「奇跡で終わる物語ってのが、どうにも好きになれなくてね」
「へえ。例えば、どんなところが?」
「……そうだな。たぶん、ご都合主義な面が受け入れがたいのだと思う」
「ふうん。つまり、あなたは奇跡の存在を前提としたような絶望的状況を、敢えて奇跡無しに解決する―――それもご都合主義的にではなく!―――お話が好きなのね? そうでしょう?」
「どうも悪意を感じてしまう言い方だけど、間違ってはいないね」
「あらあら、ごめんなさいね。ついつい穿った言い方をしてしまったけれど、嫌いじゃないわよ、その視点。そうね、ロマンチックで―――純粋だわ」
「意外な評価だな。その心は?」
「だって、あなたはこう言っているも同然なのよ。『極めて物語的な苦難を、ご都合主義の奇跡に頼らず、しかし納得のいくよう綺麗に解決しろ』と。あなたは物語を望んでいる。綺麗な因果によって一筋に連なるような、部分と総体が完璧に相補であるような、綺麗な物語を望んでいる。善き物語は運命のもとに定められている、と言わんばかりに。その視点がロマンチックでないなら、何だというの?」
「そういう観方は、初めてだよ」
「保証してあげる。あなたは誰よりも純粋なのよ。望む物語を、奇跡"ごとき"に汚されるのは許せない、と断ずるあなたは。あなたは望むのね。どこまでも成立し難い、畸形じみた『普通のお話』を。楽な視点ではないでしょうけれど、貫いてみなさい」
2011年7月27日水曜日
2011年6月14日火曜日
『乙女心と初夏の空』
もう一週間も、僕の住む街は雨に覆われていた。
外を伺うと、窓硝子には幾条もの細い筋。視線を上げれば、そこには雲一つ無い晴天。
鼓膜を震わせる雨音は、高く、か細く。柔らかな紙を手で裂くような、そんな音を幾つも幾つも重ねたような雨音だ。
……一週間見続けた風景に溜息を吐いて、僕はカーテンを閉めた。
「雨は嫌?」
背後からの声に振り向くと、居候がこちらに視線も向けずにテレビを観ていた。
背中まで伸びた金髪、微かに青みを帯びた瞳。それでいて西洋の血を感じさせない、不思議な少女だ。
一ヶ月前に出会い、一週間と少し前から僕の家に入り浸るようになった、身元もわからない少女。
ちょうど、彼女がこの家に来た直後だったろうか。天気雨が降り始めたのは。
その時はひどく驚いていたように見えたのだけれど、それも最初の日だけで。
翌日からは、雨のことを話題に出すこともなくなった。……のみならず、雨について触れたくないようにさえ見えた。
だから僕も、意識的に避けていた話題だったのだ。
そんな彼女からこんな問いが出るとは予想しておらず、僕は内心、少なくない驚きを覚えていた。
その驚きを表情には出さないように努めつつ、応じる。
「嫌じゃないけど、こう続くとね。それに、なまじ見た目だけは晴れるものだから、外に出たいって気持ちばかりが募る」
ふうん、と軽く応じて、彼女はまた視線をテレビに戻した。
そこからまた、暫しの沈黙。
時折こちらに投げられる視線で、タイミングをはかっているのだと知れた。
やがて、テレビ番組が終わった。
僕ら二人の集中が同時に逸れた時、彼女が言葉を発した。
「雨を晴らす方法がある、って言ったらどうする?」
その言葉に、ああ、やっぱり、という納得があった。
彼女がこの異常な天気雨続きに関わっていることは、予想していた。だって、あまりにも出来すぎている。
彼女が家にやってきた、一週間前のあの日。
あの天気雨を―――まだ異常と見なすまでもない、最初の日の、ただの天気雨を前に、傍目にも過剰なまでに驚いていた彼女の様子を見れば。
そこに何かあるのだと、思わずには居られないだろう。
予想していたから、僕の返す言葉も、すぐに出てきた。
「僕にできることがあるなら、手伝う心づもりはあるよ」
「本当?」
小さく身を乗り出して彼女が言う。
怠惰と無関心のポーズを信条とする彼女にしては、それは珍しく、強い情動を感じさせるような動作だった。
……こちらの驚きに気づいたのか、少し頬を染める。息を整えるような仕草を見せてから、彼女は言葉を継いだ。
「具体的にはどの程度の協力まで可能? 具体的に条件を付けて明文化して欲しいのだけど」
「そうだなあ……。大きな金銭が絡まず、身の危険もない範囲で、なら何とか」
「身の危険というのは怪我や病気のことと解釈しても?」
「ああ。それでいいよ」
平素から簡潔で捻った会話を好む彼女にしては、いやに遠回りな会話ではないか。
そう訝しむ僕を尻目に、彼女は何やら黙りこんでしまった。
急かすのも憚られる雰囲気だったので、彼女に倣って、僕も黙った。
数分か、或いは数十秒に過ぎなかったか。
顔を上げた彼女は、いつの間にやら、その顔を真っ赤に染めて。
「私がここに来たことで、『始まった』と見なされた。だから、天気雨が降る。
なら―――雨を止めるには、『終わらせて』やればいい。完遂してしまえばいいのよ。
あなたがどちら(・・・)を選ぶかまでは、私には判らないことではあるけれど……」
尚も話の掴めない僕に、彼女はこう続けた。
「―――天気雨の別名。知ってる?」
外を伺うと、窓硝子には幾条もの細い筋。視線を上げれば、そこには雲一つ無い晴天。
鼓膜を震わせる雨音は、高く、か細く。柔らかな紙を手で裂くような、そんな音を幾つも幾つも重ねたような雨音だ。
……一週間見続けた風景に溜息を吐いて、僕はカーテンを閉めた。
「雨は嫌?」
背後からの声に振り向くと、居候がこちらに視線も向けずにテレビを観ていた。
背中まで伸びた金髪、微かに青みを帯びた瞳。それでいて西洋の血を感じさせない、不思議な少女だ。
一ヶ月前に出会い、一週間と少し前から僕の家に入り浸るようになった、身元もわからない少女。
ちょうど、彼女がこの家に来た直後だったろうか。天気雨が降り始めたのは。
その時はひどく驚いていたように見えたのだけれど、それも最初の日だけで。
翌日からは、雨のことを話題に出すこともなくなった。……のみならず、雨について触れたくないようにさえ見えた。
だから僕も、意識的に避けていた話題だったのだ。
そんな彼女からこんな問いが出るとは予想しておらず、僕は内心、少なくない驚きを覚えていた。
その驚きを表情には出さないように努めつつ、応じる。
「嫌じゃないけど、こう続くとね。それに、なまじ見た目だけは晴れるものだから、外に出たいって気持ちばかりが募る」
ふうん、と軽く応じて、彼女はまた視線をテレビに戻した。
そこからまた、暫しの沈黙。
時折こちらに投げられる視線で、タイミングをはかっているのだと知れた。
やがて、テレビ番組が終わった。
僕ら二人の集中が同時に逸れた時、彼女が言葉を発した。
「雨を晴らす方法がある、って言ったらどうする?」
その言葉に、ああ、やっぱり、という納得があった。
彼女がこの異常な天気雨続きに関わっていることは、予想していた。だって、あまりにも出来すぎている。
彼女が家にやってきた、一週間前のあの日。
あの天気雨を―――まだ異常と見なすまでもない、最初の日の、ただの天気雨を前に、傍目にも過剰なまでに驚いていた彼女の様子を見れば。
そこに何かあるのだと、思わずには居られないだろう。
予想していたから、僕の返す言葉も、すぐに出てきた。
「僕にできることがあるなら、手伝う心づもりはあるよ」
「本当?」
小さく身を乗り出して彼女が言う。
怠惰と無関心のポーズを信条とする彼女にしては、それは珍しく、強い情動を感じさせるような動作だった。
……こちらの驚きに気づいたのか、少し頬を染める。息を整えるような仕草を見せてから、彼女は言葉を継いだ。
「具体的にはどの程度の協力まで可能? 具体的に条件を付けて明文化して欲しいのだけど」
「そうだなあ……。大きな金銭が絡まず、身の危険もない範囲で、なら何とか」
「身の危険というのは怪我や病気のことと解釈しても?」
「ああ。それでいいよ」
平素から簡潔で捻った会話を好む彼女にしては、いやに遠回りな会話ではないか。
そう訝しむ僕を尻目に、彼女は何やら黙りこんでしまった。
急かすのも憚られる雰囲気だったので、彼女に倣って、僕も黙った。
数分か、或いは数十秒に過ぎなかったか。
顔を上げた彼女は、いつの間にやら、その顔を真っ赤に染めて。
「私がここに来たことで、『始まった』と見なされた。だから、天気雨が降る。
なら―――雨を止めるには、『終わらせて』やればいい。完遂してしまえばいいのよ。
あなたがどちら(・・・)を選ぶかまでは、私には判らないことではあるけれど……」
尚も話の掴めない僕に、彼女はこう続けた。
「―――天気雨の別名。知ってる?」
2011年4月25日月曜日
『想いを繋いで』
荒野をゆく旅人がいた。
もしかしたら、と。確証のない希望にすがり、体躯に見合わぬ荷物を背負って、どこまでも、どこまでも。
広漠とした世界。それでも誰かに会えるかも知れないと、痛む足を引きずって。
進んでいるのか、止まっているのか、判然としなくなったのは何時のことだったろうか。
緩慢な歩みはついに途切れ、やがて自然に足は崩れ、旅人は地に伏した。
横たわる瞳には悔しさが滲む。
このまま誰にも会えずに終わるのかなあ、と独りごちる。
そんな彼に、黒い影が被さった。
顔を上げればそこには化物。黒く染まった、異形のヒト。
瞳も鼻も、耳もなく。黒いヒトガタに、真っ赤な口だけが裂け目のように走っている。
ヒト二人分はあろうかという巨大なソレは、大きく口を開いて、旅人に迫った。
刹那、息を飲み―――一瞬遅れて、理解が訪れる。
「ありがとう。連れて行ってくれるんだね」
赤い空洞に何を視たのか。旅人は、微笑みを浮かべながら、化物の腹に消えていった。
飲み込んだ分だけ大きくなる、その体躯。膨らんだのは、旅人の分。
化物はやがて、旅人の荷物を抱え、歩き出した。
―――このセカイで、もしも誰かと会えるとしたら。
―――僕はもう駄目だろう。でも、希望を確かめることさえ出来れば、僕は。
原初の願い。
邂逅を望んだ、少年の想い。
食らって、呑んで、また食らって。
何人もの想いを腹に、化物はまた、希望を探す旅を続ける。
もしかしたら、と。確証のない希望にすがり、体躯に見合わぬ荷物を背負って、どこまでも、どこまでも。
広漠とした世界。それでも誰かに会えるかも知れないと、痛む足を引きずって。
進んでいるのか、止まっているのか、判然としなくなったのは何時のことだったろうか。
緩慢な歩みはついに途切れ、やがて自然に足は崩れ、旅人は地に伏した。
横たわる瞳には悔しさが滲む。
このまま誰にも会えずに終わるのかなあ、と独りごちる。
そんな彼に、黒い影が被さった。
顔を上げればそこには化物。黒く染まった、異形のヒト。
瞳も鼻も、耳もなく。黒いヒトガタに、真っ赤な口だけが裂け目のように走っている。
ヒト二人分はあろうかという巨大なソレは、大きく口を開いて、旅人に迫った。
刹那、息を飲み―――一瞬遅れて、理解が訪れる。
「ありがとう。連れて行ってくれるんだね」
赤い空洞に何を視たのか。旅人は、微笑みを浮かべながら、化物の腹に消えていった。
飲み込んだ分だけ大きくなる、その体躯。膨らんだのは、旅人の分。
化物はやがて、旅人の荷物を抱え、歩き出した。
―――このセカイで、もしも誰かと会えるとしたら。
―――僕はもう駄目だろう。でも、希望を確かめることさえ出来れば、僕は。
原初の願い。
邂逅を望んだ、少年の想い。
食らって、呑んで、また食らって。
何人もの想いを腹に、化物はまた、希望を探す旅を続ける。
2011年4月18日月曜日
『ぺるそながーるず』
「はい、お兄ちゃんの分のおべんとう! 今日も美味しく作れたよ!」
昼休み、屋上で食事をとるのが彼らの日常だった。
春先の風は冬の名残を幾分感じさせるものであったけれど、気心の知れた者同士で食べる昼食は、多少の肌寒さなんて吹き飛ばしてしまうものだろう。
最愛の妹がこしらえた、簡素ながらもどこか可愛らしく包まれた弁当箱を受け取って、彼は顔を綻ばせた。
「いつもすまないね」
妹が毎朝早起きして作ってくれる弁当。本当にできた妹だ、と彼は思う。
妹もまた、敬愛する兄の謝辞に笑みを深める。そして、そんな兄の軽口に乗ろうとして、
「それは言わない約束、ってやつですね」
横から割り入ってきた声に、出鼻をくじかれた。
頭上から顔を突き出し、座っても? と二人を伺うのは、彼ら共通の先輩であった。この兄妹の食事にこうして合流するのが、新学期からの彼女の日課なのだった。
「ここ最近は毎日いっしょに食べてるんだから、もうそういうのは止めましょうよー。水くさいじゃないですか。……お兄ちゃんもそう思うよね?」
台詞を横取りされた恨みがあるのか、ぷりぷりと怒りながらスペースを空ける妹に、兄は苦笑いを返す。
そして、格好を付けるでもなく、
「そうだね。でもまあ、そういう律儀なところが先輩のいいところだから、さ」
さらりと、気障な台詞を吐いてのけるのだった。
沸き立つのは、少女たちである。
「あう……。そう真正面から褒められると、照れてしまいます……」
「あー、せんぱいったらかわいいなー!」
三人の笑い声が、人のいない屋上に響いた。
「―――あ、そういえば、僕はちょっと用事があるんだった。二人とも、また後でね」
昼食を食べ終えて暫くすると、彼はこう言い残し、席を立った。
遠のいていく足音、屋上の扉が閉まる音、屋上への階段を下る音。その全てを聞き届けると、二人の少女の間に漂っていた空気は、弛緩することをやめた。
先に切り込んだのは、妹である。
「……良い機会だと思うから単刀直入に聞きますけど、何で私たちの食事に割り込んでくるんです? 私たち、前学期までは特に親しい訳でもなかったでしょう?」
その表情に、声色に、敵意を隠そうともせずに言ってのけた。
そしてまた、受ける少女も異常には違いない。彼がいた時と同じ笑みを、これだけの害意に晒されてなお、揺らがせないのだから。
「彼がわたしと同じく生徒会に所属し始めたから。要は、有望な後輩と懇意にしておきたかったから……というのはどうです?」
「馬鹿にしてるんですか?」
「ええ、もちろん」
睨みあい―――否、探りあいである。
「兄さんに恋を?」
「あら、さっきまでは『お兄ちゃん』だった気がするんですが……わたしの気のせいでしたか?」
「『あう……』とか口に出して言ってた人間に言われたかないです。なんですかそれは。ヒロイン気取りですか。マンガ世界に帰ってください」
探りあい―――否、単なる口喧嘩であった。
「彼がどういう女の子を好きだか解らないでしょう? キャラ変えつつリサーチ中なんですよ察してくださいよ頭悪いですね」
「少なくとも裏表激しい二重人格女に惚れたりはしないと思いますけどね私は」
「あれれ、それって自己紹介ですか? そういう話の流れじゃなかったと思うんですけど? 文脈読めてますー?」
「ブチ殺しますよこの年増が」
「人の恋路に頭つっこんでんじゃないですよ実妹の分際で」
両者とも、ひとつ息をつき。
「……貴女が兄さんを狙ってるのは解りました。渡しませんけどね」
「姑気取りですか。まあ構いませんよ、結婚式では悔し涙とともにスピーチしてもらいますから」
「もう結婚式の妄想ですか。どんだけ気が早いんですか。ちょっと素で気持ち悪いと思いましたよ今」
「何とでもご自由に。添い遂げる相手はもう彼に決定してるんですから。実妹の貴女は悲恋に泣いたり何処の誰ともしれぬ人間に寝取られたりしてればいいんですよ」
「うわ、エロまんが脳だ……。エロまんが脳がいる」
「解っちゃう貴女も大概でしょうに!」
ぐぬぬ、と睨み合う少女二人。
やがて、どちらともなく、笑みを浮かべる。皮肉げに口角だけを持ち上げて。
奇しくもそれは、鏡写しの構図であった。
「まあ、わたしの恋愛劇をかぶりつきで眺めて涙するといいです」
「悲劇にならなきゃいいですねえ。たとえばインセストな感じのバッドな展開とか、ね」
口喧嘩が今一度ヒートアップしようかというその時に、階段を登る足音が聞こえた。
二人は打ち合わせることなく、しかし完璧に対称のとれた動きで元の位置へと素早く戻る。
扉が開かれた瞬間には、彼が席を立つ前と寸分違わぬ情景が再現されていた。
「二人ともまだここに居たのか。用事も終わったところだけど、昼休みももう終わりだし、撤収しようか」
「ええ、そうですね。―――ねえ、妹さん。お話の続きはまた、お兄さんの居ない時にでもしましょうか」
「うん! さっきの話はちょっと、お兄ちゃんには聞かせられないからねー」
「あはは、僕には内緒の話なのか。いや、仲が良いみたいでなによりだね」
肩を組んで軽口を叩き合う妹と先輩に、彼の表情が緩む。
―――微笑む彼からは、彼女らが脇腹に一本拳を埋めあっている様が見えなかった。見えない角度を選んで、両者ともに同じ攻撃を選択したのだった。
朗らかに笑う少年と引きつった笑いの少女二人。彼らの歪んだ関係は、まだ当分続くことになる。
昼休み、屋上で食事をとるのが彼らの日常だった。
春先の風は冬の名残を幾分感じさせるものであったけれど、気心の知れた者同士で食べる昼食は、多少の肌寒さなんて吹き飛ばしてしまうものだろう。
最愛の妹がこしらえた、簡素ながらもどこか可愛らしく包まれた弁当箱を受け取って、彼は顔を綻ばせた。
「いつもすまないね」
妹が毎朝早起きして作ってくれる弁当。本当にできた妹だ、と彼は思う。
妹もまた、敬愛する兄の謝辞に笑みを深める。そして、そんな兄の軽口に乗ろうとして、
「それは言わない約束、ってやつですね」
横から割り入ってきた声に、出鼻をくじかれた。
頭上から顔を突き出し、座っても? と二人を伺うのは、彼ら共通の先輩であった。この兄妹の食事にこうして合流するのが、新学期からの彼女の日課なのだった。
「ここ最近は毎日いっしょに食べてるんだから、もうそういうのは止めましょうよー。水くさいじゃないですか。……お兄ちゃんもそう思うよね?」
台詞を横取りされた恨みがあるのか、ぷりぷりと怒りながらスペースを空ける妹に、兄は苦笑いを返す。
そして、格好を付けるでもなく、
「そうだね。でもまあ、そういう律儀なところが先輩のいいところだから、さ」
さらりと、気障な台詞を吐いてのけるのだった。
沸き立つのは、少女たちである。
「あう……。そう真正面から褒められると、照れてしまいます……」
「あー、せんぱいったらかわいいなー!」
三人の笑い声が、人のいない屋上に響いた。
「―――あ、そういえば、僕はちょっと用事があるんだった。二人とも、また後でね」
昼食を食べ終えて暫くすると、彼はこう言い残し、席を立った。
遠のいていく足音、屋上の扉が閉まる音、屋上への階段を下る音。その全てを聞き届けると、二人の少女の間に漂っていた空気は、弛緩することをやめた。
先に切り込んだのは、妹である。
「……良い機会だと思うから単刀直入に聞きますけど、何で私たちの食事に割り込んでくるんです? 私たち、前学期までは特に親しい訳でもなかったでしょう?」
その表情に、声色に、敵意を隠そうともせずに言ってのけた。
そしてまた、受ける少女も異常には違いない。彼がいた時と同じ笑みを、これだけの害意に晒されてなお、揺らがせないのだから。
「彼がわたしと同じく生徒会に所属し始めたから。要は、有望な後輩と懇意にしておきたかったから……というのはどうです?」
「馬鹿にしてるんですか?」
「ええ、もちろん」
睨みあい―――否、探りあいである。
「兄さんに恋を?」
「あら、さっきまでは『お兄ちゃん』だった気がするんですが……わたしの気のせいでしたか?」
「『あう……』とか口に出して言ってた人間に言われたかないです。なんですかそれは。ヒロイン気取りですか。マンガ世界に帰ってください」
探りあい―――否、単なる口喧嘩であった。
「彼がどういう女の子を好きだか解らないでしょう? キャラ変えつつリサーチ中なんですよ察してくださいよ頭悪いですね」
「少なくとも裏表激しい二重人格女に惚れたりはしないと思いますけどね私は」
「あれれ、それって自己紹介ですか? そういう話の流れじゃなかったと思うんですけど? 文脈読めてますー?」
「ブチ殺しますよこの年増が」
「人の恋路に頭つっこんでんじゃないですよ実妹の分際で」
両者とも、ひとつ息をつき。
「……貴女が兄さんを狙ってるのは解りました。渡しませんけどね」
「姑気取りですか。まあ構いませんよ、結婚式では悔し涙とともにスピーチしてもらいますから」
「もう結婚式の妄想ですか。どんだけ気が早いんですか。ちょっと素で気持ち悪いと思いましたよ今」
「何とでもご自由に。添い遂げる相手はもう彼に決定してるんですから。実妹の貴女は悲恋に泣いたり何処の誰ともしれぬ人間に寝取られたりしてればいいんですよ」
「うわ、エロまんが脳だ……。エロまんが脳がいる」
「解っちゃう貴女も大概でしょうに!」
ぐぬぬ、と睨み合う少女二人。
やがて、どちらともなく、笑みを浮かべる。皮肉げに口角だけを持ち上げて。
奇しくもそれは、鏡写しの構図であった。
「まあ、わたしの恋愛劇をかぶりつきで眺めて涙するといいです」
「悲劇にならなきゃいいですねえ。たとえばインセストな感じのバッドな展開とか、ね」
口喧嘩が今一度ヒートアップしようかというその時に、階段を登る足音が聞こえた。
二人は打ち合わせることなく、しかし完璧に対称のとれた動きで元の位置へと素早く戻る。
扉が開かれた瞬間には、彼が席を立つ前と寸分違わぬ情景が再現されていた。
「二人ともまだここに居たのか。用事も終わったところだけど、昼休みももう終わりだし、撤収しようか」
「ええ、そうですね。―――ねえ、妹さん。お話の続きはまた、お兄さんの居ない時にでもしましょうか」
「うん! さっきの話はちょっと、お兄ちゃんには聞かせられないからねー」
「あはは、僕には内緒の話なのか。いや、仲が良いみたいでなによりだね」
肩を組んで軽口を叩き合う妹と先輩に、彼の表情が緩む。
―――微笑む彼からは、彼女らが脇腹に一本拳を埋めあっている様が見えなかった。見えない角度を選んで、両者ともに同じ攻撃を選択したのだった。
朗らかに笑う少年と引きつった笑いの少女二人。彼らの歪んだ関係は、まだ当分続くことになる。
2011年4月14日木曜日
『どこがすき?』
「わたしのお姉さまになってくれませんかっ!?」
昼休み。屋上に呼び出された少女を待っていたのは、もはや日課と化している年下の少女からの求愛であった。日課というのは誇張ではなく、彼女は実際、日に一度は呼び出されて「お姉さま」となることを求められている。
年上の少女は、瞑目して頭を掻き、目の前でじっと自分を見つめる後輩を眺めつつ―――何度目か判らないほどに繰り返してきた台詞を今一度頭の中で繰り返して、
「悪いけど答えは同じだ。興味ないんで、パス」
低い声でそう告げた。
告げると同時に曇ったであろう、色を失ったであろう後輩の顔を視界に収めないように、彼女は早足でその場を去った。
後に残された少女がどんな顔で何を想うのか、彼女は知らない。知りたくもなかった。
「で、姉さんは結局、想いに応えたいってことで良いんだよね?」
年上の少女の部屋、彼女は弟を招いて話をしていた。議題は件の年下の少女について。
弟の単刀直入な物言いに言葉を詰まらせながらも、彼女はしばらくの間をおいて、こくりと頷いた。
「だってさ、初めて言われた時には気が動転してたし、ちょっと考える間が欲しかったってのも本当のことだし、そんな状況で軽々しく受けられる話でもないと思ったんだよ。でも冷静に考えて、ああ、こんなにあたしのことを好いてくれる子がどれくらい居るのかなあ、って思ったら受けてもいいかなって気持ちが強くなってきて、それで」
「いざ受けようと思ってみたらタイミングが掴めずここまで来た、と。端的に言ってヘタレだよね、姉さんってば」
「……弟よ。手心とかそういうアレは売り切れてるのか」
長々とした弁明を断ち切る指摘に、彼女の頭が力を失い垂れ下がる。
「姉さん以外のひとに対してはいくらでも用意してるさ。まあ、僕はシスコンだからね。敬愛する姉にはついつい本音が出てしまう」
「愛が痛い……」
背をベッドに預けてゆるゆると崩れ落ちる姉を見て苦笑しつつ、しかし弟は真面目な声色をもって言葉を紡いでいく。
「正直な話、さ。姉さんがヘタレってのは事実として、他にまた理由があるらしい、ってのは解るよ」
その言語に、姉の表情が剣呑さを帯びる。
「ふうん。言ってみ?」
「じゃあ言うよ。姉さん、『好かれたのは外面を繕ってる時の格好いい自分であって、こんなヘタレな理由でずるずる先延ばしにするような自分じゃないかも知れない』って思ってるだろ。いや別に肯定も否定もしなくていいんだけどさ」
沈黙は雄弁であった。
しかし言葉通りに返事をしない姉に、弟は尚も言葉を浴びせる。
「それはね、姉さん。それは、傲慢な考えだよ。姉さんが自分で思ってる『自分の良いところ』ってのが何なのかは知らないけどさ、他人が自分を好くとしたらそれをだろう、って決めつけて忖度するのは違うよ。それは、相手をヒトとして侮辱してるようなものさ」
言って、弟は立ち上がった。姉からの反応はない。しかし彼は、自らの姉が―――自慢の姉が、これだけ言われて何も考えられない人間であるなどとは微塵も思っていなかったし、それどころか自分すらも考えていなかったような素晴らしい境地に至れる人間であると、そう信仰していたのだ。だから、そのまま部屋を出ることに微塵の躊躇も見せなかった。
そして彼の予想通り、後ろ手に閉めた扉越しに、小さな己への発破の声が聞こえるのである。
「損な役回りだよなあ。見も知らない女の子とやら、嫉妬するよ」
小さく、呟いた。
「あのさあ、あんた今日も先輩に告白すんの? そろそろ諦めた方がいいんじゃない?」
「告白じゃないよ。妹にしてもらうだけだもの。それに、本心で断られない限りは絶対に諦めないって何度も言ってるじゃない」
「本心で、ねえ。そんなにも自分の目に自信があるわけ?」
「そりゃね。きっと、あのひとの事をいちばん良く見てるのは、世界レベルで見てもこの私だと思うよ」
「ふうん。まあ、わたしに止める筋合いなんぞありゃしないからね。存分におやりよ」
「言われなくたって!」
毎朝のように繰り返してきた軽口が、この日をもって終わることを、彼女は知らない。
今日こそは、と心に決意を刻んで、少女は軽やかに屋上への階段を登っていった。
昼休み。屋上に呼び出された少女を待っていたのは、もはや日課と化している年下の少女からの求愛であった。日課というのは誇張ではなく、彼女は実際、日に一度は呼び出されて「お姉さま」となることを求められている。
年上の少女は、瞑目して頭を掻き、目の前でじっと自分を見つめる後輩を眺めつつ―――何度目か判らないほどに繰り返してきた台詞を今一度頭の中で繰り返して、
「悪いけど答えは同じだ。興味ないんで、パス」
低い声でそう告げた。
告げると同時に曇ったであろう、色を失ったであろう後輩の顔を視界に収めないように、彼女は早足でその場を去った。
後に残された少女がどんな顔で何を想うのか、彼女は知らない。知りたくもなかった。
「で、姉さんは結局、想いに応えたいってことで良いんだよね?」
年上の少女の部屋、彼女は弟を招いて話をしていた。議題は件の年下の少女について。
弟の単刀直入な物言いに言葉を詰まらせながらも、彼女はしばらくの間をおいて、こくりと頷いた。
「だってさ、初めて言われた時には気が動転してたし、ちょっと考える間が欲しかったってのも本当のことだし、そんな状況で軽々しく受けられる話でもないと思ったんだよ。でも冷静に考えて、ああ、こんなにあたしのことを好いてくれる子がどれくらい居るのかなあ、って思ったら受けてもいいかなって気持ちが強くなってきて、それで」
「いざ受けようと思ってみたらタイミングが掴めずここまで来た、と。端的に言ってヘタレだよね、姉さんってば」
「……弟よ。手心とかそういうアレは売り切れてるのか」
長々とした弁明を断ち切る指摘に、彼女の頭が力を失い垂れ下がる。
「姉さん以外のひとに対してはいくらでも用意してるさ。まあ、僕はシスコンだからね。敬愛する姉にはついつい本音が出てしまう」
「愛が痛い……」
背をベッドに預けてゆるゆると崩れ落ちる姉を見て苦笑しつつ、しかし弟は真面目な声色をもって言葉を紡いでいく。
「正直な話、さ。姉さんがヘタレってのは事実として、他にまた理由があるらしい、ってのは解るよ」
その言語に、姉の表情が剣呑さを帯びる。
「ふうん。言ってみ?」
「じゃあ言うよ。姉さん、『好かれたのは外面を繕ってる時の格好いい自分であって、こんなヘタレな理由でずるずる先延ばしにするような自分じゃないかも知れない』って思ってるだろ。いや別に肯定も否定もしなくていいんだけどさ」
沈黙は雄弁であった。
しかし言葉通りに返事をしない姉に、弟は尚も言葉を浴びせる。
「それはね、姉さん。それは、傲慢な考えだよ。姉さんが自分で思ってる『自分の良いところ』ってのが何なのかは知らないけどさ、他人が自分を好くとしたらそれをだろう、って決めつけて忖度するのは違うよ。それは、相手をヒトとして侮辱してるようなものさ」
言って、弟は立ち上がった。姉からの反応はない。しかし彼は、自らの姉が―――自慢の姉が、これだけ言われて何も考えられない人間であるなどとは微塵も思っていなかったし、それどころか自分すらも考えていなかったような素晴らしい境地に至れる人間であると、そう信仰していたのだ。だから、そのまま部屋を出ることに微塵の躊躇も見せなかった。
そして彼の予想通り、後ろ手に閉めた扉越しに、小さな己への発破の声が聞こえるのである。
「損な役回りだよなあ。見も知らない女の子とやら、嫉妬するよ」
小さく、呟いた。
「あのさあ、あんた今日も先輩に告白すんの? そろそろ諦めた方がいいんじゃない?」
「告白じゃないよ。妹にしてもらうだけだもの。それに、本心で断られない限りは絶対に諦めないって何度も言ってるじゃない」
「本心で、ねえ。そんなにも自分の目に自信があるわけ?」
「そりゃね。きっと、あのひとの事をいちばん良く見てるのは、世界レベルで見てもこの私だと思うよ」
「ふうん。まあ、わたしに止める筋合いなんぞありゃしないからね。存分におやりよ」
「言われなくたって!」
毎朝のように繰り返してきた軽口が、この日をもって終わることを、彼女は知らない。
今日こそは、と心に決意を刻んで、少女は軽やかに屋上への階段を登っていった。
2011年4月13日水曜日
『けんじゃのじかん』
「『君が好きだ、愛してる、ああ、おかしくなってしまいそうだ!』」
「『わたしもよ。あなたが好き。言葉の非力さがもどかしいわ』」
「『どうすればいい? 教えてくれ。君のためなら何でもする!』」
「『じゃあ、抱きしめて。それだけでいい。それだけがいい』」
「……それを聞いた男は、女を壊れんばかりに抱きしめた、と。なるほど、これで恋愛が成就した訳だ。どう思う? とりあえず二人にとって幸福な形に納まったように見えるんだけど」
「ロマンチックだわ…………たぶん。正直実感はできてないけど、おそらく客観的に見てロマンチックなはず」
月に照らされた夜の公園で、本を広げて男女が向い合っていた。
そこに綴られた純朴で暖かな恋愛劇を、彼らは科学者の眼差しで読み取ってゆく。
「……まあ、理屈の上では理解できてるんだよな。己の内から湧いてくる熱い情動、抑えきれない想い。それがきっと、『純粋』だとして持て囃されたことがあるだろうことも。でも、肝心の『感情』それ自体が実感できない」
「原理的に、私たちは理解し得ないんじゃないかしら……って疑念はとりあえず脇に置いておくとして、とりあえず、理解の芽があったとしても手法自体に私は疑問を抱いてしまいそうなのだけど」
身振りも手振りも極端に少なく、抑揚も感じられない、平坦な会話だ。
そんな交感を当たり前のものとしているのか、二人は淡々と言葉を交わしていく。
「演劇が駄目、かい? まあ、感情を剥奪されてるらしい(・・・)からね、僕らは。そもそも無理なのかも知れないし、一方でとやかく言っても仕方ないのも確かだ。それには同意するよ。それでも、これ以外に方法があるか、と言われると僕には見当がつかないな」
「模倣して理解しようって発想は悪くないと思うわよ。でも、私たちの持ってたはずの『衝動』ってものが、鈍くなってるのか、或いは完全に無くなってるのか―――後者だとしたら、何をしたって徒労でしょうね、とも思う。詮なきことだけど」
「ああ。考慮しても仕方のないことさ。とはいえ、未来もない世界に生きてるんだ。酔狂に死ぬのも悪くないように思うんだけど」
「その言葉に胸がキュンとしたり頭がのぼせ上がったりしたら目標達成なのだろうけどね。残念ながら、そのとおりね、と納得する気持ちしか浮かばなかったわ」
『戦争は男が起こす』。過激なフェミニストの言説に見られた主張だが、これが更に先鋭化/一般化し、遂には『衝動が諍いを起こす』という認識を生じさせてしまった世界があった。そして、ヒトは衝動を捨て、真に理性的な生き物となるべきだ、という信仰が狂熱を帯びて世界を覆った。
脳科学の発達した世界であれば、倫理さえ無視してしまえば然程難しくもない処置である。生まれた子に施される、衝動を去勢するイニシエーション。子の代へ孫の代へ受け継がれた儀式はしかし、世界から活気を奪い、緩慢な滅びを招き寄せるに至った。
たゆたうように終わっていく人類史。その黄昏の中で、前世紀の/全盛期のヒトの情動に興味を持つ者が現れても、驚くにはあたらないだろう。
彼らがしているのは、つまりそういうことだった。
「称揚されていた生き様、何より尊いとされていた想い、そういったものが根こそぎ狩られてしまった世界って、何なんだろうね」
「さあ。とりあえず、誰も『世界を救おう!』と思う程度の衝動すら発揮できないあたり、種としては退化してるのかも知れないわね。ヒトのセカイもまた同様に縮んでしまったと言えるかしら」
「悲劇的、なんだろうな。きっと。多くの書物を読んだ経験から言えば、きっとこの状況は悲劇で、この世界はディストピアなんだろう。前世紀のヒトから見れば。ヒトがヒトである意義すら消失して、尚も続いてる世界だなんて」
「そうは言うけれど、悲壮感のない悲劇なんて喜劇みたいなものじゃないの?」
「違いないね」
観測する者のない世界、悲劇と理不尽に飲み込まれた者たちの世界は、穏やかに朽ちていく。
「『わたしもよ。あなたが好き。言葉の非力さがもどかしいわ』」
「『どうすればいい? 教えてくれ。君のためなら何でもする!』」
「『じゃあ、抱きしめて。それだけでいい。それだけがいい』」
「……それを聞いた男は、女を壊れんばかりに抱きしめた、と。なるほど、これで恋愛が成就した訳だ。どう思う? とりあえず二人にとって幸福な形に納まったように見えるんだけど」
「ロマンチックだわ…………たぶん。正直実感はできてないけど、おそらく客観的に見てロマンチックなはず」
月に照らされた夜の公園で、本を広げて男女が向い合っていた。
そこに綴られた純朴で暖かな恋愛劇を、彼らは科学者の眼差しで読み取ってゆく。
「……まあ、理屈の上では理解できてるんだよな。己の内から湧いてくる熱い情動、抑えきれない想い。それがきっと、『純粋』だとして持て囃されたことがあるだろうことも。でも、肝心の『感情』それ自体が実感できない」
「原理的に、私たちは理解し得ないんじゃないかしら……って疑念はとりあえず脇に置いておくとして、とりあえず、理解の芽があったとしても手法自体に私は疑問を抱いてしまいそうなのだけど」
身振りも手振りも極端に少なく、抑揚も感じられない、平坦な会話だ。
そんな交感を当たり前のものとしているのか、二人は淡々と言葉を交わしていく。
「演劇が駄目、かい? まあ、感情を剥奪されてるらしい(・・・)からね、僕らは。そもそも無理なのかも知れないし、一方でとやかく言っても仕方ないのも確かだ。それには同意するよ。それでも、これ以外に方法があるか、と言われると僕には見当がつかないな」
「模倣して理解しようって発想は悪くないと思うわよ。でも、私たちの持ってたはずの『衝動』ってものが、鈍くなってるのか、或いは完全に無くなってるのか―――後者だとしたら、何をしたって徒労でしょうね、とも思う。詮なきことだけど」
「ああ。考慮しても仕方のないことさ。とはいえ、未来もない世界に生きてるんだ。酔狂に死ぬのも悪くないように思うんだけど」
「その言葉に胸がキュンとしたり頭がのぼせ上がったりしたら目標達成なのだろうけどね。残念ながら、そのとおりね、と納得する気持ちしか浮かばなかったわ」
『戦争は男が起こす』。過激なフェミニストの言説に見られた主張だが、これが更に先鋭化/一般化し、遂には『衝動が諍いを起こす』という認識を生じさせてしまった世界があった。そして、ヒトは衝動を捨て、真に理性的な生き物となるべきだ、という信仰が狂熱を帯びて世界を覆った。
脳科学の発達した世界であれば、倫理さえ無視してしまえば然程難しくもない処置である。生まれた子に施される、衝動を去勢するイニシエーション。子の代へ孫の代へ受け継がれた儀式はしかし、世界から活気を奪い、緩慢な滅びを招き寄せるに至った。
たゆたうように終わっていく人類史。その黄昏の中で、前世紀の/全盛期のヒトの情動に興味を持つ者が現れても、驚くにはあたらないだろう。
彼らがしているのは、つまりそういうことだった。
「称揚されていた生き様、何より尊いとされていた想い、そういったものが根こそぎ狩られてしまった世界って、何なんだろうね」
「さあ。とりあえず、誰も『世界を救おう!』と思う程度の衝動すら発揮できないあたり、種としては退化してるのかも知れないわね。ヒトのセカイもまた同様に縮んでしまったと言えるかしら」
「悲劇的、なんだろうな。きっと。多くの書物を読んだ経験から言えば、きっとこの状況は悲劇で、この世界はディストピアなんだろう。前世紀のヒトから見れば。ヒトがヒトである意義すら消失して、尚も続いてる世界だなんて」
「そうは言うけれど、悲壮感のない悲劇なんて喜劇みたいなものじゃないの?」
「違いないね」
観測する者のない世界、悲劇と理不尽に飲み込まれた者たちの世界は、穏やかに朽ちていく。
2011年4月10日日曜日
『いいよ、待ってる』
「僕のことが信用できないのかい?」
「全部が、とは言わないさ。お前がその、なんだ、全能の者だってのは理解できたよ」
部屋の中に散らばった雑多な品物―――PC、ゲーム機、テレビ、書籍、楽器、その他ありとあらゆる「俺の望んだ」もの―――を横目で確かめながら、俺は目の前で首を傾げる少女にそう言った。この品物は全て、少女が俺のリクエストに応え、空中から手品のように出現させて見せたものだ。
「そうか、それは良かった。喜んでもらえてるかどうか不安だったが、少なくとも僕の力の証明にはなったということだね」
「ちなみに言っておくが、このプレゼントに関しては本気で嬉しいと思うぜ」
何せ、我を忘れて欲しい物を次々とねだってしまったくらいである。あさましいなあ、と自らを恥じる気持ちも有りはしたのだが、それ以上に、心底楽しいといった調子で応えてくれる少女の笑顔が眩しくて―――いや、止そう。
逡巡しかけた俺の内心を知ってか知らずか、少女は顔を綻ばせる。
「いや、それは重畳。全くもって嬉しいね」
にっこり笑った少女はしかし、次の瞬間には眉をヘの字にたわませて。
「さて、じゃあ訊こうか。僕がそのような力を持つ……少なくとも無から有を生み出す程度のことが可能な存在であることはご理解頂けたと思う。じゃあ、何が理解できないと言うんだい?」
その声色は呆れているようにも、困っているようにも聞こえた。そして何より、悲しんでいるような響きをすら、含んでいたように感じた。
だから、ここで誤魔化してはいけないと俺は思ったのだ。
「お前が俺を好きだという、その理由が解らない」
「……理由か」
頬杖をついて考える素振りを見せた少女に、言葉を被せていく。
「ああ。自慢じゃないが、俺は人並みの能力しか持ってない普通の人間だよ。そんな存在になんでお前みたいな凄い奴が興味を持つのか、それが全く解らない。常識的に考えて、釣り合わないにも程があるだろ」
最後の方は何か滅茶苦茶になってしまった気もしないではないが、ともかく一息で言い切った。少女は瞼を閉じ、少し考え込むようにして、
「申し訳ないが、想いの根拠を説明することは出来そうにない。何たって、一目惚れだからね。長く生きてるが初めての経験だ。それと、釣り合うかどうかで考えるなら、僕に釣り合う存在なんて居やしないよ。だから、君の能力は理由にならないし、君の環境も理由にならない。『理由なんてない、でも一緒になりたい』。それじゃあ駄目かな?」
俺は、そう問いかけてくる少女の顔が、僅かに翳っていることに気付いた。気付いてしまったのだ。
何かを考えるより先に、肯定の言葉が口をついて出そうになり―――しかし、
「……おっと! その先は言っちゃ駄目だ。僕は飽くまでも君という人格と対等に付き合いたい訳でね。同情で一緒になって貰っても困るのだ。いや、気持ちは育てるもの、という思想を否定しようとは思わないがね」
少女はそんな僅かな心の乱れさえ認めなかった。高潔にも程がある。僅かな安堵と後悔の入り交じった感覚が去来する。
出鼻を挫かれて何も言えずにいる俺に、少女は尚も言葉を続けて。
「君が僕の想いを確証を以て受け入れられるまで、返事については保留しよう。なに、会うことはいつだって出来るんだからね。まずはお友達から始めましょう、というやつさ。だから、」
少女の笑みに、慈しむような色が滲む。
「君が気に病むことなんて何もない。僕みたいな者に迫られれば疑心を抱くのが当たり前だ。そのことで悩んだりしないで欲しい。本当なら、全能の力を思う存分振るって、君の自由意志さえ剥奪してモノにしてしまうべきなんだ。人外の優しさというのはそういうものだからね。こうやってそのままの君に接しているのは、だから僕の我儘でしかない」
言い残して、少女の体がその輪郭をあやふやにしていく。風景と融け込むようにぼやけていく。
去るのか、と頭で理解して。理解した時には、もう言葉が溢れでていた。
「それでも―――それでも、俺はお前のそういう態度、立派だと思う。好感を持てると思う。だから、単純に応えてやれない俺の弱さが、自分でも悔しい」
「ああ、気に病まないでくれとは言ったが……そんな殺し文句を聞いてしまっては、どうにも前言を撤回したくなるから困るな。僕のために悩んでくれる存在というのは、存外心が踊るものなんだなあ」
くすくすと笑い、去り際に少女は、
「ああ、待ってる。待ってるとも。気負いなく僕の言葉を受け止められる時が来たら、答えを聞かせてくれないか」
頷く俺に、にっこりと笑って。
不器用な神様は、俺の目の前から消えたのだった。
「全部が、とは言わないさ。お前がその、なんだ、全能の者だってのは理解できたよ」
部屋の中に散らばった雑多な品物―――PC、ゲーム機、テレビ、書籍、楽器、その他ありとあらゆる「俺の望んだ」もの―――を横目で確かめながら、俺は目の前で首を傾げる少女にそう言った。この品物は全て、少女が俺のリクエストに応え、空中から手品のように出現させて見せたものだ。
「そうか、それは良かった。喜んでもらえてるかどうか不安だったが、少なくとも僕の力の証明にはなったということだね」
「ちなみに言っておくが、このプレゼントに関しては本気で嬉しいと思うぜ」
何せ、我を忘れて欲しい物を次々とねだってしまったくらいである。あさましいなあ、と自らを恥じる気持ちも有りはしたのだが、それ以上に、心底楽しいといった調子で応えてくれる少女の笑顔が眩しくて―――いや、止そう。
逡巡しかけた俺の内心を知ってか知らずか、少女は顔を綻ばせる。
「いや、それは重畳。全くもって嬉しいね」
にっこり笑った少女はしかし、次の瞬間には眉をヘの字にたわませて。
「さて、じゃあ訊こうか。僕がそのような力を持つ……少なくとも無から有を生み出す程度のことが可能な存在であることはご理解頂けたと思う。じゃあ、何が理解できないと言うんだい?」
その声色は呆れているようにも、困っているようにも聞こえた。そして何より、悲しんでいるような響きをすら、含んでいたように感じた。
だから、ここで誤魔化してはいけないと俺は思ったのだ。
「お前が俺を好きだという、その理由が解らない」
「……理由か」
頬杖をついて考える素振りを見せた少女に、言葉を被せていく。
「ああ。自慢じゃないが、俺は人並みの能力しか持ってない普通の人間だよ。そんな存在になんでお前みたいな凄い奴が興味を持つのか、それが全く解らない。常識的に考えて、釣り合わないにも程があるだろ」
最後の方は何か滅茶苦茶になってしまった気もしないではないが、ともかく一息で言い切った。少女は瞼を閉じ、少し考え込むようにして、
「申し訳ないが、想いの根拠を説明することは出来そうにない。何たって、一目惚れだからね。長く生きてるが初めての経験だ。それと、釣り合うかどうかで考えるなら、僕に釣り合う存在なんて居やしないよ。だから、君の能力は理由にならないし、君の環境も理由にならない。『理由なんてない、でも一緒になりたい』。それじゃあ駄目かな?」
俺は、そう問いかけてくる少女の顔が、僅かに翳っていることに気付いた。気付いてしまったのだ。
何かを考えるより先に、肯定の言葉が口をついて出そうになり―――しかし、
「……おっと! その先は言っちゃ駄目だ。僕は飽くまでも君という人格と対等に付き合いたい訳でね。同情で一緒になって貰っても困るのだ。いや、気持ちは育てるもの、という思想を否定しようとは思わないがね」
少女はそんな僅かな心の乱れさえ認めなかった。高潔にも程がある。僅かな安堵と後悔の入り交じった感覚が去来する。
出鼻を挫かれて何も言えずにいる俺に、少女は尚も言葉を続けて。
「君が僕の想いを確証を以て受け入れられるまで、返事については保留しよう。なに、会うことはいつだって出来るんだからね。まずはお友達から始めましょう、というやつさ。だから、」
少女の笑みに、慈しむような色が滲む。
「君が気に病むことなんて何もない。僕みたいな者に迫られれば疑心を抱くのが当たり前だ。そのことで悩んだりしないで欲しい。本当なら、全能の力を思う存分振るって、君の自由意志さえ剥奪してモノにしてしまうべきなんだ。人外の優しさというのはそういうものだからね。こうやってそのままの君に接しているのは、だから僕の我儘でしかない」
言い残して、少女の体がその輪郭をあやふやにしていく。風景と融け込むようにぼやけていく。
去るのか、と頭で理解して。理解した時には、もう言葉が溢れでていた。
「それでも―――それでも、俺はお前のそういう態度、立派だと思う。好感を持てると思う。だから、単純に応えてやれない俺の弱さが、自分でも悔しい」
「ああ、気に病まないでくれとは言ったが……そんな殺し文句を聞いてしまっては、どうにも前言を撤回したくなるから困るな。僕のために悩んでくれる存在というのは、存外心が踊るものなんだなあ」
くすくすと笑い、去り際に少女は、
「ああ、待ってる。待ってるとも。気負いなく僕の言葉を受け止められる時が来たら、答えを聞かせてくれないか」
頷く俺に、にっこりと笑って。
不器用な神様は、俺の目の前から消えたのだった。
2011年4月8日金曜日
『くまとなかま』
「楽しい仲間がぽぽぽぽーん!」
テレビから軽快な音楽が流れる。状況に味方され、加速的に認知を広め、消費されたCMだ。
男は、Twitterのタイムラインを眺める。
楽しい仲間をもじったネタ。楽しい仲間を基にした大喜利。楽しい仲間それ自体への批評/感想。「楽しい仲間」とは即ち、「ぽぽぽぽーん」の枕詞である。少なくとも今、この観測範囲ではそうなのだろうな、と男は思った。
その現実を認識して、男は居ても立ってもいられなくなった。激情に任せて立ち上がる。そのまま小刻みに、何度も何度も練習した踊りをなぞった。
「愉快な仲間がッ、楽しい仲間がッ、イェーッ、みんな待ってるぜェーッ……」
踊る熊に、しかし仲間はもういない。
テレビから軽快な音楽が流れる。状況に味方され、加速的に認知を広め、消費されたCMだ。
男は、Twitterのタイムラインを眺める。
楽しい仲間をもじったネタ。楽しい仲間を基にした大喜利。楽しい仲間それ自体への批評/感想。「楽しい仲間」とは即ち、「ぽぽぽぽーん」の枕詞である。少なくとも今、この観測範囲ではそうなのだろうな、と男は思った。
その現実を認識して、男は居ても立ってもいられなくなった。激情に任せて立ち上がる。そのまま小刻みに、何度も何度も練習した踊りをなぞった。
「愉快な仲間がッ、楽しい仲間がッ、イェーッ、みんな待ってるぜェーッ……」
踊る熊に、しかし仲間はもういない。
2011年4月7日木曜日
『その名前は。』
桜の木につぼみが芽吹いた。
縁側に座る少女は、茫洋と、桜の木を眺めている。新しい季節の到来を象徴する風景に、しかし、目を輝かすでも、笑みを浮かべるでもない。ただ両の目に風景だけを溶かし込むように。
いつ終わるか―――いや、終わるかどうかすら知れぬ長い命。その端緒は長い生に擦り切れた少女にはもはや思い出せなかったし、その過程は思い出せるほどに色づいたものではなかった。絶望も希望もなく、ただ引き伸ばされた生を、物語なく生きる日々だった。
そんな灰色の中に、僅かにだけ存在した有色の日々。
「残酷な物言いだとは解ってる」と。そう前置きして、しかし刹那の時に過ぎないとしても共にありたいと告げた、彼。彼と過ごした春は、こんなに乾いたものではなかったのに。
涙も浮かべず、乾いた少女は、不思議だなあと首を傾げた。
声も、顔も、仕草も、全て薄膜を通したように朧気なもので。何年前の話だったかも定かではなく。彼が存在したことだけが、彼の記憶の全てだった。
少女はしかし、忘却を悲しむほどの情感さえ放棄してしまったのだろう。泣くことも、嘆くこともない。
ただ、一つだけ。彼のことを考えるたびに胸に湧く想いの名前を、彼が生きているうちに聞いておけば良かったと。
少女の胸には、投げかける相手を失った問いだけが残っていた。
縁側に座る少女は、茫洋と、桜の木を眺めている。新しい季節の到来を象徴する風景に、しかし、目を輝かすでも、笑みを浮かべるでもない。ただ両の目に風景だけを溶かし込むように。
いつ終わるか―――いや、終わるかどうかすら知れぬ長い命。その端緒は長い生に擦り切れた少女にはもはや思い出せなかったし、その過程は思い出せるほどに色づいたものではなかった。絶望も希望もなく、ただ引き伸ばされた生を、物語なく生きる日々だった。
そんな灰色の中に、僅かにだけ存在した有色の日々。
「残酷な物言いだとは解ってる」と。そう前置きして、しかし刹那の時に過ぎないとしても共にありたいと告げた、彼。彼と過ごした春は、こんなに乾いたものではなかったのに。
涙も浮かべず、乾いた少女は、不思議だなあと首を傾げた。
声も、顔も、仕草も、全て薄膜を通したように朧気なもので。何年前の話だったかも定かではなく。彼が存在したことだけが、彼の記憶の全てだった。
少女はしかし、忘却を悲しむほどの情感さえ放棄してしまったのだろう。泣くことも、嘆くこともない。
ただ、一つだけ。彼のことを考えるたびに胸に湧く想いの名前を、彼が生きているうちに聞いておけば良かったと。
少女の胸には、投げかける相手を失った問いだけが残っていた。
2011年4月6日水曜日
『ツンデレ勇者と魔王さま』
「さあ勇者よ、わたしのものになるがよい!」
玉座に座った小さな魔王は、小さい胸をいっぱいに逸らせて―――それが自分の最も威厳有りげに見える姿勢だと自負しているのだ―――眼前に至った勇者に告げた。
口角を僅かに持ち上げた笑み。これもまた、鏡を前に散々練習したものだ。全て、この瞬間のために。
完璧に決まった。小さな魔王は胸中で喝采を叫ぶ。しかし、当の勇者は眉も動かさず、
「いや、あんまり支配とかそういうのに興味ないですし」
言いながら剣を抜いて、ゆるやかに持ち上げる。目の高さにまで持ち上げ、秘伝の技の構えと為す。
慌てたのは魔王である。
「待て待て待て待て。ちょっと待って話を聞け」
慌てて立ち上がり、両手をわたわたと振ってこう言った。せっかく練習した姿勢も表情も台なしだ。
「世界の半分とか言われても、生憎僕は勇者ですし。そういう甘言には乗れないっていうか」
構えをとったまま、姿勢を落として。準備は万端、先手必勝、といった趣である。
気圧されたのか、魔王は一歩二歩と後ずさり。
「言ってない! そんなこと言ってないから!」
「どうせ『はい』を選んでも強制的に戦闘になるんでしょう。だったら面倒な前段は省きましょうよ」
「ちが―――違うんだ。そうじゃない。わたしは、わたしは」
魔王の目が潤む。どうしてこうなった。格好よく魔王の威厳を見せつけて、こいつを篭絡して、そして一緒に―――そう、思っていたのに。何がいけなかった。どこが間違っていた?
滲む視界と乱れる心。だから魔王は、勇者の顔に浮かんだ、稚気溢れる笑みには気付けない。
「さあ、魔王討伐を始めましょうか」
「―――よ、よかろう。我がけいやくを拒んだこと、後悔させてやる!」
涙を目に溜めながらも、最後に残った矜持を振り絞って、精一杯の虚勢を張って。
そうやって馬鹿正直に意地を張る、まっすぐな娘だからこそ、自分は、と。
「まあ―――何だ。こっちがそっちに、よりは、そっちがこっちに来る方が丸く収まる訳で、ね」
「なにか言ったか!」
「いや、何でも?」
「癪に障る……! いいだろう、もはや交渉はけつれつした! 貴様を叩きのめして我が下僕としてくれよう!」
独り言に弾ける魔王の激情。ああ、やめられないな、と彼は笑う。
好きな娘ほど苛めたい。勇者ともあろうものが、こんな単純な理由で、セカイを救おうだなんて。
玉座に座った小さな魔王は、小さい胸をいっぱいに逸らせて―――それが自分の最も威厳有りげに見える姿勢だと自負しているのだ―――眼前に至った勇者に告げた。
口角を僅かに持ち上げた笑み。これもまた、鏡を前に散々練習したものだ。全て、この瞬間のために。
完璧に決まった。小さな魔王は胸中で喝采を叫ぶ。しかし、当の勇者は眉も動かさず、
「いや、あんまり支配とかそういうのに興味ないですし」
言いながら剣を抜いて、ゆるやかに持ち上げる。目の高さにまで持ち上げ、秘伝の技の構えと為す。
慌てたのは魔王である。
「待て待て待て待て。ちょっと待って話を聞け」
慌てて立ち上がり、両手をわたわたと振ってこう言った。せっかく練習した姿勢も表情も台なしだ。
「世界の半分とか言われても、生憎僕は勇者ですし。そういう甘言には乗れないっていうか」
構えをとったまま、姿勢を落として。準備は万端、先手必勝、といった趣である。
気圧されたのか、魔王は一歩二歩と後ずさり。
「言ってない! そんなこと言ってないから!」
「どうせ『はい』を選んでも強制的に戦闘になるんでしょう。だったら面倒な前段は省きましょうよ」
「ちが―――違うんだ。そうじゃない。わたしは、わたしは」
魔王の目が潤む。どうしてこうなった。格好よく魔王の威厳を見せつけて、こいつを篭絡して、そして一緒に―――そう、思っていたのに。何がいけなかった。どこが間違っていた?
滲む視界と乱れる心。だから魔王は、勇者の顔に浮かんだ、稚気溢れる笑みには気付けない。
「さあ、魔王討伐を始めましょうか」
「―――よ、よかろう。我がけいやくを拒んだこと、後悔させてやる!」
涙を目に溜めながらも、最後に残った矜持を振り絞って、精一杯の虚勢を張って。
そうやって馬鹿正直に意地を張る、まっすぐな娘だからこそ、自分は、と。
「まあ―――何だ。こっちがそっちに、よりは、そっちがこっちに来る方が丸く収まる訳で、ね」
「なにか言ったか!」
「いや、何でも?」
「癪に障る……! いいだろう、もはや交渉はけつれつした! 貴様を叩きのめして我が下僕としてくれよう!」
独り言に弾ける魔王の激情。ああ、やめられないな、と彼は笑う。
好きな娘ほど苛めたい。勇者ともあろうものが、こんな単純な理由で、セカイを救おうだなんて。
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