でもないだろ?」
「笑わなきゃどうしようもない話だとも言えますね」
しばしの沈黙。ふう、と溜息が漏れる。
「―――わーったよ。探してやる。もしかしたら俺も関わってたかも知れないんだしな」
思惑通りに―――あるいは思惑を汲んでもらって、場が弛緩する。
「さすが話が早い。では早速行きましょうか」
「とりあえず、可能性があるのは……俺の部屋か? 無ければ物置だな」
「ええ。ではでは、レッツ家探し!」
「隊長、ベッド下に桃色本というのは如何にも捻りが足らないのではありませんか! もっとこうフェイクとか二重底とか―――」
部屋にお邪魔してダッシュ一番、保存場所の埃っぽさにも関わらずいささかも埃に白んだ様子のない書籍群を引きずり出して叫ぶ。
「軍曹、軍法会議モノの独断専行は即刻止めて任務に戻りたまえ」
こちらを見ようともせずに告げられる言葉。平坦なイントネーションは殺意を乗せるのに最適なのだなあ、と思い知る。
「サー! エロ本戻します、サー!」
速やかに本を戻す。埃が溜まってないってことは日常的に使用を? とか訊いてみたい欲求もないではないけれど、しかし猫死にするのは避けたいところ。
「よろしい。……それなりに片してあるし、机の中とか見ても仕方ないだろ。探すんなら押入れの中かな」
「えーっと、古くて捨てらんないものとか箱に小分けして収納してるんでしたっけ?」
「解説台詞ありがとう。奥に行くほど古いはずだ。手前から見てみるか」
そんなこんなで、錠前を探す。小中の卒業アルバムの寄せ書き欄を見てはため息をついたり、愛着のある玩具の類を見つけては郷愁に浸ったり。懐古の念に浸り初めてしばらく、ちょうど小学校の頃の地層へと到達したくらいの段階で、私たちは目当てのものを発見した。
「―――あ、これ」
幼馴染の手には、両掌に乗るほどの小さな木箱。蓋と箱を結ぶように華奢な南京錠がひとつ渡されていて、そのくすんだ色味は件の鍵と瓜二つだった。
「おお、大正解っぽいじゃあないですか。早速開けてみましょう」
そう言って伸ばした掌が空を切る。捧げ持つように箱を退避させる幼馴染。え、と非難がましく視線を向ければ、あからさまに顔を逸らしてくれる。
「……何ですかそれ。イジメですか」
「いや、違う。違うんだが……中身が何だったのか思い出してな」
「嫌がるようなものだったと?」
「端的に言えば、気恥ずかしい」
言いながらも、私の掌に木箱を載せる幼馴染。とりあえず、渡してはくれるらしい。
「……で結局、開けちゃっていいんです?」
「ああ。でも俺が帰ってからにしてくれるか。流石に過去の恥と対面するのはなあ」
「しかしOpen Sesame」
即解錠。かちり、と嘘みたいに軽い手応えを残して蓋が開く。中には便箋が一枚。
「おいやめろ―――」
「この手紙は早くも読解ですね。えー、なになに……『お前がこの手紙を読んでる今、きっと俺はそこには居ないんだと思う』―――うおお」
「音読とか何考えてんだよ……殺す気か」
「いやいや茶化してすまんこってす。でもこの書き出しは流石に狙いすぎなんじゃあ……」
「中学生だったんだよ! 多感な時期だったんだよ! 察せよ!」
「まあいいや。ところで引越しか何かのご予定でも?」
「……ああ。それ書いたのがちょうど夏休み前だったか。休み中に居なくなる予定だったんだよ。立ち消えになったがな」
「へえ。それで自分のいなくなった後に読ませるメッセージを……青いですねえ」
「浪漫に溢れてたと言えよ。もしくは殺せ」
そんなこんなで、幼馴染の家を追い出される。恥ずかしさが臨界に達したとみた。
帰り道、歩きながら便箋に何度も目を通す。私を残していくことへの謝罪と、過ごした時間への郷愁。そして、激励。
「あんたは私のオカンですか、って感じですねー……。まあ保護者みたいなものでしたけど」
受け取るべき者が変質して、宙ぶらりんになった祈り。直接には意味を持たないはずのそれら言葉は、しかしなお、私の胸をつよく揺さぶるものだった。面と向かっては絶対に言えないであろう、真摯な思いやりだけが並ぶ手紙。
面映く、どこか口惜しい。気恥ずかしくもある。どこか負けたような感触すら。どうしたものかとしばし考えて―――閃く。
「……うーん。箱と鍵、どういうのにしようか」
封じ込めることでしか伝達できない、青すぎる真っ直ぐな想い。目には目を、の精神で、私もまた鍵をかけよう。どこに隠しておけばタイミングよく発見されるだろうか。少なくとも、この件を互いに忘れてからが宜しいだろう。ふと思いついた悪戯に、稚気やら何やら、雑多な感情を混ぜ込んでいく。
解かれた時、私たちがどうなっているのかは知らないけれど。封をされた言葉が、何かしら動かすことを願って。
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