2012年1月16日月曜日

『起き抜けイライラ棒』

第6回SSコンペ(お題:『寝起きの出来事』)


 目覚めを迎える直前の、この微睡みこそが醍醐味なのだ―――と、曖昧に拡散した意識の中で思う。半ば覚醒し、半ば眠りに就いたままの状態で、顕在しているとも潜在しているともつかない自我認識を弄ぶ、この時間こそが一日で最も尊い瞬間なのだと、僕は信じて疑わない。
 だからこそ、目覚めに際して感じた片腕の痺れに、僕は強い違和を感じた。身体的な異状があれば、曖昧に覚醒した状態を保つことは難しくなる。均衡を保とうにも、すぐに目を覚ましてしまう。それを知っているから、僕はセルフ腕枕で腕を痺れさせるのを避けるため、両腕共に掛け布団の下へとしっかり収納してから眠りに就いているはずなのだった。寝起きの痺れなんてものを最後に感じたのはいつだったろう、と疑問に思えるほど、久しく経験していない現象だ。
 ―――などと、小難しく現状を分析している時点で、既にして覚醒は始まってしまったと見て間違いない。ここから気持ちのいい状態まで退行するのは至難の業だろう、と考える。僕は諦めて目を覚まし、現状を確認する覚悟を決めた。瞼を開き、痺れている左腕を見る。
 
 そこには、僕の腕を背中で下敷きにしつつ、熟睡する姉がいた。

 僅かに残っていた眠気は、その光景を認識した瞬間に吹き飛んだ。脳内に警報が響き渡る。本能はヤバいと喚き、理性は可及的速やかに状況を脱せよと急かしてくる。いずれにせよ、判断と行動が急務であると悟った。
 まず僕が行ったのは、周囲の状況確認だった。目線だけを動かして確認を行う。現在地が確かに僕の部屋であることを認識して、軽く息をついた。間違いなく、ここは僕の部屋だ。もしも万が一、寝ぼけた僕が姉の布団に侵入してしまっていたのだとすれば、これはもう言い訳の利かない状況で、起きた姉に申し開きをする暇もなく殺されるしかないだろう。だが、姉の方が間違えて―――或いは何か意図があるのかもしれないが―――侵入してきたというのなら、これは僕の側に利がある。少なくとも、僕が一方的に悪いという話にはなるまい。我ながら弱気にも程がある分析だが、戦場で長く生き残れるのは臆病者だけなのだ。
 
 さて、僕側の過失ではないと知れた訳だが、それでも状況はオールグリーンとは言いがたい。目覚めた姉が寝ぼけた状態でこの状況を認識したら、どうなるか。反射的に殴られるか、締められるか、極められるか―――少なくとも、僕が痛みを受けるであろうことは明白だ。理性の薄まった時の姉はひらすらに怖い。時間切れまで待つだけでは駄目だ、と認識せざるを得ない。つまり、ここが僕の部屋だろうが姉の部屋だろうが、どのみち退避する以外に道は無かったらしい、ということだ。
 そう考えると、姉が起きる前に部屋を辞し、「何で姉さんが僕の部屋で寝てるのさ?」と困り顔で揶揄するくらいの線が適当なように思える。意識のはっきりした姉相手なら、理不尽な暴力を被ることはないはずだ。……たぶん、きっと。
 
 方針が纏まったので、脱出を試みる。幸いと言っていいのかどうか、圧し潰されているのは片腕だけだ。もしも体全体で抱き着かれていれば詰みだったのだろうが、神は僕を見放してはいないらしい。腕を極力下方向にずらし、布団にめり込ませるようにしながら、ゆっくりと引き抜きにかかる。パジャマ越しの暖かさだとか、布地を引き込む時に感じる肌との摩擦だとかについては一切考えないよう、努めて煩悩を殺しつつ、ゆっくりと。
 やがて、腕全体が抜けそうな位置にまで到達した。大きな恐怖から解放された安堵と、少しの未練―――あまり深く考えるべきではなさそうだ―――を覚えつつ、さりとて最後まで気を抜くべきではないと自戒し、より注意深い動きで、手を引き抜いた。
 
 やった、と思ったのも束の間。 
 途端、姉の体が大きく寝返りをうち、ここ数分での僕の努力は水泡に帰した。
 
 ……いや、単純に状況が巻き戻されるのなら、それはまだいい。やり直せばいいのだから。だが、今回は違う。寝返りと同時に伸ばされた腕は、僕の背中にしっかりと回されており―――当初危惧していた「最悪」の状況が、ここに成立していた。試しに少し身じろぎしてみても、拘束が解けるような感触は全くない。頭側か足側かに抜けられないかとも思ったが、悪いことに妙な手の回され方をしたらしく、服を脱ぐがごとく抜けることは難しいように思えた。作為を感じさせるほどに都合の悪い配置だった。完全に詰んでいる。
 どうしたものか、必死に考える。考えて、考えて―――
 
「……どうせ詰んでるなら、少しでも幸福の貯蓄分を増やしておく方向で」

 おやすみなさい、と呟いて二度寝に走る。清々しいまでの現実逃避に、我が事ながら、笑いが漏れた。もうどうにでもなれ、と自棄糞ぎみに心中呟いて、目を閉じる。
 
「―――ああ、そうだ。毒を食らわば、何とやら」
 
 どうせ無事には済まないのだからと、両腕を姉の背中に回して……力を込めることは流石にできなかったけれど、そのまま、姉と抱き合うような姿勢を形作る。寝ている最中に抱きついたりするのだろうし、早いか遅いかの違いだけだ、と誰にともなく言い訳をする。
 殴られて目覚めるのは嫌だなあ、などと思いながら、僕は再び微睡んだ。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
「……いくじなしめ。眠気に任せて襲って来るくらいの積極性を期待してたんだけど、な」

 薄目を開き、呟いて。
 姉は少しだけ、弟を抱く腕に力を込めた。

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