2014年1月14日火曜日

『交感契約』

第十九回SSコンペ(お題:『契約』)

「ん、あんた何見てんの?」

 ソファでくつろぐ少年の手に紙片が握られているのに気付いて、少女はそう問いかけた。
 ん、と唸って、少し口ごもると、少年は笑顔をかみ殺すような素振りを見せてから、少女にそれを渡した。
 首を傾げて訝しみつつ、どうも、と素っ気なく呟いて紙片を受け取る。裏返しに渡されたそれは、便箋のようだ。なぜこいつがこんなものを、などと疑問に思いながら、少女はためつすがめつ、紙片を眺める。
 よほど古いものなのか、粉っぽい紙肌が少女の指に引っ掛かる。淡い色と華やかな縁取りの装飾から、女子の持ち物であろうと知れた。そういえば幼い頃、ちょうどこんな便箋を遣っていた―――ような―――おぼえが―――?

 そこまで考えたところで、脳裏に記憶がなだれ込んでくるのを少女は感じた。忘れていた、否、封印していた記憶。数拍遅れて、顔面に血が集まるのを感じる。即座に、便箋に書かれた文面を検める。そこには、記憶通りの文章が踊っていた。
 勢いよく顔を上げれば、そこにはもう笑いを堪えきれないといった様子の少年。その様を見て、羞恥とはまた別の感情が少女の顔を更に赤く染めていく。

「なんっ―――であんたがこれを! 今! 持ってんのよ!?」

 記憶が正しければ、これは今も自分の机の奥底に封印され、そのまま日の目を見ずに今に至るはず。幼少のみぎり、眼前の少年を半ば脅すようにして書かせた契約書だ。そのまま完璧に存在を忘れていたが、何がどうあれ、いま少年の手元にはあるはずのない代物だといえる。
 当然の疑問を見て取ったか、少年は平然とした風に答えた。

「そりゃ、こっそりと取り戻したのさ。そんなの握られたままじゃ、怖くて夜も寝られないだろ?」

 少年の言葉に、すぅ、と少女の表情から怒りの色が抜け落ちる。
 あ、まずい、と少年は胸中で失策を悟った。流石に煽り過ぎたらしい、と否応なく理解させられる威圧感。ふーん、と呟くその声色が、どこまでも空々しい。

「あんたまさか、わたしの部屋に忍び込んだ訳?」

 少女の声は平坦だ。無論、平静に立ち返った訳もない。怒りの予備動作に過ぎない。
 一瞬後の爆発の予兆を見て取ったか、少年は顔を引き攣らせた。何かを言わねばならない―――とはいえ、気の利いた返しなど思いつく訳もなく。仕方なしに、気を逸らすための事実をひとつ、開陳する。

「まさか。弟さんに頼んだのさ」

 幾分か慌てた様子で告げられた言葉に、少女の顔から表情が消え失せる。へぇ、と呟き、顎に手をやり、視線を斜め上の空間に飛ばしてしばし沈黙する少女。息の詰まるような静寂の中を、死刑囚の気持ちで少年は待った。
 少女はやがて、うん、とひとつ呟いて、

「……シメるか」

 宙空に投げかけられた、極めて抑揚に欠けた呟きを、少年は努めて聞き流すことにした。すまない、と胸中で少女の弟に謝罪して、話をもとに戻しにかかる。このまま行けば、怒りの矛先が自分に向くことは火を見るより明らかだ。。

「しかしまあ、当時は本気で戦々恐々としてたけど、いま読むと何だか微笑ましくすら感じるよ」

 む、と少女が反応する。うまく興味を惹けたらしい。少年の脳裏に、いつか流行った釣り漫画の一コマが再生された。
 
「何ていうのかな、いまになってみれば、子供の発想だったんだなあ、って」

 う、と少女の顔が赤みを取り戻す。よし、と少年は心中、ガッツポーズを決めた。

「そりゃ、ね。いくら昔の私だって、大人目線でヤバいと思うようなものなんか書かないっつーの。……あん? 何よ変な顔しちゃって」

 髪をくるくると弄びながら早口に捲し立てる少女が、少年の呆けたような表情に気付いた。ドスを利かせた声で問い詰める。
 我に返った少年は、焦りながらも、何か言葉をひねり出そうとして、

「―――いや、何でも」

 出てきたのが、これだ。最悪だ、と少年は胸中で独りごちる。若干の間を置いての、意味ありげな否定。なにか腹に一物あります、と暴露しているも同じではないか。
 案の定、少女はじーっと少年の顔を凝視していた。またもや訪れた、生きた心地のしない沈黙。やがて少女は、ふっ、と表情を緩めた。すわ助かったか、と期待する少年だが、

「……『自覚あったんだね』って顔してるわよ、あんた」

 ぽつりと告げられた言葉に、ぶわっ、と少年は冷や汗を吹き出す。
 その反応だけで充分だった。疑惑を確信に格上げしたらしい、少女はいい笑顔を浮かべて、少年ににじり寄る。

「そっかそっか……そういうこと考えてたワケね。ん?」

「あっ、そういえば僕、今日はパーティーの約束が」
 
 それじゃあね、と部屋を辞そうとする少年の肩を、少女の手が万力のように締め上げた。
 
 
 
 
 
「おとなしくゴメンナサイって言えば乱暴はしないっつーのに、なんであんたはそう人をおちょくるのかしら」

 少年を文字通り尻の下に敷き、頬杖をついて少女は呟いた。げしげし、と肘で少年の脇腹を殴打しておくことも忘れない。
 
「そりゃ、おとなしく謝罪しても関係なく乱暴されてきたんだから、いっそ煽りに煽って最大限に楽しんでやろうって考えるようになるのが合理的思考ってやつじゃないかな」

 いわゆる局所最適化だよね、と少年は嘯く。ふうん、と感心したふうに、少女の声。

「なるほどねえ。道理ではあるわね―――っと」

 よっこらしょ、という呟きと共に、少女は全体重を少年の体に加える。臀部を通して、みしり、と嫌な音。 

「ぐえっ、重……あっ嘘です重くな……ぐえぇっ……ぁ…………」

 言い掛けたところで、更に重を加える。少年が喋らなくなったことを見て取ると、少女は念のため、更に肘打ちを繰り返し、完全に少年の意識が断ち切られたことを確認する。
 全くもう、と溜息をついて、少女は立ち上がり、

「だから口応えすんなっつーのに。よくよく進歩しない奴ね」

 言って、思い出したように件の便箋を手に取り、目を通す。
 
 
 ―――けいやく書。
 
 ―――わたしはあなたにおやつをあげます。
 ―――あなたはかわりにどれいになってわたしをたのしませます。
 ―――このけいやくはいっしょうつづきます。
 ―――おわり。
 
 
「……全く、我ながらどこで覚えたんだか、こんな言葉」

 自分のこととはいえ、末恐ろしい文面だ。不平等契約にも程がある。先ほど指摘された時には怒りを露わにしてしまったが―――まあ、それはそれ。別腹としておく。
 そんな風に少女がいつも通りの欺瞞を決めていると、キッチンから音が聞こえた。そう、少年を招いたのは他でもない、新しいお菓子のレシピを試してみたくて―――
 
「……おっと、進歩がないのは私もか」

 一本取られたわ、と未だ黙して語らない少年の方へと呟きを寄越して、少女は中断していた調理を再開しに掛かった。

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