第七回SSコンペ(お題:『雪』)
「行ってきまーす」
家の中に声を投げて、玄関を押し開ける。途端、外気が勢い良く吹き込んできた。
う、と唸って身震いする。午前7時半の空気は氷点を下回っており、外気に触れた瞬間、私は肌が張るような感覚を覚えた。
しばし無言で佇んだのち、薄く開いた玄関扉を元に戻して、玄関に立ち尽くす。
やや暖かさを取り戻す空気に、少しほっとする反面、こういうことすると却って後の寒さが強調されるんだよなあ、とため息をつく。
「せめて、二学期の一限くらいは回避できるようにするのが人情ってもんでしょうが……。雪国の大学なんだからさあ、そこんとこはもうちょっと配慮を……」
全く、何が悲しくて早朝から大学に登校せねばならないのか。進学が決まった頃には、これで寒い朝は寝ていられる、と何も知らず喜んだものだというのに。
家未満・外気以上の微妙な空気の中、体を震わせながらそんな呪詛を吐いていると、
「ごめんお姉ちゃん! 待った?」
妹がどたどたと足音を鳴らして、私の傍へと走ってきた。
上下のスキーウェアに、分厚い手袋。そういえば小学校にもスキー学習はあったなあ、と考える。
「んーん、いま出てきたとこ。じゃあ、行こっか」
小さな妹の手を引いて、私は改めて、玄関の扉を押し開けた。
***
妹と連れ立って、早朝の冬道をゆく。
昨晩はそれなりに雪が降ったのだろう、あちこちの家に雪かきをする人の姿があった。
道すがら、ご近所さんと挨拶を交わしたり、妹の友人たちが合流してきて賑やかになったり。
保母さんみたいだなあ、などと思いつつ、姦しい少女たちの声に引き摺られるようにして歩を進めた。
そんなこんなで、ある家の前に差し掛かった時。
妹とその友人たちは唐突に歩みを止めると、その家の車庫に向かって走っていった。
止める間もなく、彼女らは車庫のシャッターを開きにかかる。
あまりの展開にしばし呆気にとられていたものの、これは止めねばと思い直し、小走りに駆け寄ろうとしたのだが、
「ああ、いいんですよ。家の者もわかってますから」
家の持ち主だろう、柔和そうなおじいさんが戸口から声を掛けてきた。
よっぽど困惑した表情をしていたのだろうか、お爺さんは微笑みながら、目で車庫の方を見るよう促す。
見れば、彼女らは車庫の中から、膝丈程度の雪玉を運び出していた。
「……もしかして、雪だるま?」
そう呟くと、彼女らとお爺さんはにっこり笑って、頷いた。
***
道連れがひとり―――いや、胴体だけだから半人か―――増えての、雪中行軍。
なるべく綺麗な雪だけを巻き込もうとしているのだろう、新雪の上を選んで代わりばんこに雪玉を転がす一団の、少し後ろをついて歩く。
私が小さいころもこうやって登校したことがあったなあ、と郷愁に浸りつつ。
「……でも、どうして雪だるまを預かってもらってるの?」
そう訊くと、彼女らは顔を見合わせてから、楽しげに経緯を説明し始めた。
事の顛末を聞いて、納得する。
曰く、道路で雪だるまを転がすのは危ないから、車の通らない道だけでやりなさいと言われた。
曰く、そうなると雪だるまを道に放置しなければならなくなるが、道端の雪だるまは悪戯の格好の餌食である。
曰く、雪玉を途方に暮れていると、例の家のお爺さんが気を効かせて、車庫を開放してくれた。
これも町内会の連携の成せる業なのか、ならばウチでも、と同じように雪だるまを保管させてくれる家がもう一軒できたのだという。
こうして、彼女らは学校への行きと帰り、二箇所の家の間を雪だるまを転がしながら歩くことになったらしい。
「そっか。……でも、放課後にでも空き地に繰り出して転がしてやれば、すぐにでも完成させられるんじゃない?」
学童用の歩道で結ばれた二軒の間は、決して長くない。加えて、今年の雪は乾いている。
毎日転がしているとはいえ、ぼた雪でもなければ、短距離で大きくするのは難しいだろう。
そんなことを考えての提案だったが、彼女らは一様に首を振り、
「ううん。ちょっとずつ一緒に大きくなるの、楽しいから」
異口同音に、そのようなことを言った。
「なるほど。……なるほど」
返ってきた言葉に、唸らされる。
「お姉ちゃん、ちょっと感心しちゃったぜ」
軽口めかして言ってはみたが、本当に、感心したのだ。
***
それからも、彼女らの雪だるま作りは続いた。
毎日一緒に登校していた訳ではないけれど、徐々に大きくなっていく雪だるまを見ることは、私の楽しみにもなっていた。
膝丈だった雪玉が腰の大きさになり、胸の近くまで到達する頃には、雪の季節は半分を折り返したところまで来ていた。
半身はこれで完成、として。そこからまた、小さな雪玉を転がす日々が続く。
大きな雪玉を転がす光景は、当初こそ通行人に驚きの反応をもって迎えられたものの、毎日のように繰り返すうち、朝の風物詩として微笑ましく見守られるようになった。
そんなふうに日々を重ねて、二つ目の雪玉が彼女らの胸ほどに達する頃には、季節は春になりかけていた。
もう冬ではない、と主張する、暖かな日差し。
残雪の照り返しが目に痛い、そんな晩冬、或いは初春の日。
遂に、我々の(心情的には私も一員である!)雪だるまがパイルダーオンされる時がやってきた。
「……で、本当にお姉ちゃんがやっちゃっていいの?」
やや小さい方の雪玉を抱えながら、問うてみる。
一員だ、などと言ってはみたものの、私自身は一度も転がしに参加していない。
気恥ずかしかったから、というのもあり、彼女らだけの手で完成させるべきだと思った、というのもあり。
動機はどもかく、最後の最後に私の手を入れてしまうというのは、いかがなものか。
「わたしたち、届かないし」
うんうん、と一斉に頷く少女ら。
「うん。落として割っちゃったら嫌だもんね」
痛そうだもんねー、と飛び跳ねながら言う。
頭が割れたら大変だ、と口々に。
「お姉ちゃんなら安心だもの」
そして止めに、この台詞。
お姉ちゃんはすごいもんねー、と誉めそやす少女らを前にして、これ以上固辞することが、誰にできようか。
「……左様で」
ハードル上げてくれるなあ、と嘆きつつ、少しでもかっこよく首が座るよう、私は微調整の構えに入った。
***
完成した雪だるまは暫くの間、近所の名物となった。
元より、雪玉を転がす少女らの姿は有名だった。あの雪だるまが遂に完成したのかと、わざわざ見に来た人も、きっと居たことだろう。
悪戯されないようにと、件のお爺さんの家に飾られた雪だるま。所有権を巡って二人のご老人が戦ったという噂もあるが、置いておいて。
少女らと共に歩み(転がり?)、立つことが叶った雪だるまだけれど、しかし既に季節は春。
この先に別れが待っていることは、誰もが理解していた。
「ねえお姉ちゃん。あの雪だるま、あのままにしておけないかなあ」
「んー……。流石に難しいと思うなあ。業務用冷凍庫でもない限り……」
「そっかー……」
私が小さい頃も、雪で作ったものが融けていくのを見るのは、辛かった記憶がある。
何とかしてあげたい、とは思うものの。現実に対処法があるかと言われれば、ない、と答えるしかない。
お爺さんが気を利かせて車庫の中に移してくれたけれど、直射日光が当たらなくとも、気温で融ける瞬間は訪れる。
別れは不可避。とはいえ、このままその瞬間を待つのも癪だなあ……などと考えて、しばらく経った、ある日。
何気なくテレビを観ていて、
「―――あ、これだ」
閃いた。
***
雪だるまが水に還る瞬間を、皆で見送った。
外に出された雪だるまは、春の陽気に炙られて、呆気無くその姿を消した。
やはりと言うべきか、消沈する少女たちに、私は一つずつ、あるものを渡した。
それは、手のひらサイズの、雪だるま形の容器。
首を傾げる彼女らに、開けてみな、と促すと、
「―――わ。中に雪が入ってる」
「ねえ、これって―――」
少女たちの期待の眼差しが、目に眩しい。
それは、十数年越しの、過去の私の眼差しでもあったのだろう。
「うん。みんなが作った、雪だるま」
ひと掬いずつ拝借した雪だるまの欠片を、容器に納めただけのもの。
沖縄に雪を―――色々な自治体で行われている雪の輸送事業、その形を模倣させてもらった。
「もしもまた来年、雪だるまが作りたくなったらさ。その雪を混ぜ込んで、また一から転がそう」
そうやって続いていけばいいな、と夢想する。彼女らが私くらいの年になっても―――というのは、いささか気の長すぎる話であるけれど。
人間の代謝と連続性、なんて話は無粋だろう。魂、とでも言っておけばいい。そういうものだ、たぶん。
「その時はまた、仲間に入れてくれる?」
こうして、私たちの冬は終わった。
春がきて、夏がきて、秋がきて、また冬がくる。
証をひとつ、持ち越して。その時をまた、楽しみに待とう。
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